1163日目・・・足柄山の金太郎・・・「金太郎」は江戸時代の出版業界の「カネのナル木」だったらしい・・・岡山県勝央町が「金太郎」が亡くなった場所らしいのだが・・・金塊、小判が外国流出・・・「日米修好通商条約(Treaty of Amity and Commerce)」は、「安政五年六月十九日(1858年7月29日・日本と亜米利加合衆国の間で締結された通商条約・日米通商条約」・・・「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」・・・不平等条約だろう・・・関わっていた、いるのはイズレも「アベ」・・・

ーー
 「足柄山」は「足軽山」が語源?
 「新編・相模・風土記」に記されているそうだが、では、「足軽山の語源」は何か?・・・説明は無い・・・「足柄」は「芦柄」との記載もある。「柄」なら「家紋」とか「着物の柄」で「芦の柄」である。芦名氏の家紋は、三浦で「丸に三引き両(○の中に≡、三)」である。「≡」→「合同」の数学記号である・・・「銅矛」のような形の「芦」そのものの図柄の家紋をブログで調べたら「人間は考える葦だ」のフランスの哲学・数学者の「パスカル(Blaise Pascal・1623年6月19日〜1662年8月19日)」の記載と共に「家紋は武田氏支流の新見氏(一つ葦の葉・違い芦の葉)」、「小笠原氏支流の飯塚氏(葦丸)」、「清和源氏流の石川氏(違い芦の葉)」などがある、とあった。
ーー↓パスカル
 フランス中部の
 クレルモンで
 徴税行政官を父として生まれた
 二人の姉妹がいた
 三角形の内角の和が二直角(180度)
 1からnまでの和が「(1+n)n/2」である事を証明
 1〜10の和は
 1+2+3+4+5+6+7+8+9+10=55
    3  6 10 15 21 28 36 45 55
 1640年、16歳
 「円錐曲線試論」を発表
 「パスカルの定理」
  円に内接する六角形の対辺の延長線の交点は一直線上にある
 「パスカルの三角形」Traité du triangle arithmétique(1655年発表)
 「確率論」の創始 (賭け・賭博についての考察より)
 サイクロイドの求積問題
 「パスカルの原理」
 (流体の平衡についての理論・力学、物理学における圧力の単位)

 1646年
 パスカル一家と
 サン・シランの弟子らと出会い
 ジャンセニスム=人間の意志を軽視、人間本性の罪深さを強調
 神学者ミシェル・バイウス(Michael Baius,1513年 - 1589年)が
 唱えた教説
 バユスとも呼ばれた
 バイウスの説
 1662年
 「5ソルの馬車」と呼ばれる乗合馬車というシステムを着想・発明
 名言
 「クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、大地の全表面は変わっていたであろう」
 「人間は考える葦である」・・・では「葦」は「考える人間」なのか?・・・「葦」は、風が吹くと「撓(しな)る」、風が止むと、再び「元の体制に戻る」・・・ボク的には「比喩」ではなく、「人間は葦の状態を観察して考える」である・・・更に「葦はパピルスPapyrus)」で、「萱(茅)葺き・葦舟・笊・魚籠・駕籠、葦ペン」等、「文字を記される道具」でもある・・・「茎は竹同様に中空」で、観察される「葦=アシ」も文字コトバとして「パピルスPapyrus」に記される・・・関東では「アシ」、関西では「ヨシ 」であるらしく、「あし・よし」・・・「古事記日本書紀」も「編集されたのは奈良、京都、畿内の関西」である。「葦原中ツ国」を「ヨシハラノナカツクニ」とは云わない「理由」は何故か?・・・「シ」は「あし・よし」の共通音であるが「ア(母音アカサタナ)」と「ヨ(母音オコソトノ)」が訛るのは隔たりがある?・・・だが、「阿(あ)」は「お」と発音された「出雲の阿国(おくに)」である。「よぉ→ヨお」が「あ」と訛ったかどうかはネ、ッ。「壱與(壱与)」が「イヨ」、「イヨぉ=魚(イヲ・いを)=イオ、イーオー (io, eo)=ギリシア神話の白牛(ゼウスの化身)に誘拐された乙女=伊予→愛媛」、「イヲ」が「壱與」、「壱與」が「イオ」とヨマレタ可能性はある・・・「葦原」を「あしハラ」とヨムのは標準語(東京)を必要とした時代の「幕末、明治の発音」ではないのか?・・・それとも、「あしハラ」は「中ツ国=長州=中国」がヤッパ「悪しハラ」なんだろう・・・「中東」とは「西欧→中近東・中東(19世紀以降に英国などがギリシャ以東、インド以西の中間地域を植民地化するタメに考え出された概念で、トルコ・イラン・アフガニスタンアラビア半島シナイ半島・エジプトを指す概念)←印度+亜細亜」、現代的には欧米諸国では、「中東」とは「アフガニスタンを除く西アジアとアフリカ北東部の国々を指す概念・アラブ首長国連邦UAE)、イエメン、イスラエルイラク、イラン、エジプト、オマーンカタールクウェートサウジアラビア、シリア、トルコ、バーレーン、ヨルダン、レバノンの諸国、パレスチナ自治政府の管轄地域」の概念であるらしい・・・ようは、ヨーロッパとアジアの「中間にある諸国家、諸地域」である。だが、日本では「中東」概念は曖昧である・・・
 ・・・「豊葦原瑞穂の国」、「遊郭→アシの湿地帯→葭原(よしはら)→吉原」・・・楼閣→廓(郭・くるわ)→回廊・・・廊下・・・
 古代エジプトの「死者の書」の「トト(ギリシャ語=Θωθ・トート=エジプト語=ḏḥwty・ジェフティ)=石から生まれ、足が悪い=鴇(朱鷺)と狒狒(霏霏)」神で、「葦の紙」、「葦のペン」で審判の記録を執る神、書記神であり、善人と記録された死後の場所は「葦原のアアル(英語 Aaru・Yaaru・Iaru・Aalu)」である・・・石から生まれたのは「孫悟空」であった。
 ギリシャ神話では、妖精「シュリンクス」が牧神「パン」に追われ、「葦」に変身し、牧神「パン」がその「葦」を笛にした・・・楽器、簫(ショウ)、クラリネットサクソフォン篳篥など木管楽器の「リード(reed=芦笛)」、「楽器に用いられる薄片で、振動し音源となる・簧(した)」として活用される、らしい・・・ボクの耳に同音として聴こえるのは「リード (Lead, Leed, Lido, Read, Reade, Reid, Reed)」である・・・
ーー↓よし=あし→芦(ロ・ル)・蘆(ロ・ル)・葭(カ・ケ)・葦(イ)
  蘆(よし・あし・ロ・ル)・・・鸕(ロ・ル)=う=鵜(テイ・ダイ)
 「よし・あし・ヨシ・アシ・蘆・葭・葦・芦」は英語では「reed」で、「パピルスPapyrus)」は、「カヤツリグサ」科の植物の一種とあった。「萱・茅」は「ウガヤ葺きあえずのミコト」の「萱」である。
 ヒコナギサタケウガヤフキアエズ
 日子波限建鵜草不合命
 彦波瀲武盧茲草不合尊
 「天孫邇邇芸(天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命)」の
  子
 「ヒコホホデミ
 天津日高日子穂穂手見命
 彦火火出見尊(山幸彦)」
 と、
 海神の娘である
 豊玉姫の子
 「天津日高日子波限建鵜草不合命(古事記)」
 「彦波瀲武鸕鶿草不合尊(日本書紀)」
 である
 「瓊々杵尊彦火火出見尊彦波瀲武盧茲草葺不合尊」の
  三代は
  日向三代
 ・・・エジプト(埃及)の「パピルス」は万葉仮名では「葉比留素・八ヒ婁州」だろう・・・?・・・カミ・・・蔡倫・・・
 「婁」=ひく・ずるずるとひっぱる・ひき寄せる・
     虚しい・から・中空
     鞴(ふいご・蹈鞴・踏鞴)
     アコーデオン形、蛇腹形の火力を強める送風器
 「婁絡(ルラク)」=纏わりつく・まとわりつくこと
 「巻婁(ケンル)」=手や足の引き攣り・甚大な疲労
 「離婁之明(リロウノメイ)」= 視力・眼力のすぐれていること
 「婁」=宿曜経、二十八宿の一の婁宿・西方の第二宿
     牡羊(おひつじ)座の頭部分の三星・たたら星
 「瘻」=ロ(ro)首に出来る腫瘍・ハレもの
 「樓」=楼=高殿(たかどの)・ロウ・ル・ロ
 「摟」=ひく・ロウ
 「鏤」=ちりばめる・ル・ロウ
 「髏」=どくろ・野曝(晒)し・頭蓋骨・髑髏
     されこうべしゃれこうべ・ル・ロ
 「芦」=あし・よし・ロ
ーー↓
 ・・・芦名氏は本姓桓武平氏で、三浦族佐原氏流。相模国の豪族三浦義明の子佐原義連がその祖であSるらしいが・・・石橋山の合戦で源頼朝を助け、平家追討で軍功、奥州藤原攻めに参陣し、「会津・河沼・耶麻」の諸郡を与えられ「佐原(さわら・さはら)」氏の惣領となったのは「光盛」で、彼は相模の芦名にちなんで、芦名氏を名乗った。足柄(あしがら、あしがり)とも訓むらしい・・・「足軽」は「豊臣秀吉」と「伊藤博文」だが・・・「足軽の手柄」なら、解、解の気・・・
 「触(さわ)らぬ神に祟りナシ」・・・鰆(さわら)=シュン=魚+春・・・真名の葉留、葉流、葉婁・・・
ーー↓
 「早良親王(さわらしんのう)」
 天平勝宝二年(750年)?
   〜
 延暦四年九月二十八日(785年11月8日)
 光仁天皇の皇子
 生母は
 高野新笠
 第五十代
 桓武天皇の弟・皇太子
 能登内親王の同母弟
 延暦四年(785年)
 造
 長岡宮使
  藤原種継暗殺事件に連座
 乙訓寺に幽閉
 冤罪を訴え絶食し、
 淡路国に配流の途中、
 河内国
 高瀬橋付近で憤死
 その後、
 桓武天皇
 第一皇子
 安殿(あたか)親王平城天皇)の発病
 桓武天皇
 藤原旅子
 藤原乙牟漏
 坂上又子が病死
 生母
 高野新笠の病死
 疫病、洪水などが早良親王の祟りとされた
 延暦十九年(800年)
 崇道天皇と追称
 ・・・このハナシは「崇神天皇」の「崇神天皇七年二月、大物主神倭迹迹日百襲姫命に乗り移り託宣。十一月、大田田根子(種子?)大物主神を祭る神主とし、市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祭る神主としたところ、疫病は終息し、五穀豊穣」と重なる・・・それに追号の「崇道天皇」は、「舎人親王」も諡号は「崇道尽敬皇帝(スウドウジンケイこうてい)」だった・・・「舎人親王」も憤死したのかも・・・?
ーー↓
 足柄峠
 箱根
 外輪山から北に伸びた
 尾根上に位置し
 駿河国
 相模国の国境の峠
 昔
 足柄坂(あしがらさか)と呼び、
 ここより東を
 坂東と称して足柄峠はその入り口
 富士山の
 延暦噴火(800年〜802年)で
 交通不通になり
 箱根峠を通る箱根路が整備
 899年に関所設置
 1336年(建武二年・1335年)
 南北朝時代
 「箱根・竹ノ下の戦い」
 足柄峠に陣取った
 足利尊氏の軍勢が
 新田義貞分隊を指揮して
 西側から攻め寄せた
 脇屋義助
 峠下の
 竹ノ下(竹之下)で破った
ーー↓金太郎
 江戸時代には浮世絵において金太郎図が数多く描かれ、新年には干支に添えた形で出版。美人画・役者絵を得意とする
 鳥居清長・・・鳥居耀蔵
 1752年(宝暦二年)〜1815年(文化十二年)は
 天明・文化年間に数多くの金太郎図を描き、
 美人画
 喜多川歌麿
 ?〜1806年(文化三年)も
 山姥と組み合せの金太郎図を描いた
 歌川国芳
 1797年(寛政九年)〜1861年(文久元年)も
 多くの金太郎図を描いた
ーー↓
 童謡の「金太郎」は、
 1900年(明治三十三年)に発表
 「幼年唱歌」に掲載
 作詞・石原和三郎
 作曲・田村虎蔵
ーーーーー↑↓ウイッキペデアからスベテ参照抜粋、少々改作添付
 静岡県
 駿東郡
 小山町
 金時神社
 天暦十年(956年)五月誕生
 彫物師
 十兵衛の娘、
 八重桐と
 坂田蔵人の子供
 金太郎は足柄山で育った
 天延四年三月二十一日(976年4月28日)
 源頼光の家来(随身)となる
 坂田金時(坂田公時)と改名
 渡辺綱
 卜部季武
 碓井貞光等と共に
 頼光の随身四天王の一人となる
 永祚二年三月二十六日(990年4月28日)
 丹波の国、大江山福知山市)の酒呑童子を退治
 神変奇特酒(睡眠薬混合酒)で退治
 寛弘八年十二月十五日(1012年1月11日)
 作州路
 美作(みまさか)
 勝田壮(岡山県勝央町)で
 熱病で死去
 享年55歳
 勝田の人々は公時を慕い、
 倶利加(栗柄)羅神社を建てて葬った。
 倶利加羅(くりがら=剛勇の意)?
 第六天社は金太郎親子が深く信仰しており、
 母の八重桐が
 赤いごはんや
 魚を捧げたりするのを
 真似て、
 金太郎は
 メダカを捕らえ
 生きたまま器に入れ、
 社前に捧げた・・・らしい・・・
 山口県下関市北部、萩市島根県西部県境の海では、
 「金太郎(ヒメジ)」という名称の魚が獲れる・・・らしい・・・
 宇治金時
 金太郎飴
 金時豆
 金平ゴボウ(牛蒡)は息子の「坂田金平」から
ーー
 鉞(まさかり、大斧)
 担いで
 熊の背に乗り、
 菱形の腹掛けを着けた金太郎
 乳幼児に着用させた
 菱形の腹掛け
 また
 「金太郎」と呼ぶ
ーー
 藤原道長の日記
 「御堂関白記」には
 下毛野公時という
 近衛兵(随身
 道長に仕えていた
 この公時が脚色され、後に成立した
 「今昔物語集」で、
 公時の名の郎党が、頼光の家来として登場
 金太郎伝説が完成したのは江戸期
 浄瑠璃や歌舞伎を通して
 頼光
 四天王の怪力童子が定着
ーーーーー↓
 枕草子
 (五六段)・・・五拾六段・五十六段・伍足陸段
         5+6=11=十一=壱拾壱=壱足壱
         5×6=30=三十=参拾=参足

 男
 (おのこ)
 は
 また
 隨身・・・・・・隋視・隋審→隋書・随所・随処
ーーーーーーーーー↓
         随身=近衛兵
         ↓
        「隋書」
         二十四史の一
         第十三番目
ーーーーーーーーー↓
         266年
        「晋書」の
         安帝
         倭国関係記事
         413年(東晋・義熙九年)に
         倭国貢献の記録
ーーーーーーーーー↓
         隋王朝
         三十八年間の歴史書
         636年(貞観十)完成
         「五代史」の一
         唐初の
         魏徴が編集総裁
         南朝
         梁・陳
         北朝
         北斉北周
         隋
         の各王朝の正史
ーーーーーーーーー↓
        「隋書・倭国伝」の記事
         倭國、在
         百濟、
         新羅
         東南、
         水陸三千里、
         於
         大海之中
         依
         山島
         而居。
         魏時、
         譯通中國、三十餘國、皆自稱王。
         夷人
         不知里數、
         但計
         以日。
         其
         國境
         東西
         五月行、
         南北
         三月行、
         各至於海。
         其
         地勢
         東高
         西下。
         都於
         邪靡堆
         則
         魏志
         所謂
         邪馬臺
         者也。
         ↑↓
         「隋書・卷八十一・列傳第四十六・東夷傳・倭國」
         使者
         曰
         聞
         海西菩薩天子
         重
         興(与)
         佛法
         故
         遣
         朝拜
         兼
         沙門數十人
         來學佛法
         其
         國書
         曰
         日出處天子
         致書
         日没處天子
         無恙云云
         帝
         覧之
         不悦
         謂
         鴻臚卿
         曰
         蠻夷書
         有
         無禮者
         勿
         復
         以
         聞
ーー↓枕草子
 こそ
 あめれ。・・・・アメ例
 いみ
 じく
 美々しく
 をかしき
 公達
 (きんだち)も、
 隨身・・・・・・隋臣
 なきは
 いと
 しらじらし。・・・・白々しい・白地らしい
ーー
           しら=詞等・新羅・史等
           じらし=字等詞
ーー
 辨・・・・・・・・・わきまえる・和記真重留
           話記・和気・捌・分け・訳
ーー
 など・・・・・・・・等
 をかしく・・・・・・可変詞句・可笑史句
           カエルべき・ワラウべき 
ーーーーーーーーーーー↓
           などを
           かしく→傾ぐ・炊ぐ→推古天皇
ーー
 よき
 官(つかさ)と
 思ひ
 たれ
 ども、
 下襲・・・・・・・解集
 (したがさね)の
 しり・・・・・・・私利・支離・後・尻
 短くて、・・・・・身字掛句出
 隨身・・・・・・・隋臣→輩
 なき・・・・・・・名紀
 ぞ
 いと
 わろ・・・・・・・話賂・倭賂→割賂
 きや。・・・・・・記也・記埜・紀哉
ーーーーー
 ・・・