1129日目・・・「枕草子」の「文章の区切り」が「章・節」ではなく、「段=段の字の左扁の源字→耑(山+而・タン)」となっており、「段落」でもないのに、イト、オカシ・・・だが、ブログで調べると「段落(paragraph・パラグラフ)」とは「文章の一ブロックのことであり、通常は複数の文によって構成される・段落の始めが行頭から一文字、字下げて行う」・・・「長い文章を内容などからいくつかに分けた区切り・一文字下げて書きはじめる一区切り・物事の区切り・切れ目」・・・と、あった・・・だがである・・・「随筆に段」とは

ーーー↓段目
 相撲の番付の、上から「二段目」。十枚目力士(十両)の次位、すなわち幕下のこと。幕下二段目
 「三段目」は浄瑠璃の「三番目の段」。五段からなる一曲を通じて最も重要な部分。
 番付の「三段目」に書かれることから相撲で、幕下の次位、「序二段」の上位
 「六段目」は浄瑠璃の六段目。特に「仮名手本忠臣蔵」の六段目の「勘平切腹」の段。「古浄瑠璃は六段で完結した」ので「御終い・おわり」の意味。最後。終末。終結
 落語の演目‎キャッシュ
共有
 七段目は「しちだんめ」、「第三類 犯罪行為」で、「二階の窓より忍び込む盗賊のこと」。刑事の用語で、「忍び」で二階の窓から忍込む泥棒。
ーーー
ーー↓
 更にウイッキペデアでは
ーー↓
 「日本語においては意味段落と形式段落が存在する。
  意味段落はその段落がひとつの意味を持った塊であることを示し、
  形式段落はその段落がその意味を表す段落のすべてではないが
  表記上段落にしている場合を示す。
  通常は複数の形式段落をまとめて意味段落とする」
 である・・・では、「章」とか、「節」とかは・・・
ーー↓
 「段」は
 「章」と「節」の間
 もしくは
 「節」と「 項」の間ぐらい
 「項」の
 下は
 「条」・・・
ーー↓
 「章」は
 小説構成の大きな単位
 「起・承・転・結」の例で
 起=第一章
 承=第二章
 転=第三章
 結=第四章
 「節」は「章」を区分けするもの
ーー↓
 第1章 第1節 第2節 第3節・・・
 章立てて最も大きな単位は、
 「部」で、以下「章」「節」「項」
 「第2部
  第3章
  第1節
  第3項」のような
 階層
 ・・・とされているらしい・・・ここの説明には「段」がない・・・「段」とは「琴・筝・瑟(しつ・ひつ)・筑(チク)=中国古代の楽器の一で「箏」に似た形で小さい
ーー↓「琴・筝・瑟・筑」楽器の「六段」
 「六段の調」
 八橋検校(1613〜1683)の作曲で近代筝曲の開祖
 生田流創始以前の古曲
 純粋な器楽曲
 器楽のみの曲を「段物」、「調べ物」という
 なぜ「六段」なのかは
 「104拍子」で作られた段が
 六つで構成されているから
ーー↓
 「千鳥の曲」
 「六段の調」と並ぶ有名曲
 吉沢検校が
 安政二年(1855)に作った
 「古今和歌集」と
 「金葉和歌集」から
 「千鳥」に関する歌を一首づつ選んだ歌詞に調弦
ーー↓
 「みだれ」
 作曲は
 八橋検校
 「みだれ」の源曲は古い筑紫流筝曲
 「みだれの由来」
 十二段から成る各段の
 小節数が一定しないことから
ーー↓
 「八千代獅子」
 本来は尺八の曲
 _保年間(1741〜1744)に
 藤永検校が三弦(三味線)に移した
 尺八曲の原名「獅子」と
 その唄の中に「八千代」という一節から
 「八千代獅子」とつけられた
 歌舞伎の下座音楽(歌舞伎囃子)
 長唄
 「船弁慶」にも取り入れられた
ーー↓
 ・・・「琴・筝・瑟(しつ・ひつ)・筑(チク)」・・・ですか・・・「神功皇后」は「いたこ」・・・「日本の古代音楽を最も古い形のまま現在まで伝承しているのが恐山などのイタコが交霊に演奏する楽器・・・和琴を使うのはごく一部、一般にイタコが用いる楽器は梓弓が多い」らしい・・・恐山にはイタコが集まる時期が七月二十日から七月二十四日までの「例大祭」らしい・・・「イタコ」の漢字は無いらしいが、説として「いちこ」=「巫女(みこ)の転訛があるらしい・・・ならば、邪馬台国の「十三歳」の「壱與(与)」であるカナ・・・「潮来の伊太郎」って?・・・「薄情そうな渡り鳥」・・・「橋幸男」が「1943年(昭和十八年)五月三日生まれ」なら・・・「潮来(いたこ)」とは「無関係」ではないだろう、カナ・・・
ーー↓
 潮来市は、茨城県の南東部に位置。湿地帯。西に霞ヶ浦常陸利根川、東に北浦、南に外浪逆浦と水辺に囲まれ、市内の中心にも前川が流れる水郷地帯
ーー↓
 隣接自治体は「鹿嶋市稲敷市神栖市行方市」、「千葉県の香取市」、
  ↓
 「茨城県」の地図は「鳥の飛翔している姿(形)」に見える?

ーー↓
 市の木は「ポプラ(ポプラ(poplar・双子葉植物綱キントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ属・ハコヤナギ属 Populus の総称・西洋箱柳、 イタリア山鳴(やまならし・ポプラの学名 Populus は震えるという意味があり、ポプラの葉が僅かな風でもサラサラとそよぐことから)」、
ーー↓
 「ポプラ並木」なら「北海道(蝦夷)大学」だろう・・・そして「時計台」に「クラーク博士」の「農学校」・・・「章(詳)年(歳)与太詞を飯炊気」・・・?
ーー↓
 花は「アヤメ」で、「アイリス・アヤメ(菖蒲、文目)・花言葉(いずれ文目か杜若(区別できないことのたとえ)・五月十一日、六月三日の 誕生花(文目)・使者・よい便り・よい便りを待つ・神秘な人・信じる者の幸福」・・・「いずれアヤメか、カキツバタ」は「似ていて迷う意味」
ーー↓
 ・・・「危め・殺め」だろう・・・
ーー↓
 鳥は「ヨシキリ(葦原=芦・蘆=ヨシ原等に生息・動物食で、昆虫類、節足動物等・ヨシ原やその周囲の森林で獲物を捕食・ヨシを切り裂いて中にいる獲物を捕食・繁殖期には縄張りを形成し、一羽のオスに対し複数羽のメスで巣を形成・ヨシの茎や葉等を組み合わせたお椀状の巣を作る・日本では五〜六月に一回、四〜六個の卵を産む・メスのみが抱卵・抱卵期間は13〜15日・雛は生後十一〜十三日で巣立」
ーー↓
 「ヨシキリ」は「カッコウ(郭公)の托卵対象」である・・・「郭務悰」と「持統女帝」の関係だろう・・・鳴き声は「行行子(ギョウギョウシ)」」と鳴く。「夏の季語」。
ーー↓
 市役所所在地は「〒311-2493」、「潮来市辻626番地(本庁)」・・・である・・・
ーーー↓
 「仲哀天皇(ちゅうあいてんのう、
  成務天皇十八年?〜仲哀天皇九年二月六日・
  第十四天皇(在位は仲哀天皇元年一月十一日〜九年二月六日・足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)・帯中日子天皇古事記)」の妻・・・
 「神功皇后(じんぐうこうごう・成務四十年〜神功六十九年四月十七日)」は、「仲哀天皇の皇后」で「気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと・日本書紀)」、「息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと・古事記)」、「大帯比売命(おおたらしひめのみこと・古事記)」、「大足姫命皇后」で、父は「開化天皇」である・・・
 ・・・「アイヌの伝統楽器の箏であるトンコリ(カーとも言う)は、和琴と類似した構造を持つ(ただし弦は五本)」・・・奈良時代に唐より伝わった「中国の箏」の起源は、秦の時代(紀元前三世紀頃)の「蒙恬(もうてん)」が造ったのが始まりとされるらしい・・・
ーー↓
 兎に角・・・ボクの「作文」はこれらの「文法規則」からは「滅茶苦茶(目茶苦茶)」にハズレている・・・?・・・イツモの如く、マタ、ハナシが飛びます・・・メッチャクチャ・・・
ーー↓ 
 「滅茶苦茶(目茶苦茶)・無茶苦茶」は「漢字の語源」ではなく、「仏教用語」の「無為・無作」で、「無作法」らの転訛で、「客に茶を出さないコト」であるらしい・・・が、「当て字」は「漢字」である。 
 「目茶苦茶」→「目にお茶を入れた所、非常に苦しかった」
 「滅茶苦茶」→「病の老人が薬を飲むための茶を誰かが飲んでしまった」
 「無茶苦茶」→「ムチャッとした干し柿を婆さんがクチャと踏みつけた」
 事が由来、とあった・・・イト、おもしろし、おかし・・・
 「茶(チャ・サ)」は「サ+∧+木(十八)」で、「荼(タ・ト・ジャ・ド)」に類字し、「丱・サ・廾(キョウ・ク)」を省けば「余(ヨ・あまる・あまり)」→「∧+一(ノ)+木(十八)」である・・・「荼毘(ダビ・荼毗)」とは「死体の火葬」である。「毘=毗」は「臍(へそ)」のコトである。
 「荼(ジャ・ド・タ・ト)」は「ニガナ(苦菜?)・カヤ(萱・茅)の白い花・荼毒」は・・・多分、「どくだみ=どくだみ茶・十薬・重薬」の示唆で?・・・「古名」は「之布岐(シブキ)」であるそうだ。「どくだみ」の漢字は「蕺(シュウ)=丱+戢(口耳戈・シュウ・おさめる)」で・・・「毒溜・毒痛・毒矯・輯菜・輯草」が当て字らしいが「毒拿見(どくだみ)」だろう・・・江戸時代の方言集である「物類呼称(1775年)」には「しゅうさい」、「じゅうやく」、「しぶき」、江戸で「どくだみ」、武蔵では「じごくそば」、上野では「どく草」、駿河沼津では「しびとばな」、越前にて「どくなべ」・・・
 「大和本草(1709年・貝原益軒)」によれば
 「ワガ国ノ馬医コレヲ馬ニ用イルト、十種ノ薬ノ能アリトテ十薬ト号スト云」
 と記録されているそうである。
 「名医別録(5〜6世紀頃の中国の医師、陶弘景)」に
 「輯(シュウ)」と記録され「シュウ→拾→十→十薬(ジュウヤク)」と転訛されたらしい・・・
 学名は「Houttuynia cordataの属名「Houttuynia(ホウツイニア)」はオランダの医師「ハウトイン」の名に因んで付けられ、種小名「cordata(コルダータ)」はラテン語で「心臓の形」の意味で、「葉の形」が似ていることからに因むらしい・・・
ーー
 薬草だが
 ドクダミの副作用もある
 薬草の中でもカリウムが多く含有
 腎機能が低下
 視力と腎臓は密接に関係
 目と腎臓は密接な関係があり、
 腎臓が傷んでくると
 目の周りの
 くま(隈)が色濃くなってくる
 目の「くま」は、腎臓機能が弱っている兆し
 カリウム血症を起こす
 血中のカリウム濃度が上がってしまう病気で
 手足のしびれや筋力の低下・吐き気、
 不整脈などを起こす
 湿疹が出る
 便が緩くなる
 光線過敏症
ーー
 荼枳尼天(だきにてん・ヒンドゥー教の女鬼(半女神)・「荼枳尼・荼吉尼天・吒枳尼天」とも漢字表記吒天(だてん)
 鳩槃荼(くばんだ・インド神話の魔神・仏教で護法神(鬼神)の一族・「弓槃荼・倶満拏」とも書く。「陰嚢」のような形をしていることから「陰嚢・甕形鬼・冬瓜鬼」と漢訳
 軍荼利明王(ぐんだりみょうおう・軍荼利夜叉明王(ぐんだりやしゃみょうおう)・密教宝生如来の教輪転身で、様々な障碍を除くとされ、五大明王の一尊・南方に配置
 「荼毒(ツウヅウ)」は「民衆を迫害」する意味らしい・・・
ーーーーー↓
 「段」・・・「椴(とどまつ)」
       「緞(タン・ドン→金襴緞子・絨緞=絨毯)」
       「鍛(きたえる→鍛錬・鍛冶屋)」
       「階段・下段・中段・上段」
 「段」=「厂(ナ?)+三(二?)→F(英語のエフ)+二
       +    ↓段の字の左扁→耑(山+而・タン)
       +    ↓「耑」は上下のコト
       +    ↓鎚(槌)で上下をタタイて鍛えるコト
       + 斥(セキ・シャク・しりぞける)の変形?
       +
      几+又」→「梯子・脚立」の横キの又
     「几(キ)」=机(つくえ)・肘(ひじ)掛け
     「おしまずき・
      物を載せたり、ひじや腰を掛けたりする足つきの台」
        「几案・几帳・床几(しょうぎ)・浄几」
        「几号」=何日(ナンニチ・ひと月のどの日)
             明治七年(1874)の地理測量の
             「大三角測量」
             明治八年(1875)の標高△地点
ーーーーー↓
 枕草子
(二二段)・・・弐拾弐段・弐弐段・二十二段・弐弐段

 すさまじきもの
 晝ほゆる犬。
 春の網代
 三四月の紅梅のきぬ。
 嬰兒のなくなりたる産屋。
 火おこさぬ火桶、すびつ。
 牛にくみたる牛飼。
 博士のうちつづきに女子うませたる。
 方違に
 ゆきたるに
 あるじ
 せぬ所。
 まして
 節分は
 すさまじ。

 人の國より
 おこせたる
 文の物なき。
 京の
 をも
 さこそは
 思ふらめども、
 されどそれは
 ゆかしき事
 をも
 書きあつめ、
 世にある事を聞けばよし。
 人の
 許に
 わざと
 清げに
 書きたてて
 やりつる文の、
 返事見ん、
 今は來ぬらん
 かしと
 あやしく
 遲きと待つほどに、
 ありつる
 文の結びたる
 もたて文も、
 いと
 きたなげに
 持ち
 なし
 ふくだめて、
 うへに
 ひきたりつる
 墨さへ消えたるを
 おこせたりけり。
 「おはしまさざりけり」とも、
 もしは
 「物忌とて取り入れず」など
 いひてもて歸りたる、
 いとわびしく
 すさまじ。

 またかならず來べき人の許に、
 車をやりて待つに、
 入り來る音すれば、
 さななりと
 人々出でて見るに、
 車やどりに入りて、
 轅ほうと
 うち下すを、
 「いかなるぞ」と問へば、
 「今日はおはしまさず、渡り給はず」とて、
 牛の
 かぎり
 ひき出でて
 いぬる。

 また家動りて
 とりたる壻の
 來ずなりぬる、
 いとすさまじ。
 さるべき人の
 宮仕する許やりて、
 いつしかと思ふも、
 いと
 本意なし。
 兒の
 乳母の
 唯
 あからさまとて
 往ぬるを、
 もとむれば、
 とかく
 あそばし慰めて、
 「疾く來」といひ遣りたるに、
 「今宵はえ參るまじ」とて
 返しおこせたる、
 すさまじき
 のみにも
 あらず、
 にくさわりなし。
 女などむかふる男、
 まして
 いかならん。
 待つ人ある所に、
 夜少し更けて、
 しのびやかに
 門を叩けば、
 胸少し
 潰れて、
 人出して
 問はするに、
 あらぬよし
 なきものの
 名のりして
 きたるこそ、
 すさまじと
 いふ中にも、
 かへす
 がへす
 すさまじ
 けれ。

 驗者の物怪調ずとて、
 いみじうしたりがほに、
 獨鈷や
 珠數などもたせて、
 せみ聲に
 しぼり出し
 讀み居たれど、
 いささか
 退氣もなく、
 護法もつかねば、
 集めて念じゐたるに、
 男も女も
 怪しと思ふに、
 時の
 かはるまで
 讀みこうじて、
 「更につかず、たちね」とて
 珠數
 とりかへして、
 あれと
 「驗なしや」と
 うちいひて、
 額より上ざまに
 頭さぐりあげて、
 あくびを
 己うちして、
 よりふしぬる。

 除目に
 官得ぬ人の家、今年はかならずと聞きて、はやうありし者どもの、外々なりつる、片田舎に住む者どもなど、
 皆集り來て、
 出で入る
 車の
 轅も
 ひまなく見え、物まうでする供にも、われもわれもと參り仕うまつり、物食ひ酒飮み、ののしりあへるに、はつる曉まで門叩く音もせず。
 「怪し」など
 耳立てて聞けば、
 さきおふ聲して
 上達部など
 皆出で給ふ。
 ものききに、
 宵より寒がり
 わななき
 居りつる
 げす男など、
 いと
 物うげに
 歩み來るを、
 をるものどもは、
 とひだにも
 え問はず。
 外よりきたる者どもなどぞ、
 「殿は何にかならせ給へる」など問ふ。
 答には、
 「何の前司にこそは」と、
 必いらふる。
 まことに頼みける者は、
 いみじう
 歎かしと思ひたり。
 翌朝になりて、
 隙なく
 をりつる者も、
 やうやう
 一人二人づつ
 すべり出でぬ。
 ふるきものの、
 さもえ
 行き
 離る
 まじきは、
 來年の
 國々を
 手を折りて
 數へなどして、
 ゆるぎ
 歩きたるも、
 いみじう
 いと
 ほしう、
 すさまじ
 げ
 なり。

 よろしう詠みたりと思ふ歌を、人の許に遣りたるに返しせぬ。
 懸想文は
 いかがせん、
 それだに
 をり
 をかしうなどある
 返事せぬは、
 心おとりす。
 又
 さわがしう
 時めかしき處に、
 うち
 ふる
 めき
 たる人の、
 おのがつれづれと
 暇あるままに、
 昔覺えて、
 ことなる事なき
 歌よみして
 遣せたる。
 物のをりの扇、
 いみじと思ひて、
 心ありと
 知りたる人に
 いひつけたるに、
 その日になりて、
 思はず
 なる
 繪など
 書きて
 えたる。

 産養、
 馬餞などの使に、
 禄など
 とらせぬ。
 はかなき
 藥玉、
 卯槌など
 もて
 ありく
 者など
 にも、
 なほ
 必とらすべし。
 思ひ
 かけぬことに
 得たるをば、
 いと興ありと
 思ふべし。
 これは
 さるべき
 使ぞと、
 心
 ときめきして來るに、
 ただなるは、
 誠に
 すさまじき
 ぞ
 かし。

 壻とりて、
 四五年までうぶやの
 さわぎせぬ所。
 おとな
 なる
 子ども
 あまた、
 ようせずば、
 孫なども
 はひ
 ありきぬべき
 人の親どちの
 晝寢したる。
 傍なる子どもの
 心地にも、
 親の
 ひるねしたるは、
 よりどころ
 なく
 すさまじく
 ぞ
 あるべき。
 寢起きて
 あぶる湯は、
 腹だたしく
 さへ
 こそ
 覺ゆれ。
 十二月の
 晦日
 なが雨、
 一日ばかりの
 精進の
 懈怠とや
 いふべからん。
 八月の
 しらがさね。
 乳
 あへず
 なりぬる
 乳母。
ーーーーー