1140日目・・・「日本ハム」の「大谷選手」の「背番号」が「11(十一・壱拾壱・壱壱・一一)」・・・「ピッチャー=投手」・・・「ピッチャー」=「pitch(投げる)+er(人)=「pitcher」・・・「捨てる」んじゃぁないんだ。北海道では「捨てること」を「なげる」って、も、云うんだけれど・・・「球を拾う」、「とる」は「守備位置の選手、内、外の野手」だろう・・・「捕手=キャッチャー」=「catch(捕る)+er(人)」=「catcher」) とは「投手が投げたタマを受けトル」だろう・・・

ーー↓日米野球の歴史
 1908年
 (明治四十一年)
 リーチオールアメリカン
 大リーガー6人を含むチームの来日
 日米野球記念第一戦は
 11月
 22日
 の早大
 慶応、東京クラブ、横浜連合、神戸連合などと
 合計十七試合を戦った
ーー↓ 
 「捕(と)る」って・・・「取る・録る・採る・撮る・執る・獲る・摂る・盗る」・・・最近、「ジジ・ババ」が騙されて金を盗まれるニュースが多いが・・・「偸(ぬす)まれる」って?・・・「盗む」と同意語らしいけれど、「盗人・盗賊・窃盗・夜盗」とは見たり、聞いたりするが・・・「偸=イ+兪(しかり・ユ・ユウ・イ・コウ)=苦痛が除かれて、心が愉(たの)しく愉(やす)まること」らしいのだが、「ぬすむ(?)」・・・「偸人・偸賊・窃偸・夜偸」ってコトバは?・・・ナイが・・・四文字熟語には「窃玉偸香(セツギョクトウコウ)」がある。
 「偸(ぬす)む」は「他人の物をひそかに自分のものにする・とる(盗る)」、「他人の技芸や作品、考えや行動などをひそかに真似る・脇(わき)から見て他人の技術などを習得する」・・・そうですか、「偸(ぬす)む」は・・・日本語的には「まなぶ・まねぶ・真似る」で「学習」と言うことらしい・・・ブログ辞典で調べると「偸薄(トウハク)」は「軽薄で人情に欠ける・薄情」・・・らしい・・・類字は「諭・喩・愉・癒・癒・鍮(シンチュウ=真鍮=銅と亜鉛との合金)・匬渝・羭(母羊・鄢毛羊・美)・蝓(蝸牛・かたつむり・デンデンムシ・まいまい)」・・・音読みは「呉音=ツ・漢音=トウ・慣用音=チュウ」と、あった・・・実際、現実的な漢字使用圏の中国、韓国では「偸」の意味はどうなんだろうか・・・?・・・ネッ・・・
ーーー↓偸
 鑿壁偸光(サクヘキトウコウ)→作癖刀工(当行)?
 貧しい中で、苦労して学問に励むこと、苦学のたとえ・・・ならば、
 「蛍雪時代→軽(系・恵・形・掲・景・桂)説時代」だな・・・「軽」は「かるい・ケイ」だが「キン」ともヨム・・・
 「鑿(のみ・うがつ・サク・ザク)」=丵(サク)+臼+几+又+金」は穴を開ける、
 穿鑿(センサク)→付会穿鑿 (フカイセンサク)
 根鑿掘り葉掘り
 細かなところまで調べ訊ねる
 むやみに憶測してとやかく言う
ーー↓ふかい撰差句・・・深い・不快・府会・深井・・・西太后は北京陥落前に逃亡し、「山西省大同」を経て十月に「西安」に辿り着く。アロー戦争時は「熱河」逃亡、二度目の都落ちであった。光緒帝も同行させたが、その愛妃「珍妃」を「紫禁城・寧寿宮」の裏の井戸に投げ落とさせ殺害・・・「珍妃」を引き上げ弔ったのは日本軍だった・・・らしい・・・
 で・・・フカイセンサクは「真名仮名文字コトバ」に関して、ボクのヤッテイルコトです・・・
ーー↓偸
 「偸」は盗むこと。
 ・・・コレもボクが「真名仮名文字コトバ」に関して「まねぶ・まなぶ→学ぶ」としてヤッテイルコトです・・・「ウガヤ付記和えず」の「邇々芸命」の名前の「詮索・撰差句・宣作・穿鑿」です・・・これって、「牽強付会」ではありません・・・「文字霊」の研究デス・・・アシからず・・・「こうじき」・・・
ーー↓鑿壁偸光
 壁に穴を開け、隣の家の光が入るようにすること。
 前漢の学者
 匡衡は、若いとき家が貧しく灯火の油が買えなかったので、
 壁に穴を開けて隣家の灯火の光で書物を読んだ故事から。
ーー
 忙裡偸間(ボウリトウカン)→暴利統監(暴理党間)?
 忙裡偸閑(   〃   )
 忙裏偸閑(   〃   )
 多忙な中でも、
 暇を見つけて楽しむこと。
 「忙裡」は忙しい中です。
ーー
 苟且偸安(コウショウトウアン)→公証(考証)答案(問う案)?
 なおざり(等閑)に過ごし、
 安楽をむさぼること。
 「苟(いやしくも・ク・コウ)」、
 「且(かつ・シャ・ショ)」はともに、
 「なおざり=等閑」の意味、
ーーーー↓苟・且・・・苟且(かりそめ)
 いやしくも
 仮にも・かりそめにも・もしも・万一

 いやしくも(苟も)
 形容詞「いやし」の連用形に助詞「も」のついた語?
 仮にも・かりそめにも
 下に打ち消しの語を伴って
 いいかげんにも・おろそかにも
 
 いやしくも・いやしくも(苟も)の「いやし」
 「賤し」で、身分が低い、下賤であるという意味
 「いやしくも」とは、「賤しい身分であるけれども」
 つまり
 「身分不相応であるけれども」
 「 かりそめにも(一時的にではあるけれども)」という意味
 「いやし」の連用形+係助詞「も」?
 仮にも・かりそめにも
 もしも・万一 
 いやしくもやるからには徹底的にやれ
 If you do it at all, do it thoroughly.
 「thoroughly」の発音「θˈɚːroʊli, ‐rə‐」
 「ソぉ(ァ)リィイ」って聴こえるのだが・・・
 「そぉろり」か「さぁらり」?・・・「そぉろり」は、静かに「ゆっくり」と・・・すべるように「なめらか」に動く・・・「曽呂利新左衛門」の逸話は「刀と鞘」の具合だったかな・・・
ーーー↓そろりシンザエモン
 豊臣秀吉の御伽衆
 堺で刀の鞘を作っていた職人
 茶人、落語家の祖
 「安楽庵策伝」と同一人物?
 茶道を武野紹鴎に学ぶ
 本名は杉森彦右衛門
 坂内宗拾とも名乗った
 没年
 慶長二年(1597年)
 慶長八年(1603年)
 寛永十九年(1642年)
 などが諸説があるらしい・・・
 二世 曽呂利 新左衛門
 (にせ そろり しんざえもん)
 天保十三年
 十月
 十五日
 〜
 1923年7月2日
 本名
 猪里重次郎
 享年八十一
 大坂新町の
 友禅染屋に生まれ
 桂猫丸
 桂夢丸
 文の家かしく
 などを名乗る
 父から勘当
 幇間(男芸者・太鼓持ち
 京都で
 千九八
 大坂堀江で
 観八を
 名乗る
ーー↓サァラリ
 「さらり」は、さらっとした(肌触り)・ 乾いて心地よい・さっぱりした・あっさりした・平淡な・淡泊な・くどくない性格
 ・・・「あっさり(引き下がる)・こだわりのない(返事)・潔い(対応)・わだかまりなく(語る)・恬淡(てんたん)として(生きる)・カラッとした(人柄)」・・・なんで「亜米利加軍隊」と「亜米利加国民」に先ずは「あやまりたい」のか、ネッ・・・それに、「謝罪のコトバ」を何度イっても「イイワケ」、「パフォーマンスだ」と言われちゃぁ、「ハナシにナラン」・・・NHK解説委員の「深夜の解説者のコトバ」・・・「コトバに注意しろッ」の「コトバ」は「共通概念の問題」である・・・
ーー↓
 「いやしくも」の意味
 身分不相応にも・柄でもないが
 もったいなくも
 「苟うも」の意味
 副詞「いやしくも」に同じ
 ・・・ナゼ、「賎しくも=卑しくも」の「階級コトバ」があるのか・・・「癒し句、模」の「音」をとったのさッ・・・「偸(ぬす)む=イ+兪(入一肉くく)」・・・「《」は「《》」=二重括弧記号の左・・・?・・・
ーー↓苟
 類字は「荀(シュン・ジュン)」で
 荀紣(ジュンイク)
 163年(延熹六年)〜212年(建安十七)
 字は文若(ブンジャク)
 諡は敬(ケイ)
 「王佐の才」と称揚
 「三国志魏志」、
 「後漢書」に紀伝がある
ーー↓苟
 苟晞(コウキ・生年不詳〜311年)
 中国西晋時代から五胡十六国時代の軍人、政治家
 字は道将
 河内郡
 山陽県出身
 五胡十六国時代の開始期に
 西晋側の武将
 異民族の鎮圧に功績
 司隸部従事
 東海王
 司馬越が侍中になると招かれて
 通事令史
 以後
 陽平太守、
 尚書右丞などの要職を歴任
 八王の乱を通して
 最終的に
 兗州刺史
 307年
 永嘉の乱により
 五胡十六国時代が始まる
 州刺史として
 兗州で蜂起した
 異民族・汲桑の鎮圧に従事
 名を馳せるが、
 政治面で政界中央の
 司馬越と対立、
 彼を弾劾したり
 懐帝から
 司馬越誅殺の
 密勅を受けた
 兗州で数度敗北
 他は異民族、叛徒を相手に勝利
 311年
 蒙城で
 石勒に敗戦
 捕らえられ一時は司馬に取り立てられるが、
 一ヶ月あまりで殺害された
 王朝に対しては忠実、軍を率いて戦えば優秀であったが、
 「法の運用面では厳格」が過ぎ、
 公平ではあったが
 彼の周囲では処刑される者が続出し、
 「大勢」の恨みを買った・・・「大勢」とはダレのコトなんだか・・・
 「法」を「護る」、「護れない」とは「法」が「ダレのモノ」なのかを知らなくちゃ・・・「ミンナのモノではナイのはタシカ」だろう・・・
ーー↓且
 且(ショ・シャ・かつ・しばらく
   とりあえず・しばらく・ひとまず)
   〜さえ・かつ
   「且〜、且〜」の形で
   「〜しながら、〜する」
ーー虫+且→虫+且
 虫+且→蛆虫(うじむし・ショチュウ・シャチュウ)→a maggota grub
 ウジは、殺菌効果のある分泌液を出しながら
 腐敗した細胞や壊死細胞のみを食べるので
 感染症の予防効果、分泌液は肉芽細胞や毛細血管の再生を促進
 潰瘍や末期の糖尿病における四肢の壊疽などの治療法(マゴットセラピー)がある。
 死体や糞便に発生するため、
 人間は蛆に対して
 嫌悪感、不気味さを感じる
 蛆、蛆虫という言葉は
 不潔で価値の低いもの、汚れたものという意味でも使われ、
 他人に対して使われた場合には
 侮蔑感を与える意味
 英語のスラング
 「蛆虫野郎(Maggots)」は相手を罵倒するコトバ
 釣り用の餌
 養殖も行われニクバエ類の幼虫が着色され
 サシ、サバムシと呼ばれる
 イタリア
 サルデーニャ地方には発酵して
 蛆をわかせた
 カース・マルツゥと呼ばれる
 チーズが実在
 蛆の外見は
 ハチのコに似る
ーー↓且
 龍且(リュウショ・生年不詳〜紀元前203年)
 楚の武将
 項羽の部下
 紀元前206年
 劉邦が起兵して
 三秦を平定
 龍且は
 魏の相の
 項他とともに
 定陶の南で
 漢の
 灌嬰の軍と戦って敗北(史記・樊酈滕灌列伝)
 紀元前204年
 龍且は項声とともに
 淮南を攻め、
 黥布の軍を破った。
 黥布は漢を頼って逃亡(史記・黥布列伝)
 紀元前203年
 10月
 韓信が臨淄を平定
 項羽は龍且に
 将兵20万を率いさせ派遣
 十一月
 龍且と韓信
 濰水をはさんで対陣
 韓信の土嚢作戦と決壊作戦で
 龍且の軍の大半が濰水を渡りきらないうちに
 韓信は反撃を加え、龍且を殺した(史記・淮陰侯列伝)
ーー↓苟且偸安
 「偸安」は
 「安楽をむさぼる(貪る)」という意味
ーー
 窃玉偸香(セツギョクトウコウ)→節漁句当行
                 漁は「あさる・ギョ」
                 魚は「うお・まな・ギョ」
                 禦は「ふえぐ・ギョ・ゴ」
 男がこっそり
 女に手を出して
 密通すること。・・・・・・・・・密通→(秘)密書
 「玉(たま)」、「香(かおり)」は女性のたとえ
 「タマ」、「カオリ」が「オンナ」の例えであるが、この例えは「真名仮名」の「同音文字」と、その「部首と文字構成の意味」にこそアル・・・
 「窃」、「偸」は盗むこと。
ーー
 ・・・苟且(かりそめ・仮初・仮染め)の「苟」は「丱+句」であるのにも拘わらず、「植物・草木」の意味が無い・・・「丱(くさかんむり)」の「句(く)」・・・「日下武(夢・鵡・務・ム)無理」の「句」であるな・・・「久坂玄瑞=日下玄瑞」・・・「且」は「月+一」だろう・・・「晦日(30日)→朔(ついたち・サク=一日)」の「月かわり」である。「月」は「ゲツ・ガツ」である・・・「解通」で「臥通」である・・・カナ・・・
ーーーーー
 枕草子
 (三三段)・・・参拾参段・三十三段・参参段・33段・參參段
         3+3=6=六=陸
         3×3=9=九=玖
         日本外交文書デジタルアーカイブ
         第33巻(明治三十三年/1900年)
         第33巻別冊
         北清事変
         上巻中巻下巻
ーーー↓北清事変
 義和団の乱
 義和団事件義和団事変・北清事変・北清事件・清国事変
 庚子事変等の呼称がある・・・なぜか、日本の歴史書は「義和団」である・・・
ーー↓
 大逆事件の伏線
 幸徳事件(1910年)の遠因
 「馬蹄銀事件」
 清国の馬蹄銀という銀塊を、
 帝国日本軍
 派遣部隊が横領した事件
 「万朝報」の記者であった
 幸徳秋水らが追及
 この記事によって、
 幸徳秋水
 山縣有朋
 「万朝報」のこの時期の
 「馬蹄銀事件記事」に
 恨みを抱いて
 幸徳自身を処刑にした・・・
ーー↓幸徳秋水
 幸徳 秋水
 1871年
 11月
 5日
 (明治四年9月233日)
  〜
 1911年(明治四十四年)
 1月24日
 無政府主義者
 本名は幸徳傳次郎
 秋水の名は、中江兆民から与えられた
 大逆事件(幸徳事件)で
 処刑された
 十二名の一人
 高知県
 幡多郡
 中村町(高知県四万十市)に生まれる
 幸徳家は、酒造業と薬種業を営む
 「幸徳井(かでい)」という
 姓の
 陰陽師の家であった
 妻
 師岡千代子の父は
 足利三代
 木像梟首事件の首謀者、
 国学者
 師岡正胤
 1887年(明治二十年)上京
 中江兆民の門弟となる
 『自由新聞』(板垣退助社長)に勤めた
 1898年(明治三十一年)
 黒岩涙香の創刊した
 「萬朝報」の記者・・→萬の諜報・調法・長保・兆報
             「萬(万)」とは「太安万侶」である
 「万(萬)朝報」は日本におけるゴシップ報道新聞で
 「権力者のスキャンダル」を追求、
 「蓄妾実例」プライバシーを暴露記事の新聞であった
 1899年(明治三十二年)
 東京の新聞中発行部数一位、
 最大発行部数は三十万部
 一時
 淡紅色の紙を用いたため
 「赤新聞」とも呼ばれた・・・「太安万侶」→「太い安いマラ」の諧謔であるかな・・・

 1900年
 (明治三十三年)
 八月三十日
 憲政党(旧自由党系)が伊藤博文と結び「立憲政友会」を結成したことを嘆き、
 萬朝報に
 「嗚呼、自由党死すや」との一文、「自由党を祭る文」と題した批判論文を発表
 同年六月義和団の乱(北清事変)制圧の際、
 日本軍が清国の馬蹄銀を横領した嫌疑を万朝報で追求し、
 陸軍中将
 真鍋斌を
 休職に追い込む(馬蹄銀事件)
 1901年(明治三十四年)
 「廿世紀之怪物帝国主義」刊行
 同年
 田中正造
 足尾銅山鉱毒事件で明治天皇に直訴
 この直訴状は、
 幸徳が下書きし
 田中が
 加筆、清書・・・したモノであるらしい・・・
 義の和の団→参拾参の段である
ーーー↓枕草子
 牛は・・・・・うし・ぬし=主・・・白牛宮は金星の守護宮
 額・・・・・・客+頁→ひたい→比他意(隊)・避退
 いと
 ちひさく
 白
 みたるが、
 腹の
 した、
 足の
 しも、
 尾の
 すそ
 白き。
ーーーーー
 ・・・いと、おもしろし・・・五行思想陰陽道は土佐「幸徳井(かでい)」・・・高知県幡多郡・中村町(高知県四万十市)・・・「幸徳」家・・・は「金=庚・辛」→「西・酉→鳥」→聖獣は「麒麟(きりん)・白虎」・・・