1074日目・・・眠っている猫を観ているとどうやら「夢」をみているらしい・・・寝言(?)を言うし、目をつぶっていても、その表情は笑っているか、怒っている。手足も身体も動かす。突然跳ね起きて部屋の中を飛び回り、そしてキョトンとしているコトもある。起きている時にトイレか台所にいく時は寒いのにドアを開けっぱなしで出て行くが、閉めてはいかない・・・ボクが腹痛で辛い顔をしている時には心配そうに擦りよってきてはボクの鼻に自分の鼻を突き合わせてくれるのだが・・・

 最近、ボク自身も「夢」をよくみるのだが、すぐに記憶は「ブラックボックス」の中に吸い込まれていく・・・「ブラックホール」は「物体を吸い込んでいく物体の振動現象」だから、「黒穴」は「穴=空間」であろうが、「穴」も「物質」そのものである。「穴の形成」には「振動している物質」の存在が必要である。無ではなく、有の振動変化現象である・・・「人間の夢」は「過去的経験」をベースにした「未来的願望」か「未来的警告」の象徴だろう。だが、まったく自分の「過去的経験」とは無縁であるような場所で、見知らぬ人物とのやりとりの夢も視る。出来事の内容は憶えていないのだが夢の「物語」が展開された「場所」はナゼか憶えている。天国でも地獄でもないのだが、それには三種類の「場所」である。路面電車が走る都会の街並み。湾岸の岩肌のきりだった海岸沿いの集落の道。それに、高台の入り組んだ場所にある屋敷から隣接して連々と続く屋敷、その庭と木戸道。設定された夢の場所・・・その歩いている最中に「物語」が起こっているのだが、その「内容」が思い出せない・・・
 「生理学」的には「夢」は生きている人間には必要なモノらしい・・・けれど・・・「食う、寝る、動く」の生命維持活動で、「睡眠自体」そのものが生物には「必要条件」だから、「夢」も現実的に起きている時の生活の「喜怒哀楽」の「脳の調節機能」なんだろう・・・過度、過激なる「喜・怒・哀・楽」の極限は「生命維持」にカカワルから・・・「不合理・非合理」だと思っている状況、環境の中での「自分自身」を「自己納得」させる前段階的な「警告機能」なのカモ・・・この「自己納得」は多分、他者との「現実的な妥協」と、云うことカモ・・・「我の理屈=信念・信条」と、「相手の理屈=信念・信条」との「折り目をつける」と言うモノかも・・・「内面の信条」と「外面の妥協」・・・
 「踏み絵」を踏んでも、「転ん」でも「信仰」を捨てたことにはならんだろうに・・・「日本人」はどうやら、それが「嫌いな人種」らしい・・・特に下々は「殉教=理屈=非合理」に生きることを「洗脳」されてきたから・・・カンジも「殉教=ジュンキョウ=順境」は同音である、ナッ・・・
 「夢(ゆめ・ム)」なんだけれど、漢字分解では「サ+罒+冖+タ」だが、「サ」は「++=手手=拱」なんだか「丱=草」なんだか・・・「罒=網」は「目」の横にしたモンなんだか・・・「意識」を「空→無→莫(ない・なかれ・バク・マク)」とした「龍樹菩薩」はエライ・・・「網膜細胞」が「感知」するのは「物体」の「形と色の明暗の光の波長の振動」で、「色即是空」・・・「耳無し芳一」は盲目だったが「聴覚=音感」はあった。「音即是空」である。「鼓膜細胞」が「感知」するのは「音響の大小高低の音波の振動」である。
 ウイッキペデアには
 「耳なし芳一」、
 「安徳天皇や平家一門を祀った阿弥陀寺赤間神宮、長州・山口県下関市)を舞台とした怪談」で
 「小泉八雲」の「怪談」物語にもなった。
 「八雲」は、
 「一夕散人(いっせきさんじん)」の
 「臥遊奇談・第二巻・琵琶秘曲泣幽霊(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)
  ・1782年」
 「昔話として
 徳島県より採集された例では
 「耳切り団一」で、
 柳田國男
 「一つ目小僧その他」等で言及している。・・・一目傘=市目傘
 「寛文三年(1663年)に刊行された
 「曽呂利物語」の中では、
 舞台は
 信濃
 善光寺内の
 尼寺となっており、
 主人公は芳一ではなく
 「うん市」という
 座頭である」
 と、あった。
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 小泉 八雲
 1850年6月27日〜
 1904年(明治三十七年)9月26日
 ギリシア出身の
 新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家。
 出生名は
 パトリック・ラフカディオ・ハーン
 (Patrick Lafcadio Hearn)
 ラフカディオが一般的に
 ファーストネームとして知られているが、
 実際は
 ミドルネーム
 アイルランド守護聖人・聖パトリックに因んだファーストネームは、
 ハーン自身キリスト教の教義に
 懐疑的であったため、この名をあえて使用しなかったといわれる。
 ファミリーネームは来日当初
 「ヘルン」とも呼ばれていたが、これは
 松江の
 島根県立中学校への赴任を命ずる辞令に、
 「Hearn」を「ヘルン」と表記した
 妻の
 節子には
 「ハーン」と読むことを教えた
 HearnもしくはO'Hearnは
 アイルランド南部では比較的多い姓である。
 1896(明治二十九年)に
 日本国籍を取得して
 「小泉八雲」と名乗る
 「八雲」は、一時期
 島根県
 松江市に在住していたことから、
 そこの旧国名令制国)である
 出雲国にかかる
 枕詞の
 「八雲立つ」に因むとされる。
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 なるほど、「小泉」に関係するかな・・・「竹島」・・・
 そちらの「ウラミ」が千年ならば、
 こちらの「ウラミ」は二千十三年である。
 そして、「半島本貫人と、渡来人、同族同士のウラミ」である。
 「源地原住日本人」は「水に流した」のだ・・・