1203日目・・・2013年八月二日(金)・・・「MNSニュース・2013.8.1 14:03」からの抜粋だが・・・「日本の国際情勢は憲法ができたころとはまったく違う。護憲と叫んで平和がくると思ったら大間違いだ。改憲の目的は国家の安定と安寧だ。改憲は単なる手段だ。騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、われわれを取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に成し遂げられるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。
ドイツのヒトラーは、ワイマール憲法という当時ヨーロッパで最も進んだ憲法(の下)で出てきた。憲法が良くても、そういったことはありうる。
憲法の話を狂騒の中でやってほしくない。靖国神社の話にしても静かに参拝すべきだ。
「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか。僕は民主主義を否定するつもりもまったくない。しかし、けん騒の中で決めないでほしい」
・・・これが、ナゼ、「誤解」を招く原因となるのか?・・・マッタク「事実」を述べただけである・・・だが、「あの手口を学んだらどうか」は余計だった。「日本国憲法」を変える手段、方法を「日本国、階級国家主義者の思想・信念」の立場で言ってしまったのである・・・だが、「国粋主義者」なら、公の場ではアンな発言はしないだろう・・・その方法を「秘密裏に謀る」だろう・・・「国家主義者」は「国家の枠内の民主主義」を「僕は民主主義を否定するつもりもまったくない」と言っているのだ・・・しかし、当然、「民主主義」とは「けん騒の中」でしか「決められない」のである。
「ワイマール憲法」は「日本国憲法」と匹敵するぐらいの「憲法」だったのだ・・・以下はボクの「家頁」の「国家をどのように考えるか?(1)」です・・・
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http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/fanin/pura2/kotukaron/kotuka.htm
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・・・オイソレと、なし崩し的に「日本国憲法」を変えられてはたまらないのである。「改憲以前」に「日本国憲法」は元々「自民党」に「歪曲されて来た」のである・・・当然であるのは「自民党結党理念の政党綱領」が「日本国憲法改憲」であるからだ。それが「結党目的の意志」である。単なる「政党の綱領」で、未だ「国家意志(憲法)」として実現されていない「目的」である。その「意志」とは「国家内のブルジョワ階級支配意志の実現」である。簡単に言えば「私有財産」の「意識としての自由な選択の権利」である。だが、この「労働=資本(労働の蓄積)」を原点に蠢いている「世界資本主義商品市場」で「自由」な「選択」が出来るのはダレなのか?・・・「ダレでもが金儲けが出来る」と言う「幻想意識」である。カネを「儲け」ても、「儲けなく」てもイイ「自由な選択の意志」である。だが「衣食住の生活財」にはその多寡に「格差」があるのはナゼなのか・・・「商品交換価格市場」での「需要供給」に影響される「労働市場」での「需要供給」の「雇用関係」ではダレでもが「自由に選択」は出来ないのである。企業家の倒産、労働者の解雇失業・・・だが赤字であろうが、黒字であろうが、社会的な「余剰資本の一部」は個人であれ、組織的な企業であれ、不均等な配分の結果としての「資産」は一部の人々に偏って「蓄積」される。如何なる「政治権力」も、「階級システム」に寄生し、その「階級システム」を維持する「妥協」の代弁者である。維持するタメにはその「国家意志=憲法」を楯にして「侵略戦争」も辞さないであろう。「日本国憲法」はその「暴力的実力行使」を拒否していると考えられているのだ。だが、拒否しているのは「侵略戦争」である。「日本国領土枠内」の「自衛権・防衛権」を放棄しているワケではない・・・
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と缺乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」
この「日本国家の国家意志である公正と信義の決意」を無視し、理不尽に「日本国家領域」を侵すモノに対しては他国家であろうが、他国籍の個々人であろうが断固として「正当防衛としての実力行使」をするのだ。
「日本国憲法」は主体的で能動的である対外的な「国際軍事」を否定しているのだ。「自民党」も「他党派」も勘違いしているのである。「自衛も軍事」である。
ナニが「交戦権」がない、「宣戦布告」が出来ない、「先制攻撃」が出来ないであるのか。国家内市民社会でも武装した暴力団に対して「正当防衛」、「自己防衛」にはそんなヒマな時間は無い。命を狙われている現前でそんなモノは通用しない、いらないのである。「公正と信義」を裏切る国際関係の国家に於いても然り、である。
「ワイマール憲法」は「画餅の餅(糯)」になってしまったの事実である。そして、殆んど「無抵抗」の状態で「ユダヤ人の弾圧と虐殺」が始まったが、ナチスの「弾圧・虐殺」は「ユダヤ人」だけではなかったのだ。「ドイツ自国民」、そして「ユダヤ人」以外の「人種」にもだった・・・これは「殺された人間の数の多寡の問題」ではない。そして「ソビエト連邦の指導者」も、「日本帝国の指導者」もやった。「大陸中国指導者」、「亜米利加合衆国指導者」も、「中近東諸国家」、「アフリカ諸国家」、「中南米諸国家」、「東南アジア諸国家」、かっての「カンボジアのクメール」も、そして「朝鮮半島の指導者」も「自国民」を「弾圧・虐殺」したし、アメリカに加担したベトナム戦での「英雄」も存在する・・・これは「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会関係」での「公正と信義」の結果だったのか?
今現在、「国家間戦争」は「殺された人数の問題」ではない。「一人」であろうが、「10万、20万、30万、300万、400万」人であろうが、「ヒトを殺すと言う戦争の利害目的」を糾弾しなければならないのだ。人数の多寡にすり替えては「勝てば官軍の論理」になる。そして「大義名分の論理」に「弾圧も虐殺」も埋没してしまうのだ。
・・・ダレのタメの「大義名分」なのか?
イスラエル自国内、あるいは世界に散らばっている「イスラエルの指導者」は「民族の契約書」である「旧約聖書」を「客観的に反省」したことがあるのだろうか・・・?・・・「旧約聖書」は「神の名を借りた弾圧と虐殺の記録」である・・・モチロン、「預言者」は「正義」を求めた・・・「自国民」の「枠内」で・・・
前回の「橋下大阪市長」の「発言と論理」も、今回の「麻生副総理」の「発言」も「階級国家」を維持しようとしている「国家内民主主義者=国家主義者」ならば、当然である。
彼らは「国際的人間主義者」ではない。「私有財産法」を前提にした「国家主義者」なのである。「私有財産法」を前提にした「国家間対等主義者」なのである。当然、同じ土俵にノボリタクナイのは「戦勝国」の「同類」である。
大陸中国、北朝鮮に「克ち取って来たブルジョア民主主義」はないのは当然だが、「韓国」には自ら「克ち取って来たブルジョア民主主義」がある。だが、それを「三権分立」の「国家司法」の「法治破壊」で壊そうとしている。アメリカの「ブルジョア民主主義」を壊しているのは「盗聴(情報の国家管理)」、「愛国法」・・・ナゼ、アメリカ内外に「民主主義?の敵」が存在するのか・・・
個々人の「相互の生活利権配分の民主主義」と「相互の生活選択権の自由主義」は違うのである・・・「自由主義=民主主義」はありえないのだ。「国民」とは「カネの配分=私有財産の多寡の配分」の枠内で踊らされている「政治的選択権を有する人種」である。
「純粋血族民族」などとはこの「地球上」に存在しないのだ。存在するのは「人間=地球人」である・・・もちろん、その意味で「民族」概念は「幻想・虚構」のコトバである。しかも、発明したのは「明治時期の日本人」である。それを「漢字」とコトバの「意味」で借用しているのが「大陸と半島」の「隣人」である。ナゼ、「同じ民族?=同胞?」が殺し合うのか・・・ナゼ、「民族自治区」があるのか?・・・ナゼ、「合衆国?」ではなく、「合州国?」なのか・・・ナゼ、人間地球人の「地球居住地区」でなく、「線引き領域国家」なのか・・・
「民族・国民」とは「生物学的人種」、ある地域に居住する「社会的、言語的文化」共有の「共同居住民」と異なるのである。
他の諸国家の「政治的指導者」達、「ジャーナリスト」も「同じ事」を前提に「ワメク」のだ・・・「モウケルこと=生活財の多寡」が前提の社会システム、「同じ土俵の枠内」で生活しているからだ・・・
・・・「英語」ですかね、「理解」してもらうタメには・・・コトバが通じないのは「日本政府の指導者」だが、「アソウ」さん、「英語」が堪能ならば、「英語」で説明してやれば・・・「国家の枠内でのブルジョワ民主主義」であると・・・それで「国際社会」で「ブルジョア的対等」になれます、と。そして「階級的立場」を明確にしたら・・・「国民」は「国民」でないことをハッキリ理解するだろう・・・
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日本で最初に英語を教えたのは
ラナルド・マクドナルド
マクドナルドは
嘉永元年(1848年)に日本に密入国し、
拘留先の
長崎で、
本国に
送還されるまでの
半年間、
オランダ語
通詞
14人に英語を教えた
教え子に
森山栄之助
後、森山は
小石川に英語塾を解説
嘉永七年三月三日(1854年3月31日)
日米和親条約
各国との和親条約
安政五年六月十九日(1858年7月29日)
日米通商修好条約
安政五カ国条約が締結
安政四年(1857年)
幕府は長崎に
語学伝習所(英語、フランス語、ロシア語)を設立
安政五年(1858年)七月
長崎英語伝習所が設立
教師は長崎海軍伝習所の
オランダ海軍軍人や、
英国人の
ラクラン・フレッチャー(Lachlan Fletcher・後の横浜領事)
洋学所、語学所、済美館と改称
慶応四年(1858年)四月
長崎府管轄の
広運館となり、
外国語教育に限定せず、
和漢洋の
三学を講じる
主な教師
グイド・フルベッキ
洋学所と改称された後
主な生徒
立石斧次郎=万延元年遣米使節の通訳
何礼之=後には教師も勤めた
大隈重信=後に佐賀藩の致遠館に
フルベッキを招請
柴田昌吉
日下部太郎
山口尚芳
馬場辰猪
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枕草子
(九六段)・・・九十六段・九拾六段・玖足陸段
9+6=15=十五=壱拾五=足伍
9×6=54=五十四=五拾四=伍足肆
内裏は・・・
五節の・・・
ほどこそ・・・
すずろに・・・
ただ・・・
ならで、・・・
見る・・・
人も・・・
をかしう・・・
覺ゆれ。・・・
主殿司・・・
などの、・・・
いろいろの・・・
細工を、・・・
物忌・・・
のう・・・
にて、・・・
彩色・・・
つけ・・・
たる・・・
なども、・・・
めづらしく・・・
見ゆ。・・・
清涼殿の・・・
そり橋に、・・・
もと・・・
ゆひの・・・
村・・・
濃い・・・
とけ・・・
ざやか・・・
にて・・・
出で・・・
たる・・・
も、・・・
さまざまに・・・
つけて・・・
をかしう・・・
のみ、・・・
上雜・・・
仕童ども、・・・
いみじき・・・
色ふしと・・・
思ひたる、・・・
いと・・・
ことわり・・・
なり。・・・
山藍・・・
日蔭など・・・
柳筥に・・・
いれて、・・・
冠したる・・・
男・・・
もて・・・
ありく、・・・
いと・・・
をかしう・・・
見ゆ。・・・
殿上人の・・・
直衣・・・
ぬぎ・・・
たれて、・・・
扇や・・・
なにやと・・・
拍子に・・・
して、・・・
「つかさ・・・
まされと・・・
しき・・・
なみ・・・
ぞ・・・
たつ」・・・
とい・・・
ふ・・・
歌を・・・
うたひて、・・・
局どもの・・・
前・・・
わたる・・・
ほどは・・・
いみじく、・・・
添ひ・・・
たち・・・
たらん・・・
人の・・・
心・・・
さわ・・・
ぎぬ・・・
べし・・・
かし。・・・
まして・・・
颯と・・・
一度に・・・
笑ひ・・・
など・・・
したる、・・・
いと・・・
おそろし。・・・
行事の・・・
藏人の・・・
掻練重、・・・
物より・・・
ことに・・・
きよらに・・・
見ゆ。・・・
褥など・・・
敷き・・・
たれど、・・・
なかなか・・・
え・・・
も・・・
のぼり・・・
ゐず。・・・
女房の・・・
出で・・・
たる・・・
さま・・・
譽め・・・
そしり、・・・
この・・・
ごろは・・・
他事は・・・
なか・・・
めり。・・・
帳臺の
夜、
行事の
藏人
いと
嚴しう
もてなして、
かい・・・
つくろひ・・・
二人、・・・
童より・・・
他は・・・
入る・・・
まじと・・・
おさへて、・・・
面・・・
にくき・・・
まで・・・
いへば、・・・
殿上人など・・・
「猶・・・名保
これ・・・此例
一人・・・位置認・位地任・市人
ばかり・・・秤・図り・諮り・謀り
葉刈・場狩・葉借・葉仮理・葉掛理
は」・・・葉
など・・・等・名度
のたまふ。・・・之他真得
「うら・・・裏
やみ・・・埜(林=記紀の・十一=壱拾壱=位置拾位地)視
あり。・・・亜(あまねし)理・蛙(かえる)理
いか・・・異化・易化
でか」・・・出化
など・・・名度
かたく・・・仮託
いふに、・・・「言附・意附・委付・移付」爾
宮の・・・視埜
御・・・音
かたの・・・過多之・形廼・加太埜・掛他之
女房・・・・・除望
二十人・・・二十=念→弐拾人・ニを拾うジン
念侭・念訊・年訊
ばかり・・・秤
おし・・・・・音詞
凝り・・・「古里・古理・懲り・狐狸」
て、・・・弖=(弓+一)・氐=(氏+一)・出・弟
ことごとしう
いひたる
藏人
何とも
せず、
戸を
おしあけて
さざめき
入れば、
あきれて
「いと
こは
すぢなき・・・筋無き
世
かな」
とて
立てる
も
をかし。
それに
つき
て
ぞ、
かし
づき
ども
皆
入る。
けしき
いと
ねた・・・ネタ・音他
げ・・・・・解
なり。・・・名理
うへも
おはし
まして、
いと
をかしと
御覽じ
おはし
ます
らん
かし。
童・・・話等辺
舞の・・・真意之
夜は
いと
をかし。
燈臺に・・・「とうだい・唐代・当代・東大」爾
「問う題・答題・沓台・等拿意」似
向ひ
たる
顏ども、
いと・・・・意図・異図
らう・・・・漏・労・牢・楼・蝋・聾
たげに・・・他解爾
をかし
かり
き。・・・・記・紀
ーーーーー
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