1185日目・・・「春秋左氏伝」には「BC709年」には「日食」があったとの記録があるらしい・・・「左氏伝」とは「孔子」の書いた「春秋」の解説書で、「魯の曲阜で桓公・三年七月壬辰朔(さく)に日蝕」の記事・・・「日食=地球→月→太陽」で、旧暦の朔日(一日・ついたち)か晦日(三十日・みそか)に起こる現象である・・・ブログ記事にはこの日の「干支」は「壬辰」であったらしいコトが書かれてあった・・・以前に天照大御神の「天の岩戸隠れ」が「卑弥呼の時代の日食」のコトではないのか、との天文学者のダレかが書いていたのを調

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 卑弥呼の死(247年・248年)
 この時代、日本列島での日食が二回・・・
 推古天皇の死
 (推古三十六年三月七日・628年4月15日)
 日食の記録は
 推古三十六年三月二日(628年4月10日)
 部分日食
 三月丁未朔、戊申日有蝕尽之
 「日本書紀巻二十ニ」
ーーー↓日食
 「岩倉具視」の死亡と関係あるや、ナシや・・・「文政八年九月十五日(1825年10月26日)〜明治十六年(1883年)7月20日)」・・・日本で初めて「皆既日食」の観測が行われたのは、「1887年(明治二十年)八月十九日」・・・同年四月三十日は法律顧問ロェスレル「日本帝国憲法草案」の提出だった。明治憲法(欽定憲法)も「日本国独自のモノ」ではなかった・・・で、「いわくら」は違っていた・・・
 「大山巌(大山 巖)」はどうか?・・・「天保十三年十月十日(1842年11月12日)〜大正五年(1916年)12月10日)。通称は弥助。雅号は赫山、瑞岩。字は海。階級は元帥陸軍大将。栄典は従一位大勲位功一級公爵。日本陸軍の創成期から日露戦争にかけて活躍」・・・妻は元会津藩士族の娘「捨松(山川さき)」で、日常会話は英語。理由は薩摩ナマリと東北ベンが通じなかった?・・・「捨松」の由来・・・アメリカ留学の娘を「母のえん」が「娘のことは一度捨てたと思って帰国を待つ(松)のみ」という思いから「捨松」と改名・・・で、「おおいわ」も違っていた・・・
 タガウ、チガウ、岩倉も大山も「日食」には関係なかった・・・ダガ、1887年一月二十二日には「東京市街に始めて営業電燈点火」と記事がある・・・「節電の季節」だが「熱中症」で倒れている人数が多い・・・
ーーー↓1883年
 7月25日岩倉具視国葬(初の国葬
 8月1日護国寺火災、本堂焼失
 8月3日伊藤博文憲法調査より帰国
 八月十九日皆既日食
 8月27日インドネシアクラカタウが大噴火
    (火砕流津波による死者36,417名の惨事)

 ・・・「日食・月食」は地震に多分に影響しているのは当然、自然であるョなッ・・・?
 8月29日クラカタウ大噴火による津波英仏海峡でも観測
 9月三池炭鉱・高島炭鉱で暴動
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 10月15日米国最高裁公民権法(1875年)を
     違憲と裁定 (Civil Rights Cases)
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 1964年7月2日
 公民権法の制定1公民権法(Civil Rights Act)
 法の上での「人種差別(特に黒人種)」は終わり・・・?
 「黒人への差別」は現実的にはどのような「形」で撤廃されてきたのかは「アメリカ政府の軍隊秩序の中に組み込まれるコト」によってである・・・アファーマティブ・アクション政策の導入によって、「有色人種」に対する社会進出の阻害が是正され、経済界や法曹界のリーダー的存在につくアフリカ系アメリカ人をはじめとする「有色人種」が増加したほか、ポリティカル・コレクトネスの浸透による「反人種差別の啓蒙」が進んだ・・・「黒人種・有色人種・混血人種・少数人種」はダレを護るタメの「軍隊」になったのか、そして「黒人アメリカ大統領」はダレを、何を護ろうとしているのか・・・「地球規模のバンニン」の「私有財産法の下」・・・おカネの「自由な獲得権と使用権」、その「自由な選択の権利」である・・・日本も中国も韓国、朝鮮も、その他のヨーロッパ、アジア、アフリカ、南北アメリカ中南米の諸国も・・・例外ではない・・・「人種の色の区別の問題」ではない・・・「人間の格差、階級、階層差別の意識的問題」である・・・
 「ポリティカル・コレクトネス(political correctness)」・・・ダレが訳したんだか、「日本語」では「政治的に正しい」と「訳」されているらしい・・・「言葉や用語に社会的な差別・偏見が含まれていない」、「職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況」などに基づく「差別・偏見を防ぐ目的の公平」な表現、その概念であるらしい・・・これって、「コトバ」を変えましょう、替えましょう、換えましょう、代えましょう・・・ってコトで、「政治的にコトバの使い方」をカエましょう、と言うことでアルらしい・・・
 「政治的」に「差別」と言う「コトバ自体」を忘れてしまいましょう、ってか・・・「区別」と「差別」はそのコトバの「内容の意味の本質が異なる」のである。「差別」と言うコトバを忘れてしまったら「差別」されてきた人々の歴史が抹殺されてしまう・・・自分たちが「人間として否定されてきた」、そして「人間として克(かち)とってきた歴史」が忘れられてしまう・・・「差別されてきた人間なんていなかった」の文章記録の説明を「差別」を除去して・・・説明せよ・・・どうする・・・
 「差別コトバ」をカエルのではなく、「差別用語を排除する」のではなく、「コトバの使い方をカエル」のが本質である・・・「政治的」にではない、「人間的に」である・・・「コトバの使用本質、コトバの使い方の本質」は「支配階級社会の意識的な本質」である・・・ダレでもが「支配者・富裕層」になれる、と言う「社会的意識=拝金思想」である・・・意識の選択は「万人に自由」である・・・だが現実は「万人には自由な選択は無い、限られている」のだ・・・ガンバレッ、てかッ・・・ミンナ、「ガン」ばるだろうさ・・・生きている間、「夢のチャンス」だけは無限である・・・結果が「善夢」になろうが、「悪夢」になろうが・・・
 1980年代から「アメリカ合衆国」で
 「用語」における「差別・偏見を取り除くために政治的な観点から見て正しい用語を使う」・・・「偏った用語」を追放し、「中立的な表現の使用」・・・「差別是正全体」を指す運動の一環の「ポリティカル・コレクトネス」・・・「用語の使用方法」はまず、イイとして、「用語を置き換え」・・・「偏った用語を追放」してドウなるのか、どうなったのか・・・?・・・「検察庁検事調書」・・・「役人の調査書、報告書」・・・「政治家のマニフェスト(公約書)」・・・「医者、医療研究者の研究所」・・・「原発事故の報告書」・・・
ーー↓1883年
 11月28日鹿鳴館開館
 12月28日徴兵令改正
ーー↓日食観測のニュース記録記事
 1896/8/11/北海道
 1936/6/19/北海道・女満別(メマンベツ)
 1941/9/21・22/漢口
 1948/5/9/北海道・礼文島・起登臼(キトウス)
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 枕草子
 (七八段)・・・七拾八段・七十八段・漆足捌談
         7+8=15=十五=壱拾五=足伍
         7×8=56=五十六=五拾六=伍足陸
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 「屋久島」は「日本書紀岩波文庫)」では「腋島」と記されていたが・・・「腋(わき・エキ・ヤク)=月+夜・肉+夜」・・・「腋=脇」で「亦は両脇を振っている形象文字」→「迹」・・・
 で、荒唐無稽の訳(ボクの妄想駄文訳)
ーーー↓ー本文
 内裏の局は、細殿いみじうをかし。上の蔀上げたれば、風いみじう吹き入れて、夏もいみじう涼し。冬は、雪、霰などの、風にたぐひて降り入りたるも、いとをかし。
 狭くて、童などののぼりぬるぞ、あしけれども、屏風のうちに隠し据ゑたれば、異所の局のやうに声高くゑ笑ひなどもせで、いとよし。
ーーー↓ー厄文?
 代理(大理・太理)の極は、差異伝、意味の字の有、犯し(可笑し)。上(巻)の詞の登美、亜、解、他例の場、付る有る意味の字句を得、付記、意の例を出、解の摸、意味を重ねる素の事の史。答えの葉は、説、新(亜し等い)例の意、等之、掛是、爾、他句の意を出し、振って、意、拿(あわ)せ留め、摸し、意図、可笑し。
 施す真の句、出し、話の等しい部、等、廼の埜、模す理を塗り曾(かさ)ね、亜の史を懸る例の努め、摸し、備え、用部の中に爾を隠し据ゑたれば、異所、極みの様の似、声高く、重、話を等しく比べ、等しく模せ出す意図よし。
ーーー本文
 昼なども、たゆまず心づかひせらる。夜は、まいて、うちとくべきやうもなきが、いとをかしきなり。
 沓の音、夜一夜聞ゆるが、とどまりて、ただ指一つして叩くが、その人ななりと、ふと聞ゆるこそをかしけれ。
 いと久しう叩くに、音もせねば、寝入りたりとや思ふらむと、ねたくて、すこしうちみじろく衣のけはひ、さななりと思ふらむかし。
ーーー↓ー厄文?
 注なども、他の喩の真事、心づかひせらる。撚る葉は、巻の意出、うち説く部の記の様の摸、納記に臥、意図をかしき名理。
 句通の音、撚るは、初めに与、聞ゆるが、留まりて、ただ、詞一つして多々句が、その比渡の名なりと、附渡、記故留こそ、をかしけれ。
 意図は、比べ差の詞を得、多々句の爾(字・似)、音もせねば、値は意の理、足り度也、思ふ蘭の徒、音の多句を出し、すこし、中を見、字録(賂句)の意を懸け配る、差の名、名の理と思ふ等の務め掛詞。
ーーー↓ー本文
 冬は、火桶にやをら立つる箸の音も、忍びたりと聞ゆるを、いとど叩きはらへば、声にても言ふに、かげながらすべり寄りて聞く時もあり。
ーーー↓ー厄文?
 答え(当・問う)は、比べ置け事也、於等立てる葉詞の音の摸、詞之備他理と記故喩留緒、意図度、多々記葉等重葉、声似て摸意付似、掛て解、名臥等、素部理選り出、起句を渡り記を摸す亜しの理
ーーー本文
 また、あまたの声して、詩誦じ、歌など歌ふには、叩かねどまづあけたれば、此処へとしも思はざりける人も、立ち止まりぬ。居るべきやうもなくて、立ち明かすも、なほをかし。
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 御簾のいと青くをかしげなるに、几帳のかたびらいとあざやかに、裾のつまうち重なりて見えたるに、直衣の後にほころび絶えすきたる君たち、六位の蔵人の青色など着て、うけばりて遣戸のもとなどに、そば寄せてはえ立たで、塀の方に後おして、袖うち合わせて立ちたるこそ、をかしけれ。
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 また、指貫いと濃う、直衣あざやかにて、色々の衣どもこぼし出でたる人の、簾を押し入れて、なから入りたるやうなも、外より見るはいとをかしからむを、きよげなる硯引き寄せて文書き、もしは鏡乞ひて鬢かき直しなどしたるも、すべてをかし。
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 三尺の几帳を立てたるも、帽額(もかう)の下にただすこしぞある、外に立てる人と内にゐたる人と、もの言ふが、頭のもとにいとよくあたりたるこそ、をかしけれ。たけの高く短からむ人や、いかがあらむ、なほ世の常の人は、さのみあらむ。
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 (・・・)は読む人の勝手な「自由訳文」に任せた・・・いと、疲れたれば、これにて、ごめん・・・