1073日目・・・TVシンポジウム「子どもを感染症から守る!〜予防接種の最新情報〜」をみたけれど・・・育てた経験は皆無だが、「子供の目線」で子供を養育しない親御さんには心配だ。今現在、「ノロウイルス」厳戒態勢の中で呼吸をしているお袋には感謝である・・・兎に角、子供を健康に育てるのは大変な事業である・・・「天然痘の予防接種」・・・ワクチンを「Y字型」の「器具(二又針)」に付着させて人の上腕部に刺し、円形の傷を付けて皮下に接種・・・「現存古事記」には江戸時代の「蘭学者=蘭学医者」が関わっていたと思うのだけれ

 「種痘」の歴史を調べてみれば、「中国」がその最初・・・「天然痘患者の膿を健康人に接種して軽度の天然痘を起こさせて免疫を得る人痘法が行なわれていた」らしい・・・古代エジプト(手術・死後再生=ミイラ・腑分け保存)→「西洋医学=患部除去」と、古代中国人(投与内服漢方薬・健康保持・長寿=不死・仙人)→「東洋医学(滋養強壮予防)」の考え方が、現在まで「医療思想」に影響しているかも・・・ウイッキペデアを開けば「1796年にイギリスの医師エドワード・ジェンナーが、ウシの天然痘である牛痘の膿を用いた安全な牛痘法を考案・・・さらに優れたワクチンとして、人痘ウイルスをウサギの睾丸を通して弱毒化した後に、牛に接種して作った牛化人痘ワクチンが開発され、広く用いられた」とある・・・「疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)」とも呼ばれ、治癒後には「あばた」と云われる「病痕」を残す。発熱後3〜4日目に一旦解熱して以降、頭部、顔面を中心に皮膚色と同じまたはやや白色の豆粒状の丘疹が生じ、全身に広がっていく」らしい・・・幼少時に「伊達政宗」も罹病したらしい・・・包装、法曹、奉送、法相・・・
 ボク的には「痘ウイルス」→「ウサギ(兔・兎・卯)の睾丸→有詐欺(詐偽)の厚顔(紅顔・抗癌・乞う願)」→「ウシ(牛・丑)→ぬし(主)」→「人間への種痘」の段階と「漢字の音訓・字形」が「現存古事記卑弥呼・壱与」の物語に関連しているようで、興味のあるところである・・・「天然=自然」で、「痘=疒+豆」は「病(疒+丙=やまい)ダレの豆(まめ・トウ・ズ)」で、「干支」の「年月日」の「丙子(ヘイシ・ひのえのね)」の「サイクル」の「音訓」が関連して意味する「事象・出来事」である・・・「妊娠(胎)」、「出産(沐浴)」、「成人(冠帯)」までは「我が子」の健康と先行きである・・・「我が子」の「養育・保育」はジジ、ババ、そして両親、舅姑の過去的な経験知識の伝授、口伝、記録である・・・そして「医者の専門知識」である・・・
 以下の「知識源」はスベテ「ウイッキペデア」を参考、参照にしたものである。原文はウイッキペアから抜粋である・・・
 「天然痘」と言う「漢字」は何時からのものなのか「天の然の痘」・・・ムカシ、美空ひばりの「女三四郎」と言う映画や、「路傍の石」の映画のバックに流れていた音楽・・・そして、サーカスやチンドン屋が奏でる音楽はあの懐かしいメロデーである・・・「天然の美」の歌曲が流行したのは「明治」である。「美しき天然(うるわしきてんねん)」は、「田中穂積作曲、武島羽衣作詞の唱歌。1902年(明治35年)完成。ワルツのテンポなんだ、アレは・・・「天然の美(テンネンのビ) 」・・・「自然の美(ジネンのビ)」ではなかった・・・
 「美しき天然」は「野口男三郎事件」に絡めた替え歌「夜半の追憶(男三郎の歌)」が、1906年から1907年に流行ったらしい・・・歌詞は「三部作」形式、長さは「437行」・・・ナゼ、この唄が「替え歌」とされたのかは、ボク的な解釈ではこの「猟奇的事件」の説明内容にあるのだが・・・「天然」のコジつけである・・・
 漢和辞典には確かに「天然」の説明がある。そして大修館漢和辞典721ページには「自然」の説明も「自=ジ・シ・みずから・おのずから・より・から・鼻(はな・ビ)の形を自とし、音の始が自と通じた」の項目にある。元々「自」が「鼻(はな)の字形で、その意味」だったが「後に漢字の鼻が出来、自は出っ張った意味」となり「自は始(はじめ・シ・ジ)の意味」になった・・・「胎生動物はまず鼻から形作られるとされた」・・・「鼻祖(ビソ)=元祖(ガンソ)」とも記されるが・・・この説明は苦しい「詭弁」に思われる。
 これはまさに子宮内の胎児形成の「臍(サイ)=へそ・ほぞ=毘(ビ)」の同音の「ビ」が、出産直後の体外生命活動が鼻腔(鼻孔)の呼吸から始まり、胎内と胎体の生命現象の最初に重なるからだ。いずれも「体内に酸素の吸収」をする器官である。
 そして、「鼻(はな・ビ)」は「顔面の中央→ミドル・センター」にある器官である。「臍(へそ・ほぞ・サイ)=毘(へそ・ビ)=へそ・ほぞ」は「腹部の中央」にあり、「身体の中央」にある。「毘」は「毘沙門天・金毘羅・毘古(彦)」に使用されている漢字である。そして漢字分解では「毘=田+比」で、更に「比」は「ト+一+ヒ」、更に「ヒ=匙(さじ・ヒ)」の類字は「七(なな・シチ・シツ)・匕(めす・ヒン・ビン)」である。まさに「始」は「女+台」で、「胎=月+台=肉+台」で「胎児の肉体を支える台」と、「母体」から酸素を含む栄養分をそれに供給する「母と子」を繋ぐ紐帯、「臍帯(サイタイ)・臍(へそ)の緒(を)」である。
 「自(ジ・シ)」と、漢和辞典1021ページの「鼻(ビ・ヒ)」には音通がない。「鼻(はな・ビ)=自+田+廾(ささげる・手を拱=こまぬく・キョウ・ク)」である。異字は「廾」が「兀(ゴツ・ゴチ)→?几(つくえ・キ)→?一+ハ」で、「自+畀(田+兀)」とある。「畀(あたえる・あたう・賜う・ヒ)=空気を呼吸、供給する孔」である。その器官の機能は息を吸い込む両穴で、「臭い=匂い」を感じる「臭覚(シュウカク)・嗅覚(キュウカク)」器官である。「鼻」の漢字そのものは部首合字の「鼻腔・鼻孔」の意味である。「鼻・息・臭・嗅」はいずれも「自」を部首とする合字であるから「はな」に関係するモノを意味するが、「自」は「ノ+目」である。字形で云えば「両目の間にあるモノ」が「ノ(ヘツ・ヘチ・右から左に曲がる)」というコトである。だが「目」と言うよりは「目→四(シ・肆)=口+儿」か、「目→罒(モウ)=網」、「自→血=ノ+皿」の縦書きで、目の上の「ノ」は「天」を指す意味ではないのか?・・・「テン」とは「天=一+大=二+人=一+一+人」・・・「ノ」・「ヽ」・「ゝ」・「’」・「ー」である。「天空のラピタ」と言う熟語があるから「天気・空気」の「気=気体」を除いた合字が「天空」である・・・721ページには「自然」の熟語とその説明があるが、熟語形成の由来、爾来の説明がない。説明がなくても「自(おの)ずから然(しか)り」は「燔柴( はんさい)=燔祭の焼(燃)き贄肉の煙りと臭(匂=勹+匕)い」であろう。
 「鼻」の「廾」であるならば、「廾」の漢和辞典には元々の字は「手+手」で、これが略されて「++」となり「拱=手+共」で「両手を合わせて(あるいは、左右の手の五指を交互に組んで)高く掲げる」とある。イメージは「祈りを捧げている姿」である。「自」が「はな」ならば「田」は「囗の中の十」であるが、「十」の意味は「四方位」か「十字架・クロス」である。「縦棒の|」と「横棒の−」の重なりは「十」であり、斜めは「Ⅹ」で「×」である。
 英語では「navel(ネイブル)・bellybutton (ベリーバトゥン)」・・・ベリーダンスはエジプトか、中東の踊りである。「belly」が「腹」で、「button」が「ボタン」なら、正確には「ベリーバトゥンダンス」だろう。医学用語では「umbricus (アンビリカス)」と云うらしいがギリシャ語の「アスクレピオン(ギリシャ東部、エーゲ海に浮かぶコス島の北東部にある遺跡。古代ギリシャの医術の神アスクレピオスの聖域であり、医師ヒポクラテスが創設した治療院、医学校があった場所)」からものである。紀元前325年から建設されたモノで、古代ギリシャには5ヵ所あったらしい。で、他の「トルコ・ベルガマ(アスクレピオン=アスクレピリオン遺跡)」は「トロイ遺跡」と、「イズミール」の中央、中間に存在する。地下の岩窟都市「カッパドキア」はその東方に位置する・・・「アスピリン=アスピリオン(解熱鎮痛剤)」・・・ギリシア神話の医神。アポロンラピタイ族の王の娘コロニスKorōnis(カラスの意)の子。コロニスが妊娠中に不貞を働いてアポロンに殺されたあと,その胎内から生まれたのが「アスクレピオス(Asklēpios)」で、「ケンタウロス族(半身半馬=上半身が人、下半身が馬・ケンタウロス(Κένταυρος)・射手座」の賢者「ケイロン」に医術を学び,死者を蘇生させるまでなった。彼は「自然の理法」が覆ることを恐れた「ゼウスの雷霆(らいてい)」でうち殺され、「蛇使い座の星座」になった・・・

 ケンタウロス・・・・けん=県(建・健・謙・圏・見・兼)
           たう=他有(多雨・蛇有・太得・等・唐・問)
           ろす=路主(賂素・賂諏・呂子)
 ケイロン・・・・・・けいろん=経論(景論・桂論)
 アスクレビオス・・・あす=明日(阿州)
           くれ=呉(繰・刳・暮・句例)
           びお=毘緒(尾・麻・於・嗚・乎)
           す=主(州・素・守・子)
 ベルガマ・・・・・・べる=部留(邊留)
           がま=蝦蟇(窯・釜・鎌・罐・蒲)→掛磨・加麻
 トロイ・・・・・・・とろい=弱鋳→とろひ=弱火→弱化(持薬加・字訳掛)
                  鈍い
 イズミール・・・・・いずみ=泉(和泉・出水・伊豆見)
           いる=居(入・鋳・炒・煎)→意留
 カッパドキア・・・・かっぱ=河童(合羽・喝破)
           どき=土器(土岐・怒気・退・時・土記)
           あ=蛙(阿・亜・亞・唖・鴉・Y)

 「自然(ジ+ネン)」と音よみされ、「自然(シ+ゼン)」は、「nature」に当てたが、「天然(テンネン)」は、文明開化の「明治」の造語である。「天然」は「テンゼン」とはヨマない・・・「天然(テンネン)木瓜(ぼけ=呆け)」である・・・
 「天然痘」の原文記事は以下・・・
天然痘 - Wikipedia

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 「天然痘」の記録は紀元前1350年のヒッタイトとエジプトの戦争の頃であり、また天然痘で死亡したと確認されている最古の例は紀元前1100年代に没したエジプト王朝の「ラムセス5世」で、彼のミイラには天然痘の痘痕が認められた、そうである。
 イスラムの「アル・ラーズィー」が著書「天然痘と麻疹の書(Kitab fi al-jadari wa-al-hasbah)」において麻疹と天然痘の違いについて言明した、記録があるらしい
 ヨーロッパでは紀元前430年の「アテナイの疫病」は「アテナイのペスト」とも呼ばれたが、記録に残された症状から天然痘であったと考えられる(他に、麻疹、発疹チフス、あるいはこれらの同時流行とする説もある)。
 165年から15年間ローマ帝国を襲った「アントニヌスの疫病(アントニヌスのペスト)」も天然痘とされ、少なくとも350万人が死亡した。その後、12世紀に十字軍の遠征によって持ち込まれて以来、流行を繰り返しながら次第に定着し、ほとんどの人が罹患するようになる。ルネサンス期以降肖像画が盛んに描かれるようになったが、天然痘の瘢痕を描かないのは暗黙の了解事項であった。
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 「日本書紀」には、
 「瘡(かさ)発(い)でて死(みまか)る者――身焼かれ、打たれ、摧(砕)かるるが如し」
 とあり、瘡を発し、激しい苦痛と高熱を伴うという意味で、天然痘の初めての記録と考えられる(麻疹などの説もある)。
 585年の敏達天皇崩御天然痘の可能性が指摘されている。
 735年から738年にかけては西日本から畿内にかけて大流行し、
 「豌豆瘡(「わんずかさ」もしくは「えんどうそう」とも)」と称され、平城京では政権を担当していた藤原四兄弟が相次いで死去した。この時の天然痘について
 「続古事談」などの記述から、当時新羅に派遣されていた
 遣新羅使の往来などによって同国から流入したとするのが通説
 奈良の大仏造営のきっかけの一つがこの天然痘流行である。

 東山天皇孝明天皇の死因も天然痘といわれる。
 明治天皇も、幼少時に天然痘にかかった。

 北海道には江戸時代、本州から渡来した船乗りや商人たちによって、肺結核、梅毒などとともに伝播した。伝染病に対する抵抗力の無かったアイヌ民族天然痘に感染。
 アイヌは、
 水玉模様の着物を着た
 疱瘡神「パコロカムイ」が村々を廻ることにより天然痘が振りまかれると信じ、患者の発生が伝えられるや、村の入り口に臭いの強いギョウジャニンニクやとげのあるタラノキの枝をかかげて病魔の退散を願った。そして自身は顔にすすを塗って変装し、数里も離れた神聖とされる山に逃げ込み、感染の終息を待ちつづける。しかしこのような行為に医学的な効果があるわけでもなく、江戸期を通じて流行は繰り返され、和人商人のアイヌ酷使も相まってアイヌ人口は大いに減少した。幕末にアイヌ対象の大規模な種痘が行われ、流行にようやく歯止めがかかった。

 日本では
 秋月藩藩医だった
 緒方春朔が1790年に種痘を行っているが、これはジェンナーが考案した牛痘を用いる方法ではなく、天然痘
 瘡蓋(かさぶた)の粉末を接種する方法を緒方自身によって改良を加えたものだった。
 1810年にはロシアに拉致された
 中川五郎治が、帰国後に
 牛痘を用いた種痘法を実践。
 1814年には安芸国の漂流民
 久蔵が種痘法を覚え、牛痘を日本に持ち帰って効果を
 広島藩主に進言しているが一笑され実現化に至らなかった。
 1849年には
 佐賀藩の医師
 楢林宗健と長崎のオランダ人医師
 オットー・モーニッケが種痘を実施し、日本全国に種痘が普及し始める。同年には
 日野鼎哉が京都に、
 緒方洪庵が大坂に、
 「除痘館」という種痘所をそれぞれ開いている。江戸ではやや遅れた
 1858年に
 伊東玄朴・箕作阮甫・林洞海・戸塚静海・石井宗謙・大槻俊斎・杉田玄端・手塚良仙ら
 蘭方医83名の資金拠出により、
 神田松枝町(東京都千代田区神田岩本町2丁目)の
 川路聖謨の屋敷内に
 「お玉が池種痘所」が設立された(東京大学の前身)。
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 1663年米国では、人口およそ
 4万人のインディアン部落で流行があり、数百人の生存者を残したのみであった
 1770年のインドの流行では
 300万人が死亡したなどの記録がある。
 Jenner による種痘が発表された当時(1796年)、
 英国では
 45,000人が天然痘のために死亡していたといわれる。
 我が国では
 明治年間に、
 二〜七万人程度の患者数の流行(死亡者数五,000〜二万人)が
 六回発生。
 第二次大戦後の
 1946(昭和二十一)年には
 一八,000人程の患者数の流行がみられ、
 約三,000人が死亡。
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 病状
 紅斑→丘疹→水疱→膿疱→結痂→落屑と規則正しく移行する。
 発疹は顔面、頭部に多いが、全身に見られる。
 水疱性の発疹は水痘の場合に類似しているが、
 水痘のように各時期の発疹が同時に見られるのではなく、
 その時期に見られる
 発疹はすべて
 同一であることが特徴である。
 水疱に臍窩が見られるのも水痘との相違点であり、かつて
 「ヘソがあるのは天然痘
  ヘソのないのは水ぼうそう」と伝えられた。
 第三病日頃に膿疱となるが、このころには
 再び高熱となり、結痂するまで続く。また、疼痛や灼熱感が強い。
 痂皮形成後に熱は下降するが、疼痛は続き、嚥下困難、呼吸障害なども見られる。
 治癒する場合は
 二〜三週間の経過であり、色素沈着や瘢痕を残す。
 痂皮が完全に脱落するまでは感染の可能性があり、隔離が必要である。
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 日本では種痘は
 1909年の「種痘法」によって国民に定着。
 種痘法(明治四十二年法律35号)は
 全文20条で、その規定内容は、
 定期種痘および
 臨時種痘の実施、
 市町村の定期種痘の実施義務、
 種痘を受けるべき者の
 保護者の義務、医師の種痘証、痘瘡経過証、違反者に対する罰則である。
 関係法規として、
 種痘法施行規則(明治四十二年内務省令26号)、
 種痘施術心得(明治四十二年内務省告示179号)、
 種痘法第八条ニ依ル符号記入方(明治四十二年司法省令22号)、
 伝染病研究所痘苗、血清等販売規程(大正四年文部省令13号)、
 痘苗及血清其他細菌学的予防治療品製造取締規則(明治三十六年内務省令5号)があり、
 植民地においては特別法規が実施された。
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 ボクが視た3/2のETV番組は
 「ワクチンで防げる病気:VPD」で命を失ったり、重い後遺症に苦しむ子どもがいる。病気にかかる前に予防接種を受けることで、VPDから子どもを守ることができる。しかし、日本の予防接種には任意接種も多く、自己負担額の地域格差や予防接種に対する情報格差などがあり、接種率が上がらないという現状がある。生後2か月から始まる予防接種。私たちはどのように考え、判断していけばよいのか話し合う。
 日本医師会常任理事…小森貴,日本小児科医会会長…松平隆光,福岡市立西部療育センター長…宮崎千明,【司会】久田直子
 である。
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 予防接種(よぼうせっしゅ, 英: vaccination)とは、病気に対する免疫をつけるために抗原物質(ワクチン)を投与すること。
 英語では、
  ヴァクスィネイション
 (v`æksənéɪʃən)と発音される。

 日本の予防接種法では「疾病に対して免疫の効果を得させるため、疾病の予防に有効であることが確認されているワクチンを、人体に注射し、又は接種すること」と定義されている
 (予防接種法2条1項)。
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 天然痘の種痘は、紀元前200年以前に中国かインドで始まった。
 1718年、
 メアリー・ワートリー・モンターギュは、症状の軽い天然痘から採取した液体を接種させるトルコ人の習慣について書き、また自らの子供に同様の接種を施している。
 イギリスの医師エドワード・ジェンナーは、牛痘ワクチンを人間の天然痘に対する免疫生成に利用できるかに関して、
 1796年までの数年間に少なくとも
 6人に試験を行っている。
 この6人は、身元不明のイングランド人(1771年ごろ)、ミセス・ゼベル(ドイツ人、1772年ごろ)、ミスター・ジェンセン(ドイツ人、1770年ごろ)、ベンジャミン・ジェスティ(イングランド人、1774年)、ミセス・レンダール(イングランド人、1782年ごろ)、ピーター・プレット(ドイツ人、1791年)である。
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 予防接種(vaccination)
 予防接種(Vaccination 「牛」を意味するラテン語vaccaより)の命名由来は、最初のワクチン(vaccine)が牛に感染する牛痘ウイルスで、天然痘よりも症状が軽く、治りにくく致死性の天然痘に対してある程度の免疫をつけるものであった。

 日本の予防接種
 定期接種
 予防接種法に基づいて接種される。対象年齢の接種費用には自治体による公費助成が行われ、1類疾病については地方公共団体の多くで無償とされる(有償とする地方公共団体も存在)。予防接種により健康被害が発生した場合は、予防接種法第11条による救済制度がある。

 1類疾病 - 接種対象者又はその保護者等に接種の努力義務が課される。
 ジフテリア・百日咳・破傷風(3種混合ワクチン,DPT)、麻疹(はしか)、風疹(三日はしか)、日本脳炎、ポリオ(急性灰白髄炎)、結核(BCG)
 2類疾病 - 接種の努力義務が課されない。
 65歳以上、または60歳以上65歳未満で心臓や腎臓、又は呼吸器に重い障害のある人、AIDSなどに罹患し免疫力が低下している人の場合、インフルエンザ

 臨時接種
 予防接種法に基づいて接種される。対象年齢の接種費用には自治体による公費助成が行われ、1類疾病については原則無償とされる。予防接種により健康被害が発生した場合は、予防接種法第11条による救済制度がある。
 1類疾病 - 接種対象者又はその保護者等に接種の努力義務が課される。
 痘瘡の他に、1類疾病が対象である。
 2類疾病 - 接種の努力義務が課されない。
 新型インフルエンザ
 任意接種
 予防接種法に定めがなく、被接種者(又はその親権者等)の自由意思による接種。
 子宮頸がん等ワクチン接種事業に基づく接種
 子宮頸がん・ヒブ・小児用肺炎球菌を対象に、国と地方自治体により接種費用の90%以上を助成する。
 予防接種による健康被害に対しては都道府県が契約する損害保険により担保される。
 その他の任意接種
 接種費用は、全額自己負担となる。
 予防接種により健康被害が発生した場合は、医薬品副作用被害救済制度が適用される。
 流行性耳下腺炎(おたふくかぜ)、水痘(みずぼうそう)、A型肝炎B型肝炎、成人用肺炎球菌、狂犬病、ワイル病秋やみ等の他、定期接種の対象年齢層以外に対する1類疾病/2類疾病も任意接種となる。
 ワクチンの種類
 生ワクチン
 生きた病原体の毒性を弱めたもの。麻疹、風疹、ポリオ、BCGが該当する。ただし、生の病原体を入れるため、接種した病原体により軽い症状(副反応)が出ることがある。
 不活化ワクチン
 死んで毒性を失った病原体の成分のみのもの。百日咳、日本脳炎、インフルエンザなど。ワクチンの効果は弱いため、何度かの接種が必要になることが多い。
 トキソイド
 菌が発生する毒素を取り出し、それを無毒化したもの。ジフテリア破傷風が該当する。やはり不活化ワクチンと同じく、ワクチンの効果は弱いため、何度かの接種が必要になることが多い。病原体そのものを攻撃する抗体を作らせるわけではないので、厳密にはワクチンに含めないという考え方もある。

 予防接種の注意事項
 予防接種実施規則によると、明らかな発熱を呈している者、重篤な急性疾患にかかっていることが明らかな者、当該疾病に係る予防接種の接種液の成分によるアレルギーまたはアナフィラキシーが検査で明らかになっている者は不適当と判断され接種ができない。また、妊娠している者に関しては、急性灰白髄炎、麻疹及び風疹にかかわる予防接種はできないことになっている。
 また、心臓血管系疾患、腎臓疾患、肝臓疾患、血液疾患及び発育障害等の基礎疾患を有することが明らかな者、前回の予防接種で2日以内に発熱のみられた者、又は全身性発疹等のアレルギーを疑う症状を呈したことがある者、過去にけいれんの既往がある者、過去に免疫不全の診断がなされている者、接種しようとする接種液の成分に対してアレルギーを呈する恐れのある者等は医師の判断に基づき注意して接種することが義務付けられる。

予防接種間隔 [編集]不活化ワクチン・トキソイドを接種した場合は、次の予防接種までに7日間開ける必要がある。
 生ワクチンを接種した場合は、次の予防接種までに28日間開ける必要がある。
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