1148日目・・・「キジ島」のロシア正教会の建築物・・・赤松を素材とした木造建築・・・「世界遺産100」・・・「キジ島」は「オネガ湖」のほかの5000あまりの大小様々な島嶼(最大で35キロメートル、最小は2メートルあまり)に囲まれ、十六世紀に起源を持つ木造教会建築群が存在するらしい・・・「キジ(雉)も鳴かずば打たれまい」、「キジ(雉)も 鳴かずば射たれまい」、「鳴かずばキジ(雉)も撃たれまい」、「鳥も鳴かずば撃たれまい」・・・記事・生地・木地・・・元々「釘」が無ければ打たれまい・・・木地嶋(山+鳥)・・

 「キジ」という名前は、この地域の先住民であった
 「カレリア人」及び
 「ヴェプス人」の言葉で
 「祭祀の場」を意味
 14世紀から15世紀にかけて
 「ノヴゴロド」が支配領域を拡大し
 カレリア人とヴェプス人を同化し
 正教に改宗
 キジ島は
 130あまりの集落の中心地
 「顕栄聖堂(プレオプラジェンスカヤ教会)」
 「生神女庇護聖堂(ポクローフスカヤ教会)」の原型が成立
 顕栄聖堂は
 1690年に落雷で焼失
 生神女庇護聖堂も老朽化し破却
 1700年
 北方戦争開始中、教会の再建中断
 戦後、
 ロシアはスウェーデンバルト海における覇権を奪取
 カレリア地域を支配
 1714年
 顕栄聖堂は再建
 22の玉ねぎ型
 クーポル(玉葱状の屋根)ドーム、
 最上部は高さ37メートル
 木造バロック
 暖房が無く「夏季専用」の教会
 1764年
 顕栄聖堂に隣接する形で
 九つのドームを持つ
 生神女庇護聖堂が建造
 暖房設備を有した「冬の聖堂」
 1874年
 鐘楼が建立
 160年の歳月を掛けて、
 三つの
 木造教会建築群が完成
 建築には釘を使用していない
 目地も木から造った
ーーー↓参考原文
顕栄聖堂 (キジ島) - Wikipedia
ーー↓キジをトウの
  顕栄聖堂・生神女庇護聖堂・鐘楼
ーー↓ケンエイセイドウ
 「建永(ケンエイ)」
 元久三年四月二十七日(ユリウス暦1206年6月5日)改元
 赤斑瘡を原因とする説(『百錬抄』)と
 摂政
 九条良通の急死を原因とする説(「一代要記」)
 建永二年
 十月
 二十五日(ユリウス暦1207年11月16日)
 承元に改元
 「文選・卷四十二・曹子建與楊紱祖書」
 「吾雖紱薄、
  位為蕃侯、
  猶
  庶幾戮力
  上國、
  流惠下民。
  建永
  世之
  業、
  留
  金石之功、
  豈徒
  以
  翰墨
  為
  勳績、
  辭賦
  為
  君子
  哉」から。
 建永二年
 専修念仏停止の訴えにより
 親鸞越後国
 法然讃岐国に流刑(承元の法難)
ーー↓顕栄聖堂(ケンエイ)
  顕(ケン・あきらか あらわ あらわれる あらわす・はっきり目立つ・あきらか」熟語は「顕現・顕在・顕示・顕著・隠顕」。「隠れたものを明らかにする・あらわす」で、熟語は「顕彰・顕微鏡・露顕」、そして「地位・身分が高い」である。
 「ケン」の同音異字を採(取=耳+又)れば、 
 「ケンエイ=謙重意」の「謙(ケン)=言+兼」は「謙遜」の「謙る(へりくだる)・相手を敬って自分を控えめにする・遜(けんそん)する・卑下する」である・・・
 「兼営・県営・懸英・憲衛(ケンエイ)」の
 「制動・政道・生動・青銅・正道(セイドウ)」と
 「精神・誠心・星辰・政審・清真・清新(セイシン)」の
 「序比・叙秘・助妃・如比・所比・女卑(ジョヒ)」の
 「御・後・語(ゴ)」の
 「精銅(セイドウ)」の「電解」・・・銅の熔解精錬?・・・政道の「伝解・伝甲斐・伝蝦夷・伝改」は「如何(どう・いかん)?」・・・「赤蝦夷風説考」・・・「赤蝦夷風説考(あかえぞふうせつこう)」・・・医師・経世家の「工藤平助」の著。「赤蝦夷=ロシア人」・・・上巻序文には「天明三(1783年)年癸卯正月日」・・・上下二巻。写本の中には「加摸西葛杜加(カムチャトカ)国風説考」書名ものがある・・・「魯西亜略説」などの異名のものもある。のちに「最上徳内」が「別本赤蝦夷風説考」という書を著しているが、別物・・・
 「赤蝦夷風説考」はオランダ語訳されたドイツ人ヨハン・ヒュプナー(Johann Hubner)の著『地理全誌』(ゼオガラヒー、万国地誌とも、1769年刊)第5巻「ロシア誌」などの蘭書を元に作成した、ロシアに関する地理書・・・
 本書に影響された「工藤平助」と同じ「仙台藩医」の「林子平」が「海国兵談」を著し、「工藤平助」が「序文」を寄せている・・・句同併諏懸(クドウヘイスケ)・・・ナク・・・啼く・・・「須佐之男の命」が「ハハのクニへ行きたいと啼いた」・・・菱垣廻船の遭難者・・・エカテリーナ2世女帝(エカチェリーナ2世・エカチェリーナ2世アレクセーエヴナ」は「1729年4月21日(グレゴリオ暦5月2日)〜1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日)」、ロマノフ朝第8代のロシア女帝で在位は1762年6月28日(グレゴリオ暦7月8日)〜1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日)の女帝である。夫はピョートル3世、子はパーヴェル1世)に謁見したのは・・・1783年に伊勢「白子(鈴鹿市)」の船頭である「大黒屋光太夫」である・・・航海途中に漂流、アリューシャン列島のアムチトカ島漂着。ロシア人に救助され、シベリアの首府イルクーツクに滞在し、「キリル・ラックスマン」の援助で、帰国請願のためサンクトペテルブルクに向かい、1791年、エカチェリーナ2世に拝謁。
 帰国を許されキリルの次男「アダム・ラックスマン」が、漂流民を返還する目的で遣日使節とし日本に派遣され、1792年、光太夫らは根室に帰着。露西亜での経験は御政道により外部に漏らすことを禁じられた・・・
ーーー↓キジ(きじ=雉・雉子=きぎす)もナかずばウタれまい
 ガーガーと鳴く
 quack
 
 きじもなかずばうたれまい

 the pheasant would not be shot but for its cries
 avoiding unnecessary talk can prevent disaster falling on one
 there is safety in silence
 「黙っていれば安全である」のか、ジャパニーズ・・・ジパン・ジャパン・ジャップ・・・沈黙は金(キン・コン・かね)なり・・・マンシュウ・・・?
 でも、「whine」は「(犬などの)鼻を鳴らす声」・・・哀れな声を出す・すすり泣く・むずかって泣く・哀れっぽく泣く・ぐちをこぼす・めそめそいう・めそめそ愚痴を言う・泣き言を言う・哀れっぽい声・哀れっぽい泣き声・哀れな声を出す・・・犬(いぬ・ケン)が、
 クンクン鳴く to whine・・・・・・訓君薫勲釧
 くんくん鳴く to whine・whine
 カエルがゲロゲロ鳴く croak・to croak(クラック)
 ネズミがチューチュー鳴く squeak-squeakスクィークスクィーク
雉は日本の「国鳥」で、鳴き声の擬音は「ケーンケーン・ケイケイ(日葡辞書)・キンキン」と鳴く。「ケンもホロロ(羽音の擬音ホロホロとも)」という言葉は、この鳴き声に由来しているらしい。「頭隠して尻隠さず」は雉の草むらに隠れたつもりの様子を例えたモノ。「キジを撃つ」は登山中に大便、小便の隠語であるらしい・・・生地にウンコ、ショウベン・・・?
 1947年(昭和二十二年)三月二十二日に日本の国鳥に指定しているが「狩猟対象」として、その「国鳥」を喰っているのは、日本だけであるらしい・・・日本国民は「同胞」を喰っているか、あるは、それを許している「法律=日本国王」は「日本人」ではないらしい・・・元々は「高麗雉」の源流・・・
 「白雉(はくち)元号」は「650年〜654年までの期間」、天皇は「孝徳天皇=軽(キン・ケイ・かる)皇子」・・・どうやら、この年号は「明治のモノ」であるらしい・・・?
 改元は大化六年二月十五日(ユリウス暦650年三月二十二日)
 白雉五年十月十日(ユリウス暦654年11月24日)に
 孝徳天皇崩御時より無使用
 以降686年に
 朱鳥と定められるまで元号はなかった
 二月九日(ユリウス暦三月十六日)
 門国(あなとのくに・長門国)の
 国司
 草壁醜経
 白い雉を献上したことによる・・・クサカベはミニクイ、経(キョウ・ケイ・へる)・・・双璧、集計・・・「高杉晋作」と並び松下村塾の双璧と言われた英才「久坂玄瑞」の「兄事」したのは・・・
 中村道太郎(九郎)
 名は清旭、通称は喜八郎、後に道太郎と改め
 号は白水山人
 長州藩士、四十七石余り
 馬廻並より馬回に進む
 文武を明倫館に学ぶ
 松陰の兵学門下なったのは
 嘉永二年二十二歳の正月
 後、
 来原良蔵と共に松陰の益友
 嘉永六年浦賀に出衛
 安政五年二月上京
 梁川星巌・馬田雲浜・頼三樹三郎と交友
 密用方右筆
 江戸方右筆に進む
 元治元年七月
 禁門の変には国司信濃に従った
 事敗れて帰国
 十月恭順派のために
 野山獄に投ぜられ、
 十一月十二日斬首
 享年38歳
 明治二十四年正四位贈・・・?
ーーー↓
  記事問う、露西亜・・・「俄羅斯」・・・モンゴル語の「Орос(オロス)」・・・「魯西亜」、1855年に江戸幕府ロシア帝国の間で初めて結ばれた条約は「日本国魯西亜国通好条約」。1877年(明治十年)にロシア領事館から「魯は魯鈍(愚かなこと・様子)を連想させる」との抗議・・・日本政府は、ロシア側の希望を容れ表記を「露西亜」とした。だが「露」の字も「日(=日本)が昇ると露(ろ・つゆ)は消える」・・・ロシアの国名は、「ルーシ」という国家のギリシア語の発音によって生まれた名前・・・であるらしい・・・「イワンのバカ」、「イヴァンのバカ」・・・ちなみに「ルーシーは女性の名・ラテン語のlūc‐・lūx=光を意味」、人物名・・・
 「Lucy Stone(ルーシー·ストーン・1818年8月13日〜1893年10月19日)」は「アメリカのフェミニストで、奴隷制廃止、婦人参政権、既婚女性の改姓反対論者」、「a vocal advocate (主張者・弁護士・支持者・代言者・唱道者・提唱者)」であった・・・清少納言は「斉唱名権(言・魂・木魂・木霊=音声=vocal)」の提唱者?・・・
  
 「松浦 武四郎
 1818年3月12日
 (文化十五年二月六日)
   〜
 1888年2月10日
 (明治二十一年二月十日」は、
 三重県生まれの北海道地名の名付け親で「雅号は北海道人」
・・・であった・・・
 1818年誕生人
  4/29
  アレクサンドル2世(Aleksandr II・王族・ロシア)
  5/5
  カール=マルクス(Karl Heinrich Marx・経済学者・ドイツ)
  5/27
  コルネリス=ドンデルス Cornrlis Donders・眼科医・オランダ)
  5/27
  アメリア=ブルーマー(Amelia Bloomer・女性運動活動家・アメリカ)
  6/29
  ピエトロ=セッキ(Pietro Angelo Secchi・天文学者・イタリア)
  7/1
  イグナス=ゼンメルワイス(Ignaz Philipp Semmelweis・医師・ハンガリー
  7/12
  クロード=ベルナール(Claude Bernard・生理学・フランス)
  9/1
  伊達 宗城(政治家・愛媛県宇和島藩主・文政1/08/01)
  9/12
  リチャード=ガトリング(Richard Gatling・発明家・アメリカ)
  11/9
  イワン=ツルゲーネフ(Ivan Turgenev・作家・ロシア・10/28)
  12/13
  メアリー=リンカーン(Mary Todd Lincoln・大統領夫人・アメリカ)
  
  伊能忠敬
  1745年2月11日(延享二年一月十一日)
   〜
  1818年5月17日(文化十五年四月十三日)

   人生であった・・・
ーーーーー↓記事問う
 枕草子
 (四一段)・・・四拾壱段・四十一段・四壱段・肆足段
         4+1=5=五=伍=ゴ=吾
         4×1=4=四=肆=シ=詞

 菩提と・・・・模題
 いふ・・・・・意附・異附
 寺・・・・・・字・時・事
 に・・・・・・似・爾・荷・仁・二・尼・邇・丹・児
        煮=者+灬(烈火・心・四足)
 結縁
 (けちえん)・懸知得ん
 八講・・・・・発行・発効・発向・八紘・八甲・八項
        八港・白光・薄倖・八行・八稿・八公
        八校
ーーーーーーーー↓
     旧制第八高等学校
     愛知県名古屋市に存在した官立旧制高等学校
     1908年
     (明治四十一年)
     三月に設置
     略称は「八高」(はちこう / はっこう)
     鹿児島の七高に続いて設立
     旧制高校の最後
     文科・理科よりなる
     修業年限三年の高等科が設置
     名古屋帝大は設立が
     1939年(昭和十四年)
     中部地方では
     1946年の
     愛知大学まで
     文系学部がなかった
     新制名古屋大学の前身校
     校章
     熱田神宮
     剣と算用数字の
     「8」の組み合わせ
     校歌「銀扇空に」
     寮歌「伊吹おろし」(中山久作詞、三橋要次郎作曲)
     他の代表的寮歌は
     「春三月」(大島武夫作詞、本多龍成作曲)
     校地は「瑞穂ヶ丘」または「瑞陵」と呼ばれた
     低い丘の麓のような位置にある
     現在
     名古屋市立大学
     滝子キャンパス
     校地内に小規模な古墳があり
     「八高古墳」と呼ばれている
     小規模な前方後円墳が校地内にあるが
     前方部は
     八高時代に
     食堂建設のために
     切り崩された
     ・・・?
     1930年
     2月〜1212月
     反帝同盟事件
     学生37名検挙
     三名放校、
     六名退学、
     都留重人
     十名除名
     鶴舞公園内の鶴舞図書館
     八高校生に利用された
ーーーーー八高校出身者↓
     「正木ひろし(旲)
      弁護士、中退して七高へ
     第二次世界大戦前より
     軍国主義批判を繰り広げ、
     戦時中には官憲による
     拷問を告発した首なし事件で有名となった。
     戦後も多くの反権力裁判、冤罪裁判に関与
     1959年に起こった
     八海事件の弁護を担当
     事件についての
     著書『裁判官』はベストセラーとなり、
     『真昼の暗黒』という題名で映画化
     本名は「旲(ひろし)」
     関係事件
     首なし事件(1944年)
     プラカード事件(1946年)
     唐紙事件(1949年)
     贓物衣料切符事件(1949年)
     三鷹事件(1949年)
     被告人
     十人中九人が無罪
     八海事件(1951年)
     観音堂事件(1951年)
     有罪確定後に再審請求
     再審で被告人の無罪確定
     チャタレー事件(1951年)
     万能事件(1951年)
     白鳥事件(1951年)
     菅生事件(1952年)
     石和事件(1953年)
     三里塚事件(1954年)
     丸正事件(1955年)
     事件の真犯人は
     被害者の親族らであると
     名指しで告発
     名誉棄損で
     正木自身が有罪判決を受けた
     母親は日本における
     女性の小学校正教員の
     最初だった・・・らしい・・・旲・・・
     旲(タイ・ダイ・エイ・ひかげ・おおきい・にっこう=日光)
     「旲=日+大」
     昊(カウ・ガウ・コウ・ゴウ・あかるい・あかるし)とは
     別字・・・
     「昊=日+天」
 ・・・「乞う・請う・考う」字記の「時期」・・・「麹=麦(バク・むぎ)+匊(キク・すくう)」の「かもす(醸=酉+襄)」、発酵(醗酵)・・・酒に酔う・・・カナ・・・
ーー↓枕草子
 せしが、
 聽き
 に
 まうで
 たるに、
 人の
 もと
 より
 「疾く・・・・・・・解く・説く・読=讀・徳
  歸り・・・・・・・返り・変え理・代え理
  給え、・・・・・・霊重・球磨重・他眞重
  いと・・・・・・・意図・異図・糸・伊都
 さうざう・・・・・・創造・想像
 し」・・・・・・・・詞・史・視
 と・・・・・・・・・斗・図・賭
 言ひたれば、
 蓮の・・・・・・・・葉諏之
 花びら・・・・・・・葉名比良→花弁
 に、

 もとめて
 も
 かかる
 蓮の・・・・・・・・葉諏埜→水の草花(華)
         ミズのハナクサ・蓮華=荷
        (洟=はなみず・はなじる・鼻汁)
 露を・・・・・・・・露西亜
 おきて
 うき世に
 または
 歸る
 もの
 かは
 と
 書きて
 やりつ。
 誠に
 
 いと
 たふ
 とく
 あはれ
 なれば、
 やがて
 とまり
 ぬ
 べく
 ぞ
 覺ゆる。
 

 さうちうが・・・・・送致胡・・・焼酎?
 家の
 人の
 もどかしさも
 忘れぬ
 べし。
ーーーーー
 ・・・いと、問う解く(説く・匿・讀=読)、ア、ワ、レ、ナ、例、バ、やがて、ト、マリ、ぬ、べく、ぞ、「オ−ボユル」・・・
 「オ・ボ(ほ)ユル」・・・嗚−「吠・吼・咆」ゆる・・・緒−補(母・簿・模)諭留・・・