1193日目・・・不思議と云えば「不思議な数」である・・・第「23(念参)」回参院選・・・「22(弐拾弐)」日未明・・・改選定数「121(壱百弐拾壱)」の全議席数・・・自民党「65(陸拾伍)」、民主党「17(壱拾漆)」、公明党「11(壱拾壱)」、みんなの党「8(捌)」、共産党「8(捌)」、日本維新の会「8(捌)」、社民党「1(壱)」、諸派・無所属「3(参)」・・・「参議院選挙最終投票率、52.61%」・・・金権のマツリゴトに回帰・・・?・・・元々だけれど・・・

 今日は・・・肌寒い日である・・・かな・・・「ネジ釘」が折れなければイイのだが・・・
 自分自身の書き込んだ「文章」と言うか、「作文」も読んでくれる人には、かなり理解困難、解読困難であると思われているが・・・事実、そのとおりデあるが・・・他人を理解させるのは難しい・・・以下の「抜粋原文」も・・・
ーー
 宇宙全体の「温度」は「何度か?」はボクの問いかけである・・・「無限」?、であるらしい・・・「無限」って、宇宙全体の温度は測定不可能、と言うことか?・・・「恒星の温度」が判っているなら、「恒星の数の温度の総和」ぐらいは判る?だろう・・・「全宇宙の星の数」も未だ判っていないか・・・もし、「宇宙全体の温度」が「均衡状態」になったら・・・「宇宙の動き」は止まる・・・?・・・って、妄想してしまう・・・の、だがね・・・
 「温度」も何かを「基準値」としなければ「測定出来ない」であろ・・・が、
 温度には下限が存在し、
 分子運動が
 止まっている状態が
 温度「0K(絶対零度)」を
 もし、「量子力学」における「不確定性原理」を無視して、絶対温度「0」で「物質の分子運動が止まる」に適合させたら「宇宙の動きは止まる」・・・
 ・・・そもそも「温度」とはナニ?・・・
 以下の原文は「ウイッキペデア」・・・以前にも同じようなモノを抜粋したけれど・・・
ーー
 温度
 寒暖の度合いを
 数量で表したもの
 具体的には
 物質を構成する
 分子運動のエネルギーの
 統計値
ーー
 温度には下限が存在し、
 分子運動が止まっている状態が
 温度「0K(絶対零度)」
 ただし、
 分子運動が
 「0」となるのは古典的な極限
ーー
 実際は、
 量子力学における
 不確定性原理から、
 絶対零度であっても、
 分子運動は
 「0」にならない(止まっていない)。
ーー
 温度は
 それを構成する
 粒子の運動である
 化学反応に直結し、
 それを元にする
 あらゆる現象における
 影響力を持つ
ーー
 生物にはそれぞれ
 「至適温度」があり、
 ごく狭い範囲の温度の下でしか
 生存できない。
 なお、日常では単に
 温度といった場合、
 気温のことを指す
ーー
 平衡状態における
 分子の運動エネルギーを、
 エントロピーという
 統計値で微分したもの
ーー
 エントロピー 【entropy】
 《変化の意のギリシャ語tropから》
 1) 熱力学において物質の状態を表す量の一。
  等温可逆的な変化で、ある物質系が熱量を吸収したとき、
  エントロピーの増加は
  吸収熱量を
  温度で
  割った値に等しい。
  熱的に
  外部から孤立した系では、
  内部変化は
  つねに
  エントロピーが増す方向に起こる。
  1865年クラウジウスが導入。
  系の秩序に関連する度合いで、
  エントロピーが高くなることは
  乱雑さが増すことを示す。
ーー↓ー
 そもそも、この「宇宙の枠内」で「外部から孤立した系」なんて、存在するのか?・・・「孤立」ではなく、現実には「個々の限定された枠内のモノ、個々に区別された枠内のモノ」であろう・・・「孤立」は人間の「認識論」的な「範疇概念」である・・・「存在論」としての「コトバ」ではないだろう・・・
ーー
 2) 情報理論で、
  ある情報が得られる確率をもとに、
  情報がどれだけ欠如しているかの状態を示す量。
  情報の不確定さの度合い。
ーー↓
 ・・・ここは「温度」の問題だから1)の検討であるが、「日本語訳」が必要だ・・・
 「等温可逆的な変化」とはナニか?・・・「ある物質形態AとBの接触で双方の温度差が無くなる温度変化」、「可逆」とは「温度差のやりとりで温度差が無くなる」、「接触物質の双方の温度が等しくなる」と言う事だろう・・・「ある物質系」とは「一かたまり、一個の形態の物質」であろう・・・「高い熱量のA」は「低い熱量のB」にその「Aの熱量」の「吸収」を温度差がなくなるまで増大させていく・・・と、いうことだろう・・・?・・・コンロの火の温度→鍋の温度→肉の温度→空気→移動温度の拡散・・・物質と物質の位置(距離)関係、空間(密度)関係の問題である・・・
ーー↓
 真の意味での
 温度の
 平衡状態は
 自然界の
 「個々の物質・個々の領域・個々の空間」
 「個々の動植物」では・・・マッタクない・・・である。
ーー
 必要に迫られて
 非平衡状態、
 計測上の
 便宜的な定義である
ーー
 現時点で、
 非平衡状態での温度の定義は、
 本来の意味で定義できない
 途上段階の定義
ーー
 温度は、
 非常に
 計りにくい
 物理量の一つで
 温度とは
 統計値であるため、
 分子数が少ない場合
 (低密度状態、または非常に狭い範囲を対象にする場合)には、
 統計的に値が安定せず、
 意味が無くなる
 もう一つは、
 非常に大量の数の
 分子の運動状態を
 一個一個観測することは
 現在の技術では不可能
ーー
 代わりに
 間接計測を行っている
 計測の方法として、
 計測対象となる物体から
 放射される
 電磁波を計測する方法や、
 長い時間をかけて
 計測プローブ(検出器)
 を
 計測対象となる
 物体に
 接触させ
 熱平衡状態にさせてから計る方法がある
 どちらの方法も、
 何らかの
 計測上の問題を抱えている
ーー
 近年の
 高速温度測定装置
 対象物の大きさ
 数十ミクロン、
 測定時間は
 数ミリ秒程度で測定可能
 物理現象を捕らえる
 一つの手段としての
 有効性が向上
ーー
 物体の
 「寒暖の度合い」を
 定量的に表そうという試みを初めて行ったのは
 ガリレオ・ガリレイ
 初めて目盛付き温度計により
 数値によって温度を表現したのは
 オーレ・レーマー
 レーマーは
 水の沸点を
 60度、
 水の融点を
 7.5度
 とする温度目盛を作成
 温度目盛を作成するには
 任意の
 2点の
 定義定点が必要である
 かつては
 温度と
 熱というのは
 ほとんど同じ概念を示していた。
 温度と熱の違いを
 ジョゼフ・ブラックは
 氷が融解している
 最中は
 熱を吸収しても
 温度が変化しない
 「潜熱」を発見
 また温度の違う
 同質量の
 水銀と
 水を
 混ぜる実験を行い、
 それぞれ
 水と水銀の温度変化に
 ある
 定数を
 掛けた値が
 常に
 等しくなることを発見
 すなわち
 熱容量の概念を発見した
ーー
 熱の移動量=熱容量×温度変化
ーー
 これらの実験により
 温度と熱が
 別物であることが確立
 その後、19世紀
 ニコラ・レオナール・サディ・カルノー
 熱機関の効率には
 熱源と
 冷媒の間の
 温度差によって決まる
 上限があることを発見
ーー↓
 冷媒
 冷凍機や熱ポンプにおいて、
 低温の物体から高温(→高音)の物体に
 熱を運ぶ
 作動流体。
 その逆の
 高温の物体から低温(→低音)の物体に
 熱を運ぶ
 作動流体、 
 蒸気機関車の「熱媒体」は「水・蒸気(スチーム)」である。
 ・・・「霊媒」は「心霊現象の巫女(みこ・フブ)・覡(かんなぎ・ケキ・ゲキ)」である・・・数字の「零倍」は「レイ・0・ゼロ」・・・である・・・「音波・超音波」も「振動」で、その「音波」は「エネルギー」を「対象物」に与えている・・・「ワイングラス」は「音波」で割れる・・・「ワインレッドの心」は「グラス」の崩壊で粉々に割れる・・・?
ーー
 熱力学第二法則
ーー
 外部から
 仕事が
 なされない限り、・・・・仕事をしても、しなくても
             接触、接点があれば、で、ある。
             接触、接点とは
             物質の「空間距離・密度」である
             物質は常に動いている
 熱エネルギーは
 温度の高い物体から
 温度の低い物体に移動する
 温度とは
 熱エネルギーが
 自然に移動していく
 方向を示す指標である
ーー
 ウィリアム・トムソンは
 カルノーサイクルで
 熱源と冷媒に出入りする
 熱エネルギーから
 温度目盛が
 構築できることを示した
 これを
 熱力学温度目盛という
 熱力学温度においては
 一つの定義定点は
 カルノーサイクルの効率が
 1となる温度であり、
 摂氏温度目盛で表せば
 「−273.15℃」である。
ーー
 熱力学第二法則によれば、
 この温度に到達するには
 無限の仕事が必要となり、
 それより低い温度は存在しない。
 この温度を
 絶対零度ともいう。
 熱力学温度目盛ではこの
 絶対零度
 原点(0 K)としている。
 温度の下限の存在は
 シャルルの法則から、
 あらゆる
 気体の体積が
 「0」となる
 温度として考えられていた。
ーー
 原子、分子レベルにおける
 温度の意味
 ジェームズ・クラーク・マクスウェルの
 気体分子運動論によって明らかとなった。
 気体分子の
 速度の
 分布は
 マクスウェル分布に従い、
 この分布関数の形状は
 温度に依存している。
 特に
 気体分子の
 平均運動エネルギーは
 3/2 kT(k:ボルツマン定数、T:熱力学温度)
 温度に比例する。
 すなわち
 温度は
 分子運動の激しさを
 表す数値でもある。
 このため
 プラズマ中の
 イオンや電子の持つ
 平均運動エネルギーを
 温度で表現することがある。
 この時は
 通常平均運動エネルギー = kT
 となる
 温度「T」によって表現する。
ーー
 ルートヴィッヒ・ボルツマン
 このマクスウェルの考え方を発展させ
 統計熱力学を構築
 統計熱力学では、
 あらゆる形態の
 エネルギーにこの考え方が拡張されている。
 温度が高いほど
 高いエネルギーを持つ原子や分子の割合が大きくなり、
 原子や分子の持つ平均エネルギーの大きさも増加する。
 統計熱力学において
 温度は
 分子のエネルギー分布の
 仕方を表す指標
ーー
 量子論が確立してくると、
 古典的な統計熱力学は
 量子統計の
 近似であることが明らかとなった。
 古典論においては
 「0 K」において
 あらゆる粒子は
 運動を停止した
 最低エネルギー状態をとることになるが、
 量子論においては
 粒子は「0 K」においても
 零点エネルギーを持ち
 静止状態とはならない。
 また、
 ボース粒子のエネルギー分布は
 ボース・アインシュタイン分布、
 フェルミ粒子のエネルギー分布は
 フェルミディラック分布となる。
 フェルミ粒子においては
 パウリの排他原理により、
 絶対零度においても
 古典論では
 数万 Kにも相当するような
 大きなエネルギーを持つ
 粒子が存在し、
 温度を古典論のように
 単純に
 粒子のエネルギーの
 大きさの
 目安とすることはできない。
 しかし、
 温度が分子の
 エネルギー分布の仕方を表す指標であることは
 古典統計と変わっていない。
ーー↓
 ・・・ィヤァ〜ッ、ナカナカ、「理解する」には難しい・・・「ニホン語」なのか?、これって・・・
 以下の原文も「ウイッキペデア」
ーー↓???
 エネルギー保存の法則(the law of the conservation of energy)
 「ある孤立系の中のエネルギーの総量は変化しない」
 とする法則
 「エネルギー保存則」、
 「熱力学第一法則」と
 表現される
ーー
 アリストテレスの哲学用語
 ものがもつ
 「可能態」の中から
 現実化された
 「現実態」=「エネルゲイア
 「活力(運動力)」が具体的な
 「仕事状態(運動状態)」に変化しつつあるコト
ーー 
 熱力学
 第一法則では、
 dU=「δQ − δW」
 「dU」は密閉された空間内部のエネルギー変化、
 「δQ」は密閉された内部に外部から加えられた熱量、
 「δW」は密閉された内部が外部にした運動量
 「熱」も「仕事」も
 同じエネルギーの一種であり、
 「エネルギー収支(増減)」が
 「内部エネルギー変化」とする法則
ーー
 加えられた熱量の分だけ
 内部エネルギーが増加し、
 外界に対して行った仕事の分だけ
 内部エネルギーは減少する
ーー
 質量保存の法則
 質量=エネルギー
ーー
 1905年
 アインシュタインは、
 質量=エネルギー
 等価交換可能
 とした
ーー
 特殊相対性理論
 質量=エネルギー
 E=mc²
 質量はエネルギーの一つの形態
 「質量」には
 「相互変換」する
 「エネルギー」の総和が保存
ーー
 「原子核反応」や
 「電子対創生」などの
  実験において確認
ーー
 なを、それに伴って、
 「質量保存則は(厳密に言えば)成り立っていない」と
 考えられるようになった。
 「原子核反応」を扱う場合においては、
 「質量」の「エネルギーへの変換」は
 無視できないほど大きく、
 「質量は保存されていない」として計算
ーー
 「β崩壊」は
 「エネルギー保存則」が成立していない事例
ーー 
 1932年
 パウリとフェルミが、
 「β崩壊の事例」で
 「中性の微子が存在」と予想し
 1956年
 「微子(ニュートリノ)」が確認され
 「エネルギー保存則」が
 成り立っているとされた
ーー
 「エネルギー保存の法則
 「最も基本的な物理法則の一つ」
ーー
 量子力学
 エネルギー保存則
 量子力学ではあらゆる物理量に対応する
 「エルミート作用素」が存在するが、
 「エネルギー」に対しては
 「ハミルトニアン作用素」が対応
 「外部系」との相互作用がない
 「孤立系」を考えると、
 「シュレーディンガー演算子」には
 露わな
 「時間依存性」がない
 「ハミルトニアン」に対する
 「ハイゼンベルグ方程式」
 から自明で
 「孤立系のエネルギー」が保存する
ーー
 時間とエネルギーの
 不確定性関係のために
 短時間では
 エネルギー保存則が
 破れるという記述もあるが、
 それは
 「摂動論」における
 「自由ハミルトニアン部分の保存則の破れ」にすぎず、
 「相互作用項」まで加えた
 全エネルギーは常に厳密に
 「保存」する
ーー
 エネルギーの「量」と「質」
 「エネルギー保存の法則」が成立したと仮定し、
 「宇宙がエネルギーの総量が一定の閉鎖系」
 だと仮定すると、
 「エントロピーの小さいエネルギー」は
 時間とともに減少
 「エントロピー」は
 局所的には
 増加も減少もするが、
 宇宙全体としては常に増加
 (熱力学第二法則
 「エントロピーの増加」は
 エネルギーの
 「質(そのエネルギーからどれだけ仕事を得られるか)」の
 低下を意味し、
 宇宙に存在する
 全てのエネルギーは
 最終的にはもはや
 外部に対して
 何ら仕事をすることができない
 均一な
 熱エネルギーとなる(熱的死)
ーー↓???・・・ナンだ、コレは・・・
 エネルギー問題における
 エネルギーの有限性は、
 「エントロピーの小さいエネルギー」の
 存在量を問題としている
 人類(および他のあらゆる存在)は、
 「質の良い(小)エネルギー」を
 「質の悪い(エントロピーの大きい)エネルギー」に
 転換する過程で仕事を得ている
 エネルギーの
 仕事への変換効率は
 エネルギーの質が低くなるほど
 原理的に低下し、
 エネルギーを消費していく
 「エネルギー保存の法則」が
 成り立つということは
 「(有用な)エネルギーはいくら使ってもなくならない」という意味ではない
 (第二種永久機関の否定)。
 ・・・ナンジャイ、これは、評論?・・・「循環論」はどうだ・・・
ーー
 「相対性理論」によれば
 「化学反応」によって
 放出または吸収された
 エネルギーに相当する質量変化が起こっており、
 質量は厳密には保存されていない・・・
 「化学反応の前後」で、
 それに関与する
 「元素の種類と各々の物質量は変わらない」という
 表現がより正確な表現となる・・・
 「核反応の世界」では
 実験的に十分に
 測定可能なだけの
 質量変化が起こっており、
 反応の前後で
 元素の種類や各々の物質量も変化していく。
 「素粒子論の世界」では
 「物質・質量の生成や消滅」が
 広範に起こっている・・・?
 これらの世界においては、
 「質量保存の法則」や
 「物質の不変性・不滅性」は
 全く成り立っていない・・・?
ーー↓
 「全く成り立っていない」じゃぁなく・・・「物質の変化」だろう・・・「不滅性」は「消滅する=無」ということではない、のさッ・・・
ーー
 「化学反応の前後で質量の総和は変わらない」
 ではなく
 「化学反応で保存されるのは物質量」である
ーー
 木や紙は燃やすと灰となって
 「質量」が大幅に減少する
 反対に
 スチールウールなどの金属は
 「質量」が増加する
 アインシュタイン相対性理論において、
 E=mc²
 という数式を提示し、
 質量はエネルギーは等価関係にある、とすることを提唱した
 「質量は消滅してエネルギーに変化」
 閉じた系の「質量の総和が一定である」ということを
 公理として扱っていた。
 しかし、
 相対性理論を考慮に入れた現代物理学では、
 「質量の総和が一定である」という命題は
 日常的な場面において、
 あくまで
 近似的に成立するものであるとされている。
ーー
 特殊相対性理論
 質量とエネルギーは等価であり、
 閉じた系において保存されるのは
 「質量の総和」ではなく
 「(質量を含む)エネルギーの総和」であるとされる。
 従って、
 化学反応によってエネルギーが吸収・放出されれば、
 それだけ質量も変化することになる。
ーー?
 「高エネルギーの素粒子反応」においては
 「粒子」が
 「消滅」したり、
 「新しく創られたりすること」は、
 ごく普通の現象である
ーー↓
 ・・・「消滅」、「新創造」のコトバは「物質の変化」のコトだろう・・・「消滅=無」ではないし、「新創造」は「無からの有」ではない・・・「消滅=有の変化」、「新創=有の変化」である・・・
ーー
 質量とエネルギーの
 等価性が無視できないものとしては、
 「対生成」や
 「対消滅」、および
 「核反応」のような
 強い相互作用に基づく変化がある。
 一方、
 「電磁相互作用」に基づく変化(化学変化など)、
 「弱い相互作用」に基づく変化(ベータ崩壊など)、
 「重力相互作用」に基づく変化(物体の落下による位置エネルギーの消費など)では、
 相対論的効果による質量の変化は無視しても問題ないほど小さい。
 そのため、
 化学反応における
 「質量の保存」は
 近似的に成立していると考えることができる。
ーーー
 ただし、重力による位置エネルギーについては、この宇宙が発生した原理にかかわるものである。
 宇宙が無から発生したのは何故かというのは、ある意味、哲学的な命題であるが、
 少なくとも
 「質量」と
 「エネルギー」については解決を見ている。
 つまり、
 この宇宙全体の
 質量とエネルギーの総和はゼロである
ーー↓
 ・・・「総和がゼロ」と言うことは「ゼロ=無」ではなく、「存在のスベテ」、「ゼロ=有」と言うコトですな・・・
ーー
 「位置エネルギー」は
 重力ゼロの状態を
 基準点とするため、
 マイナスの値を取る
 というのが、
 この命題の回答である・・・?・・・「名題」ですか・・・「命題」は「みこと(見事)」である・・・そして「認識論」と「存在論」の区別の問題である・・・
ーー
 ・・・今日の「枕草子」は・・・(八六段)・・・
 (八六段)・・・八十六段・八拾六段・捌足陸段
         8+6=14=十四=壱拾四=足肆
         8×6=48=四十八=四拾八=肆足捌

ーーーーー
 頭中將そぞろなる
 そらごとを聞きて、
 いみじう
 いひおとし、
 「何しに人と思ひけん」
 など
 殿上にても
 いみじく
 なんの給ふと聞くに、はづかしけれど、
 「實ならば
  こそ
  あらめ、
  おのづから
  聞き
  なほし
  給ひ
  てん」
 など笑ひてあるに、
 黒戸のかたへなど渡るにも、
 聲などする折は、
 袖をふたぎて
 露見おこせず、
 いみじう
 にくみ給ふを、とかくもいはず、見もいれで過ぐす。
 二月
 つごもりがた、
 雨
 いみじう
 降りて
 つれづれなるに、「御物忌にこもりて、さすがにさうざうしくこそあれ。物やいひにやらましとなんの給ふ」と人々かたれど、
 「よに
  あら
  じ」
 など答へてあるに、一日しもに暮して參りたれば、
 夜の
 おと
 どに
 入らせ給ひにけり。
 長押の下に火近く取りよせて、さし集ひて篇をぞつく。「あなうれしや、疾くおはせ」など見つけていへど、すさまじき心地して、何しにのぼりつらんとおぼえて、炭櫃のもとにゐたれば、又そこにあつまりゐて物などいふに、
 「なにがし
  さぶらふ」と
 いと
 花やかにいふ。
 あやしく、
 「いつの間に
  何事の
  あるぞ」と
 問はすれば殿主司なり。
 「唯
  ここに
  人傳
  ならで
  申す
  べき事
  なん」といへば、
 さし出でて問ふに、「これ頭中將殿の奉らせ給ふ、御かへり疾く」といふに、
 いみじく
 にくみ給ふを
 いかなる
 御文ならんと思へど、「只今急ぎ見るべきにあらねば、いね、今きこえん」とて懷にひき入れて入りぬ。なほ人の物いふききなどするに、すなはち立ちかへりて、
 「さらば
  その有り
  つる
  文を
  賜りて來と
  なん仰せられつる。
  疾く疾く」と
 いふに、
 「あやしく伊勢の物語なるや」とて見れば、青き薄樣にいと清げに書き給へるを、心ときめきしつるさまにもあらざりけり。
   「蘭省の
    花の
    時
    錦帳の
    下」
と書きて、「末はいかにいかに」とあるを、如何はすべからん。御前のおはしまさば御覽ぜさすべきを、
 これが
 すゑ
 知り顏に、
 たどたどしき
 眞字は書きたらんも
 見ぐるしなど、思ひまはす程もなく、
 責め
 まどはせば、唯その奧に、すびつの消えたる炭のあるして、
   「草の庵を誰かたづねん」
と書きつけて取らせつれど、返事もいはで、
 みな寐て、翌朝いと疾く局におりたれば、
 源・・・みなもと
 中・・・なか
 將・・・将(まさ)に・・・ず(・・・でない)
 の・・・之
 聲・・・音声
 して、「草の庵やあるある」とおどろおどろしう問へば、「などてか、さ人げなきものはあらん。
 玉・・・タマ
 の・・・之
 臺・・・イチ
 もとめ給はましかば、いで聞えてまし」といふ。「あなうれし、下にありけるよ。上まで尋ねんとしつるものを」とて、昨夜ありしやう、
 「頭・・・トウ
  中・・・なか
  將・・・まさに
  の・・・之
  宿・・・シュク
  直・・・じか・チョク
  所・・・ところ・ジョ・ショ
  にて、少し人々しきかぎり、
 六位まで集りて、
 萬の人のうへ、
 昔今と語りていひし
 序に、
 猶このもの
 無下に
 絶えはてて後こそ、
 さすがに
 え
 あら
 ね。もしいひ出づる事もやと待てど、いささか何とも思ひたらず。
 つれ
 なき
 が
 いと
 ねた
 きを、今宵惡しとも善しとも定めきりて止みなんかして、皆いひ合せたりしことを、只今は見るまじきとて入りたまひぬとて、主殿司來りしを、また追ひ歸して、ただ袖をとらへて、東西をさせず、こひとり持てこずば、
 文を
 かへし
 とれと
 誡めて、さばかり降る雨の盛に遣りたるに、いと疾く歸りきたり。これとてさし出でたるが、
 あり
 つる
 文なれば、
 かへしてけるかとうち見るにあはせてをめけば、あやし、いかなる事ぞとてみな寄りて見るに、
 いみ
 じ
 き
 ぬす
 人かな。
 なほえこそすつまじけれと見さわぎて、これがもとつけてやらん、
 源
 中
 將
 つけよなどいふ。夜更くるまでつけ煩ひてなん止みにし。この事かならず語り傳ふべき事なりとなん定めし」と、いみじくかたはらいたきまでいひきかせて、
 「御名は
  今は
  草の
  庵と
  なん
  つけ
  たる」とて急ぎたちたまひぬれば、
 「いとわろき名の末まであらんこそ口惜しかるべけれ」といふほどに、
 修・・・おさめる
 理・・・リ・ことわり
 亮・・・あきらか・すけ・リョウ・ロウ
 則・・・すなわち・のっとる・ソク
 光・・・ひかる・ひかり・コウ
 「いみじきよろこび申しに、うへにやとて參りたりつる」といへば、「なぞ
 司
 召
 ありとも
 聞えぬに、
 何になり給へるぞ」といへば、「いで實にうれしき事の昨夜侍りしを、心もとなく思ひ明してなん。
 かば
 かり
 面目
 ある事
 なかりき」とて、はじめありける事ども、中將の語りつる同じ事どもをいひて、
 「この返事に
  隨ひて
  さる物
  ありと
  だに
  思はじと、頭中將の給ひしに、ただに來りしはなかなかよかりき。
 持て來りしたびは、如何ならんと胸つぶれて、まことにわろからんは、兄のためもわろかるべしと思ひしに、なのめにだにあらず。そこらの人の褒め感じて、兄こそ聞けとのたまひしかば、下心にはいとうれしけれど、さやうのかたには更にえ侍ふまじき身になんはべると申ししかば、
 言
 加へ
 聞き
 知れ
 とには
 あらず、ただ人に語れとてきかするぞとの給ひしなん、少し口をしき兄のおぼえに侍りしかど、これがもとつけ試るにいふべきやうなし。殊に又これが返しをやすべきなどいひ合せ、わろき事いひてはなかなかねたかるべしとて、夜中までなんおはせし。
ーーーーー
 これは身のためにも人のためにも、さていみじきよろこびには侍らずや。司召に少將のつかさ得て侍らんは、何とも思ふまじくなん」といへば、實に數多して、さる事あらんとも知らで、ねたくもありけるかな。これになん胸つぶれて覺ゆる。この妹兄といふことをば、うへまで皆しろしめし、殿上にも官名をばいはで、
 「せうと」
 とぞ
 つけたる。
 物語などして居たる程に、「まづ」と召したれば參りたるに、この事仰せられんとてなりけり。うへの渡らせ給ひて、語り聞えさせ給ひて、「男ども皆扇に書きて持たる」と仰せらるるにこそ、あさましう何のいはせける事にかと覺えしか。
 さて後に袖几帳など取りのけて、思ひなほり給ふめりし。
ーーーーー
 ・・・イト、ヤクスほどにも、べけぬ・・・カナ・・・