1195日目・・・雑草も毟り取り、水もやった昨日・・・発見出来なかったのに・・・今日は胡瓜が四本、を発見。しかも長さは25センチ前後、太さは6センチ未満・・・は、ある。ミニトマトは赤く色づいていたのが6ヶ・・・キュウリ、ナゼ、昨日は発見出来なかったのだろう・・・急激に生長したとしか思えん・・・兎に角、捥ぎとって、試食してみた。粒粒の棘は無く、皮が張っていて結構かたい・・・ミニトマトも昔、子供のころに食べた味である。皮も張って食感もイイ。早速、お袋の処へ細かく切って持参し、食べてもらった・・・お袋の歯はま

 北海道の地名に「苫小牧(とまこまい)」があるが、「きゅうり(胡瓜)」に類似する「音」の地名はない・・・「蕃茄(バンカ)」はどうか?・・・「挽歌(バンカ)」は1955年(昭三十年)六月から翌1956年(昭31年)七月まで北海道釧路で発行の「ガリ版刷りでワラ半紙」を綴じた同人誌「北海文学」に十回にわたり連載された「原田康子(はらだ やすこ・1928年1月12日〜2009年10月20日)」の、約800枚の長編小説であった・・・
ーー↓原田康子
 父留五郎、母テツ、四女二男の長女として東京中野に生まれ、二歳の時に北海道釧路市川上町に移住。家は製材所を営んでいた。
ーー↓
 ボクはお袋の本棚にあった彼女の「挽歌」を中学校一、二年生の時に読んだのだが・・・「挽歌、輓歌とは中国で葬送の時、柩(ひつぎ)を挽(ひ)く者が歌った歌、人の死を悼む詩歌、挽詩、哀悼(あいとう)歌である・・・
 ・・・それにしても「おばさん」に失礼だけれども・・・アマリにも都合のイイ「生死没の年月日」ではある?・・・1928年・昭和三年・戊辰年・・・「張作霖爆殺事件」・・・2009年・平成二十一年・己丑年・・・1月20日黒人、バラク・オバマ(Barack Hussein Obama, Jr)、第44代アメリカ合衆国大統領に就任・・・「オバマ(Obama)」、ルオ族の「ドルオ語(Dholuo)」で「Obam」・・・「曲がった」という意味であるらしい・・・「曲=よこしま・ヨコシマ」・・・
 「バラク(Barack)=祝福」
 「フセイン(Hussein)=美」
 「オバマ(Obama)=曲がった」・・・?
ーー↓
 「苫=篷」は、「菅(すげ)」や「茅(かや)」などを粗く編んだ「筵(むしろ・莚・蓆」で、「和船」や「家屋」を覆って「雨露」をしのぐのに用いるモノ・・・であるらしい・・・「寧ろ(むしろ)」は、比較の、「それよりは・・・である」のコトバである・・・アイヌ語の「沼の奥にある川」を意味する「トマコマナイ」( to mak oma nay ) 、「マコマイ」川の旧河道・河口を指し示す「トゥマコマイtu-makomai(元の・マコマイ川の河口、河道)」の由来があるらしい・・・「苫」は「茅(かや)」であった・・・そして「茅(かや)」は「葺(萱・かや)」で、「蚊帳」で「中はム(ヨコシマ)の文の帳(巾+長→キン+長)」で、「金鳥蚊取り線香」である・・・しかも、「苫」は「艸(サ・廾・++)→丱」+「占(ト+口)」である・・・
ーーー↓高日は北海道の馬の産地、飼育地
 「天津日高日子番能邇邇藝命」
   ↓
 「天津日高之御子、虛空津日高」
   ↓
 「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」
   ↓
 「若御毛沼命、亦名、豐御毛沼命、亦名、藭倭伊波禮毘古命」
ーー↓苫小牧
 1873年(明治六年)二月
 「苫細」と漢字表記
 それまでは「カタカナ表記」
 東京都八王子市からの移住者が多かった
 1874年(明治七年)八月二十日
 字名を「苫細」から「苫小牧」に改めた
 「枚(まい)」とするところを
 「牧(まき)」にしたのは
 当時の「役人」の「誤記」とあるが・・・?・・・
 「役人」の「意図的なモノ」と思うのがボクです・・・開拓使東京出張所庶務課の「小牧昌業」が自分の名前の「牧(まき)」を「地名の漢字」としたのは「記念」だったのか?・・・それとも「巻・真紀・蒔・薪」の同音漢字を示唆したのか?・・・この「細(こまい・糸+田)かな事件」は「明治七年(1874年)八月二十日」である。「枚=木+攵」ではなく、「牧=牛+攵」を使いたかった、のだ・・・?・・・小牧は愛知県名古屋尾張・・・で、「現存・古事記」の本場、大洲文庫である・・・ローズセラヴィ・・・嗚保素観音・・・モトオリノリナガ・・・本居宣長・・・
 「小牧・長久手の戦い」は
 天正十二年(1584年)に、羽柴秀吉(1586年、豊臣賜姓)陣営と「織田信雄徳川家康」同盟陣営の間で行われた。当時は「長久手」ではなく「長湫」と表記。「湫」=「くで・くて・シュウ」は水草の茂る湿地帯、湿原・・・失言・・・湿気・・・四月・後月(先月、前月の意)・失記・漆器・・・「後志(しりべし)=北海道の地名」・・・「後月郡(しつきぐん・しつきのこおり)=岡山県備中国にあった郡」・・・いくらなんでも、「湫」=「くで・くて」はムリだろう、ッ・・・「長湫→チョウシュウ→長州」・・・徴収・徴集・聴衆・・・
 1584年3月6日
 織田信雄が、羽柴秀吉に通じる三老臣を斬り
 徳川家康と同盟を結び秀吉と断交
 三月二十八日小牧で対峙
 四月九日長久手で合戦
 十一月十一日秀吉と信雄は和議を締結・・・対字、合撰、同名、壱拾壱、和義、綴結・・・
ーー↓とまと・・・ブログ記事からの抜粋
 「唐柿(からがき・トウシ)」
        「柿」の類字に
        「杮落(こけら−おとし)」の
        「杮(ハイ・柾=まさ・柾目の欠片)」
 1708年
 「大和本草貝原益軒」に「唐柿」と記録
 漢字名
 「蕃茄(バンカ)
  トマトの常食は日本では「明治以降」
 「トマトの語源」
 中米・メキシコに栄えた
 アステカ文明の言葉
 アステカ語の「Zitomato」→ジトマト
 英名は「Tomato」→トマト
 仏名は「Tomate」→トマテ
 独名は「Tomaten」→トマテン
 中国語は「西紅柿」
 和名は「アカナス(赤茄子)」
 トマトの別名、異名は
 バンカ・サンゴジュナス・ツルナスビ・トウガキ
 ギリシャ
 「lycos(オオカミ)」+「persicon(モモ)」の合成語?・・・時々「八百屋」では「苫と」と札表示・・・
ーー↓胡瓜
 キュウリ(胡瓜、Cucumis sativus L.)
 ウリ科キュウリ属
 つる(蔓)性一年草、その果実
 日本では平安時代から栽培
 胡瓜は、「胡国、胡人の瓜」
 「キュウリ」の呼称
 漢字で「木瓜」、「黄瓜」(きうり)と記録していたことに由来・・・
 英語は「cucumbers(キュウクンバー)」
    「gherkin (ガーキン)」
 仏語は「Concombre(コンコンブル)」
 オランダ語「komkommer(コムコマラ)」
 ドイツ語「gurke(グルケ)」
 イタリア語「cetriolo(チェトリオーロ)」
 スペイン語「pepino(ペピーノ)」
 ラテン語「cucumis(ククミス)」
     「Cucumis sativus (ククミス・サティウス)」
 古代ギリシャ語「σικυος・sikyos(シキュオス)」
 ロシア語「огурец(アグリエーツ)」
 アラビア語「ヒヤール」
 中国語「フゥァングァ・ホアングア・フーグァ」
 韓国語「オイ」・・・
 ・・・窮理、究理、九里→庫裏、栗、句理、繰り・・・「キューリー婦人(夫人・不尽・布陣)」・・・
ーー↓
 マリア・スクウォドフスカ=キュリー
 (Maria Skłodowska-Curie)
 1876年11月7日〜1934年7月4日
 ポーランドポーランド立憲王国)出身の
 物理学者・化学者
 フランス語名は
 マリ(マリー)・キュリー(Marie Curie)
 ワルシャワ生まれ
 キュリー夫人(Madame Curie)
 放射線の研究で、
 1903年のノーベル物理学賞
 1911年のノーベル化学賞

 パリ大学初の女性教授職に就任
 放射能(radioactivity・radioactivité)という用語は彼女の発案・・・
 ・・・福島原発事故放射能汚染・・・
ーー↓
 「胡瓜遣
 滑稽本、2冊
 「仮名垣魯文(かながきろぶん)」著
 明治五年(1872年)刊は、
 福沢諭吉著の物理学書、3巻の
 「窮理図解(きゅうりずかい)」
 慶応四年(1868年)刊。
 を「捩(もじ)ったモノ」・・・「文字理→摸地理→摸知理→文字裏」だろう・・・
 ・・・北海道の地名に「茂尻」がある・・・
ーー↓茂尻(もしり・もじり)
 アイヌ語
 「ポン・モシリ(小さな島)」
 空知川の中州のこと
 大正七年
 大倉鉱業によって開鉱
 昭和六年
 茂尻炭鉱として独立
 昭和十年
 95人の犠牲者を出すガス爆発事故発生
 同年、経営の悪化から雄別炭鉱鉄道に買収
 昭和四十三年
 年産50万トン達成
 昭和四十四年四月二日
 ガス爆発事故発生(46名死傷)
 同年五月三十日閉山
 ・・・最近の「大陸中国の炭鉱事故」は、かっての日本の炭鉱産業の「炭鉱事故」と同類である・・・だが死傷者の「数だけ」を見れば「現今の大陸中国炭鉱事故」は膨大な死傷者を出している・・・
 ・・・松浦武四郎」に聞(訊)いてみたい・・・君の意図は「文字裏」だろう・・・
ーーーーー
 枕草子
 (八八段)・・・八十八段・八拾八段・捌足捌
         8+8=16=十六=壱拾六=足陸
         8×8=64=六十四=陸足肆
 里・・・・・裏・理・吏・・利・履・鯉
       浬・離・莉・璃・狸・梨・李
 に・・・・・爾・二・弐・仁・邇
 まかで・・・真か出・間か出・マカ出
       摩訶不思議(まかふしぎ)
      「摩訶」
       摩訶般若波羅蜜多心経
      (まかはんにゃはらみったしんぎょう)
       摩訶曼陀羅
      (まか まんだらげ)
       摩訶曼珠沙華
      (まかまんじゅしゃげ)
       仏教用語
 たる・・・・多留
 に、・・・・似・爾・邇・児・尼・荷
       丹(タン)→譚・探・炭(タン)
       荷(はす)→蓮華・葉諏
 殿上・・・・伝帖・伝條・伝場・伝定
 人
 などの
 來るも、
 安
 からず
 ぞ
 人々
 いひ
 なす
 なる。
 いと
 あまり
 心に
 引き
 いり
 たる
 覺・・・・・おぼえる・憶える
       書く・掛句
 はた・・・・葉多・葉他・傍
 なければ、・名懸例葉
 さいはん・・再販・再版・再犯・裁判
 人も
 にく・・・・似句・爾句
 からず。
 また
 夜も
 晝も
 くる人
 をば、
 何
 かは
 なし
 なども
 かが
 やき
 かへ
 さん。
 誠に
 睦じく・・・むつまじく→陸奥間字句
 など
 あらぬも、
 さ・・・・・佐・差・作・鎖
 こそは・・・拠措葉
 來めれ。・・決めれ・極めれ・記目例
 あまり
 うる
 さ
 くも・・・・句摸
 實に
 あれば、
 この
 たび
 出で
 たる
 所を
 ば、
 いづく
 とも
 なべて・・・並べて・名部出
 には
 知らせず。
 經房、・・・形望
 濟・・・・(経)済
 政・・・・・政(治)
 の
 君・・・・・訓・釧・勲・組む・句務
 など
 ばかり
 ぞ
 知り
 給へ
 る。

 左・・・ひだり
 衞・・・まもる
 門・・・もん
 尉・・・い
 則・・・のり
 光・・・ひかり
 が
 來て、
 物語など
 する
 ついでに、
 昨日も
 宰
 相
 中
 將・・・将に
 殿の、
 妹の
 あり處
 さりとも
 知らぬ
 やう
 あらじと、
 いみじう
 問ひ
 給ひしに、
 更に
 知らぬ
 よし
 申ししに、
 あや
 にく
 に
 強ひ
 たまひし事
 など
 いひて、
 「ある事あらがふは、いと佗しうこそありけれ。ほとほと笑みぬべかりしに、左中將のいとつれなく知らず顏にて居給へりしを、かの君に見だにあはせば笑みぬべかりしに佗びて、
 臺
 盤
 の
 うへに
 怪しき
 和
 布
 の
 ありしを、
 唯
 とりに
 取りて
 食ひ
 まぎらはし
 しかば、
 中間に
 あやしの
 食物やと人も見けんかし。されど、
 かしこう
 それ
 にて
 なん申さずなりにし。
 笑ひ
 なま
 しかば
 不用ぞかし。
 まことに
 知らぬ
 なめり
 と
 思したりしも、をかしうこそ」など語れば、「更にな聞え給ひそ」などいとどいひて、日ごろ久しくなりぬ。
 夜いたく
 更けて、
 門・・・・・・文・可努
 おどろおどろ
 しく・・・・・四句・四区・詞句
 叩けば、・・・多々懸葉(場)
 何の
 かく
 心もと
 なく
 遠からぬ
 程を
 叩く
 らん
 と聞きて、
 問はすれば、
 瀧口・・・・・多紀句知・多記愚痴
 なり
 けり。
 左衞門の
 文とて、
 文をもてきたり。
 皆・・・・・・掛意・甲斐・改
 ね・・・・・・音・値・子・根
 たる
 に、
 火・・・・・・比
 近く・・・・・知可句
 取りよせて見れば、
 「明日
  御讀經・・・音読教
  の・・・・・之
  結願
  にて、
  宰相・・・・再想
  中・・・・・註・注
  將・・・・・将に
  の・・・・・之・埜・廼
  御物忌に・・音摸之意味
  籠り
  給へるに、
  妹の・・・・意摸・異摸
  在處
  申せと責めらるるに、
  すぢなし、・・素字名詞・諏事無し
  更に
  え
  隱し
  申すまじき。そことや聞かせ奉るべき。
 いかに
 仰に
 隨・・・・・隋書
 はん」・・・版・判
 とぞ
 いひたる。
 返事も・・・変事・片時・変字
 書かで、
 和布を・・・倭赴・話附
 一寸ばかり
 紙に・・・・史(詞)似(爾)
 包みて・・・通通見出
 やりつ。
 さて
 後に
 きて、
 「一夜
  責めて
  問はれて、
  すずろなる
  所に率てありき奉りて、
  まめやかに
  さいなむに、
  いと
  からし
  さてとかくも御かへりのなくて、そぞろなる和布の端をつつみて取へりしかば、取りたがへたるにや」といふに、怪しの違物や。人のもとにさる物包みて贈る人やはある。いささかも心得ざりけると見るがにくければ、物もいはで、硯のある紙のはしに、
 かづき
 する
 蜑の・・タン
ー↓ーーー↓
     魚介をとったり、
     藻塩を焼いたりする
     業者・漁師
     古くは海部(あまべ)に属した
     あまびと・いさりびと
     蜑(あま・タン)は
     蜑女、海人、海女、海士、海部、塰
       ↓
   宋代の書『嶺外代答』の記述
   漁労に長けた「魚蜑」
   水に潜ってカキを採る「蠔蜑」
   山から木を取る「木蜑」
   正字は「蜑」
   マカオの漁民の9割以上が水上生活
   福建省の水上生活者
   「曲蹄」、「曲蹄囝」と蔑称される
   足で舵を取るなどの日常動作によって、
   足の形が変わっていることによる
  「科題」とも呼ばれた
   広東省東部(潮汕地区)の
   水上生活者と
   合わせて、
  「福佬」、「鶴佬」(ホクロウ)など
   とも呼ばれる
   海の守り神の媽祖(天后)を信仰
   ↓
  「蜑女」を「あま」と読み、
   日本の漁民や海女を指す例
   「南総里見八犬伝」に、
  「蜑家舟」と書いて「あまぶね」と
   読む語が記録
   近代から近世にかけて
   家船と呼ばれる船上の生活者がいた
   漁業を営み、本拠とする海域の中で、
   陸上に住む者と物々交換などの交易し
   昭和四十年ごろまで存在した
   「あま」は万葉集で「白水郎」
ー↓
 住家は
 そこ・・・・底→船の底
 なりと
 ゆめ
 いふな
 と
 やめを・・・夜目・八女・已め
 くはせ・・・句葉施
 けん・・・・懸
 と
 かきて出したれば、「歌よませ給ひつるか、更に
 見侍らじ」・・視葉部等字
 とて
 あふぎ・・・亜付議・蛙付議・奥義
 かへして
 遁げ・・・・似解
 て
 いぬ。
 かう
 互に
 後見・・・・語兼
 かたらひ・・可多等比
 など・・・・等
 する中に、
 何事ともなくて、
 少し中あしくなりたるころ、
 文おこせたり。
 「便
  なき事
  侍る
  とも、
  ちぎり
  聞えし事は
  捨て給はで、
  よそに
  ても
  さぞ
  などは
  見給へ」といひたり。常にいふ事は、
 「おのれを
  おぼさん
  人は、
  歌など
  よみて
  え
  さ
  す
  ま
  じき。
  すべて仇敵となん思ふべき。今はかぎりありて絶えなんと思はん時、さる事はいへ」といひしかば、この返しに、
 くづれ
 よる
 妹脊の・・・・いもせ
ーー↓ーーーーー↓
        妹背牛町(もせうしちょう)
        北海道
        空知総合
        振興局
        管内北部の町名
        町名の由来
        アイヌ語の「モセウシ」
        「モセ・ウシ・イ」
        (イラクサ・繁茂している・処)
        (カヤ刈りをする・のが習いである
         もの<場所>)が転訛したモノ
        当初は「望畝有志」と表記
        明治三十一年=1898年
        清国年号
        光緒23年十二月九日
        光緒24年十一月十九日
        1898年
        現行の表記
       「妹背牛」に変更
        1899年
        華族組合雨竜農場、雨竜平野に開場
        1923年
        妹背牛村、深川村(深川市)より分立
ーー↓ー
 山の・・・・纂
 なか
 なれば
 さらに
 よし
 野の
 かは
 と
 だに
 見
 じ
 と
 いひ遣りたりしも、
 誠に
 見ずや
 なりけん、
 返事もせず。
 さて
 かうぶり・・・考振り・交振り・項振り
        口振り・請う付理
 得て
 遠江介・・・・遠航海・宛考掛意・鉛鉱甲斐
 など
 いひしかば、
 にく
 くして
 こそ
 やみ
 に
 しか。
ーーーーー
 ・・・