1210日目・・・くちをしきもの・・・「朽ちる」のが「モッタイナイ」であるかな・・・「くちなし(梔子・巵子・支子)の花」も「朽ちる」・・・「巵(シ)」は古代中国で使われた酒杯、酒盃の一。鉢形で、両側に環状の取っ手がある大杯であるらしいが、「卮」が源字で「四升が入る盃で一杯で傾き、空になると上向き、容量によってその傾きが変わる杯」である。「卮言(シゲン)」とは「バラバラ、辻褄が合わない、支離滅裂でトリトメが無い」であった。「酉(トリ)」は十番目の十二支である。トリで終わるのは「紅白歌合戦」・・・「口惜しき

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 「生」は訓で「なま・き・う・ふ・うぶ・いのち・い−きる)」で、更に調べれば、訓読みは、
 「ある(生→生存)・あい(生)・いかす(生かす)・いきる(生きる)・いける(生ける)・う(生→桃生)・うまれる(生まれる)・うむ(生む)・うぶ(生=産→産湯)・おう(生う)・き(生→生地)・なま(生)・なる(生る)・なす(生す)・はう(生う)・はえる(生える→発生)・はやす(生やす)・ふ(生)・さが(生→性)」、名のりには、「おき・すすむ・たか・ふゆ・よ」などがある・・・「生+口」・・・
 音は「セイ・ショウ」である・・・マルで「清少納言」・・・
 生口(セイコウ・いきくち)・・・なまこ=海鼠
                 生口(なまくち)
                 生口(うむくち)
                 生口(うくち)
                 生口(しょうくち)
                 生口(きくち)
 「なま(生)」で食べるよりも、「焼い」て、「煮」て食べた方が衛生上、安全だが・・・放射能汚染のモノは、焼いても、煮ても、叩いてもキケンであろう・・・貯蔵食品には「乾物・薫製・漬物」がある・・・
ーー↓生口
 倭における
 「捕虜」または「奴隷」・・・?
 107年(後漢・永初元年)
 倭国王
 帥升らが
 後漢
 安帝へ
 生口
 160人を献じる(後漢書
 倭王
 卑弥呼
 239年(魏・景初二年)
 魏の
 明帝へ
 男の生口4人、
 女の生生口6人を、
 243年(魏・正始四年)
 魏の
 少帝へ
 生口を献じ、
 その後継者の
 台与(臺與?・壹與?・壱與)も
 248年
 魏へ
 生口30人を魏へ献じ(魏志倭人伝
ーー↓248年
 干支=戊辰(ボシン・つちノえノたつ)
 倭
 神功皇后摂政48(四十八)年
 皇紀908(九百八)年
 中国
 魏=正始九年
 蜀=延熙十一年
 呉=赤烏十一年
 朝鮮
 高句麗=東川王=二十二年、
     中川王=元年
 新羅=沾解王=二年
 百済=古尓王=十五年
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 生口
 捕虜を意味する語・・・奴隷になった捕虜
 異論は、
 単なる捕虜・奴隷ではなく、
 技術、技能者、あるいは
 中国への留学生とする説もある
 弥生時代後期には
 奴婢という奴隷階層がいた
 生口が奴婢と全く
 別の存在なのか、
 重複するのかの論がある・・・らしい・・・
 生口は倭国だけのものではなく、
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 高句麗
 第十九代の王
 広開土王・・・・諡号は「国岡上広開土境平安好太王
         年号を採って「永楽大王」
         姓は「高」
         名は「安」
         始祖鄒牟王(朱蒙)の
         十七世の孫
         父は故国壌王
 碑文・・・・・「好太王碑文→交代王比文」 
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 息子の長寿王が
 414年旧暦九月二十九日
 (碑文=甲寅年九月廿九日乙酉)に建てたモノ
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 の刻文に
 396年
 百済高句麗に大敗し
 「生口」を高句麗へ献じた
 高麗史・十六 世家・巻第二十八
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 忠烈王元年(1274年)
 文永の役(1274年)
 高麗に帰還した
 金方慶らは、
 倭人の子女を捕虜とし、
 高麗王と妃に
 「生口」として献上
 (侍中
  金方慶等還師、
  忽敦以所
  俘童・・・これは「生口」の文字ではない・・・
  男女
  二百人
  献王及公主)
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 ・・・「惜字炉」と言うモノがあるらしい・・・
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 惜しい・・・をしい・をしく
 大切なものを失いたくない
 むだにすることが忍びない
 もったいない
 心残り
 惜しい・くやしい
 「もう少しで・あと少しで・あとちょっとで 」おしい
 「(今一歩)及ばない・足りない・健闘する
  今ひとつ満足いかない」
 「惜=セキ・シャク
    おしい おしむ」
    思いきれず・心が残る・失いたくないと思う
 「惜」=忄(心)+昔
          昔=(廿・廾一・艸一)+日
            ?=共+日
     「忄」=「リッシンベン→立心偏→立身弁」
 「惜字炉(せきじろ)」は、「文字を敬って文字の書かれた不要となった紙を焼くための炉。
 「惜字亭、焚字炉(沖縄の方言でフンジルーとも言うらしい)」。別名は
 惜字塔
 惜字楼
 焚字庫
 字庫
 焚紙楼
 文風塔
 文峰塔
 敬敬亭
 台湾では多く
 聖蹟亭といい、
 客家地区では
 敬字亭と称する
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 中国明代の科挙制度のもと、聖人、知識人が尊ばれ、字を敬う「敬惜字紙(中国語版)」という風習が生まれ、文字の書かれた不要な紙を集め梵焼する炉が作られた。
 「惜字炉は史料によれば
  宋代に建造が始まり、
  元明清代にはすでに相当普及していた。
  惜字炉は通常
  街角や、書院や寺院の中、道路や橋の傍らに建造した。
  また裕福な者は自分の家の庭に惜字塔を建てた。
 「『二刻拍案』一巻の開編詩に曰く“世間字紙蔵経同,見者須当付火中。或置長流清浄処,自然福禄永無窮”(仮訳:世間の字のある紙はお経と同じく、見たものは火で燃やすべきである。あるいは清らかな流れに置けば、自然と福は長く窮まることはない)とある」
 現在は、中国、台湾、韓国に残っており、
 日本では沖縄県長崎県大阪府の寺院などにみられる
 ・・・「文字の書かれた不要な紙を集め梵焼する炉」とは、支配者の「焚書坑儒」の「焚書」であろう・・・禁断の書を燃やしたのさッ・・・持っていれば殺されるから・・・
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 「朽(くちる・キュウ・キウ)」
 くちる腐ってぼろぼろになる
 衰えてだめになる
 「朽木・不朽・腐朽・老朽」  
 腐る・朽ちる・こわれる・すたれる・衰える
ーー↓くちおしい
 残念だ・がっかりする
 口惜しい・・・もったいない
 くちを・し・シク
 思うようにいかない
 残念に思う
 いまいましく思う・・・忌々(いまいま)しい
            今々しい→近代、現代
 取るに足らない
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 枕草子
 (一〇三段)・・・百三段・壱百参段・壱佰参段
          1+0+3=4=四=肆
          1×0×3=零

 くちをしきもの
 節會、・・・説句改・接句解・設句回
 佛名に・・・分通名
 雪ふらで、
 雨の
 かき暮し
 降りたる。
 節會、さるべきをりの、
 御
 物
 忌に
 當りたる。
 いと
 なみ
 いつ
 しかと
 思ひ
 たる
 事の、
 さはる
 事
 出で
 來て
 俄に・・・にわかに
 とまり
 たる。
 いみじうする人の、
 子
 うまで
 年ごろ
 具したる。
 あそびをもし、
 見すべき事もあるに、
 かならず
 來なんと思ひて
 呼びに
 遣りつる人の、
 さはる
 事
 ありて
 など
 いひて
 來ぬ、
 くちをし。

 男も女も宮仕所などに、同じやうなる人、諸共に寺へまうで、物へも行くに、このもしうこぼれ出でて、用意はげしからず、あまり見苦しとも見つべくはあらぬに、さるべき人の、馬にても車にても行きあひ見ずなりぬる、いとくちをし。
 わびては、
 すきずき
 し
 か
 らん
 下衆など
 にても、
 人に
 語り
 つ
 べ
 か
 らん
 にて
 もがなと
 思ふも、
 けしからぬ
 なめり
 かし。
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 ・・・ケシカラン・・・ナ・メ・リ・・・カ・シ・・・