1061日目・・・灯油のタンクの目盛りが5分の1、まだ暖房には一週間くらいはもつだろう。だが、お袋の見舞い後にガソリンスタンドでデリバリーを依頼した。ボクもニャンコも寒さには如何ともしがたい。タンクの「目盛りの位置」が出費の「目安」だが、「目が安いワケ」ではない・・・「円安」は灯油価格の「高騰」である・・・金融政策で円をばら撒き、物価を上げるコトで「デフレ不況」が解消するワケではない。問題は「失業者」を吸収できない「国内資本主義経済の企業の本質」である。カネが有り余っても儲かる「商品市場」がなければ「設

ーーー↓
 eyes of a predator
 keen eyes
 eyes of a cormorant
 eyes of a hawk to seek (for anything) with eager eyes
 なるほど、「プレデター生態学的には捕食生物学的相互作用・捕食とは狩猟生物が獲物した生物を餌にする」である。シュワちゃんの映画に出てくる捕食生物は「昆虫+二足歩行+緑色の血+金属ロボット+半透明+・・・」などの「合体知的能力生命体」だった。「keen」は「鋭い、熱心、切望」だが「キィン・キーン」で「キン」だろう・・・コモラントは「困らんと」ではアルマイなッ・・・フォーク(Fork) はナイフではない、が、日本語の発声音では「ホーク」だろう・・・
 「鵜(cormorant)の目」がない・・・そうですか、「cormorant は、ラテン語の corvus marinus(海のカラス=烏・雅・鴉)に由来」で、「漢字の鵜(テイ)は元々中国ではペリカン」で、「ウの本来の漢字は鸕(ロ)」ですか・・・「鸕野讃良」は「持統天皇」である。
 「鵜の真似をする烏(からす)」は「川水(センスイ)に溺れて失敗する」・・・が、
 Trying to ape your betters leads only to failure.
 ですか・・・「鸕(鵜)」が「ape(直立して歩く尾のないサル)」なら「尾張の猿(秀吉)のリードは失敗する」で・・・「猿女=鸕野讃良」、「猿田彦→溺死」の真似は失敗に導く・・・では「烏(カラス)」とは「唐主(州)」か、「韓主(州)」、「香良洲」であるカナ・・・木下藤吉郎足軽伊藤博文・・・朝鮮総督
 伊藤博文の盟友は「モンタ(聞多)」で「馨(かおる・かほる)=声+殳(几+又+禾+日」であった。「かおる」には「香・薫・芳」の異字がある。香水、香華、薫風、薫製、芳香、芳子(よしこ)・・・
 「井上聞多・馨(天保六年十一月二十八日(1836年1月16日)〜大正四年(1915年)9月1日・井上光亨の次男・幼名は勇吉、友次郎・号は世外」
ーーー
 で、「目(モク)」と「眼(ガン・ゲン)」のチガイはナンだろう?・・・大修館漢和辞典の616ページには「眼=目+艮」である・・・「まなこ・めつき・あな(穴)・泉の湧き出る穴・かなめ・要点・要所・みる」で、「目が意符」で、「艮(コン)が転音のガン(丸)の音符を採ったマルイを表す・目玉」・・・この説明、「艮(コン・ゴン)の転音」が「丸(ガン)」とはおもえない。大修館漢和辞典の727ページの「艮(コン・ゴン)」は「もとる・さからう・とまる・なやむ・かたい・かぎる(限)・かたい・うしとら(丑寅)」で、「元は(日+匕)で、目と、並ぶ意味のヒとの合字」、他には「人との意見を異にして恨む」とある。だが「日」は「目」ではない。「日」は「天にある円(丸)い太陽」である。
 エジプト(埃及)では太陽は「ホルス」の「右目(ウジャトー)」そのものである。月は「左目」である。「ホルス」の父「オシリス(Osiris)」は、古代エジプト神話の主神である。「オシリス」とは「ギリシャ語読みで、エジプト語では「Asar(アサル)、Aser(アセル)Ausar(アウサル)、Ausir(アウシル)、Wesir(ウェシル)、Usir(ウシル)、Usire、Ausare」と呼ぶらしい。そして「オシリス」と「イシス女神」との子供が「ホルス」であった。その象徴が「鷹・隼」である。
ーー
 幕末明治の「蘭学者」は「エジプト」を訪問し、その「エジプトの物語」を知っていた・・・ 
 文久元(1861)年→文久元年十二月二十二日(1862年1月21日)、、幕府遣欧使節団を派遣。正使「竹内下野守保徳(下野守)」、副使は「松平康英(石見守)」、目付は「京極高郎(能登守)」。他、「柴田貞太郎(組頭)」、「福地源一郎」、「福沢諭吉」、「松木弘安寺島宗則)」ら総勢36名、後日、通訳(蘭語、英語)の「森山栄之助」と「渕辺徳蔵」が加わり38名・・・使節団はエジプトのカイロとアレクサンドリア訪問・・・「エジプト」は古代文明のピラッミド、スフインクスの国ではあったが、「バクシーシーの蔓延する国」であった・・・「コジキの国」・・・
 「万延二年二月十八日→文久元年二月十九日」・・・1861年「文久元年」の年号は、「干支が壬戌→水の兄の犬(狗)→水狗」で「二月十九日(12月2日)」から始まり、「1862年・文久二年(癸亥)十一月十一日(12月1日)」までの間に使用された(天保暦)。「皇紀は2522年」、「清国年号は咸豊十一年十二月二日〜十二月三十日、同治元年一月一日〜十一月十一日」、「朝鮮は李氏朝鮮で年号は哲宗十三年」である。
 1862年11月2日(文久二年九月十一日)は幕府派遣の第1回留学生が長崎を出帆(榎本武揚、赤松則良、西周ら15名)・・・

 「森鷗外(もり おうがい)」が誕生したのは、「1862年2月17日(文久二年一月十九日)で、死亡は「1922年(大正十一年)七月九日)・・・

 1964年甲子
 文久三年十一月二十二日〜
 文久四年二月十九日、
 元治元年二月二十日〜元治元年十二月三日
 皇紀2524年
 清国・同治二年十一月二十二日〜同治三年十二月三日 
 李氏朝鮮・高宗元年

 第二次幕末・遣欧使節団の池田隊、エジプト国王訪問
 元治元年(1864年)2月23日エジプト国王と会見
 2月28日ピラミッド見物
ーー
 「ホルスは、ホルアクティの名では、ケプリとアトゥムの性質を帯び、隼の頭をもつ人間の姿で表現され、光の神として毎日東から西へと地平を渡り、太陽神ラーと同一視された。ハルマキスの名ではスフィンクスの姿で主に表現された。日の出の太陽とみなされ、復活を象徴する者となり、ケプリとも関連づけられた。彼はまた多くの知恵を備えた者とされた」・・・原文は以下に添付・・・

ホルス - Wikipedia

 ・・・「ホルスとアヌビス」は死者の心臓(霊魂)と真理の羽毛とを天秤にかけその生前の罪を審判する神であった・・・
 「艮(コン・ゴン)の転音が丸(ガン)」とあるが「丸」の音は「ガン」である。「コン、ゴンの転音のガン」を採ったワケではない。「日=太陽→まるい」の意味を採ったのだ。「良=白+ヒ=皀」の部首の「白」の「丶」を省いたものが「艮」である。「旨い」は上下の「白・ヒ」が逆になったモノが「皀」である。「皀」の下部が「ヒ(匙)・七(7・漆・十の尾が右に曲がった字)・匕(牝)」であるかどうかは考えドコであるが、「スベテ」の重なりである。・・・「皀」が「白+比」であるならば、「皀」は「シロの比較」で、「イワクの比較」である・・・「泉の水が湧き出す穴」の「泉(いずみ・セン)=白+水」だが、この字の上下を交換したら498ページ「沓(くつ・トウ・ドウ)」である。「沓(くつ)」の意味は「国語」のみで、本来の漢字の意味は「多弁で流暢・水が溢れる、流れる・交じり合う・犯す・貪る」である。
 ・・・「泉(いづみ・いずみ)の碑」は「蘭学者の記念碑」であり、「出雲・伊豆裳」で、「何時も、何処でも」は「相模、佐賀視」の「相撲、角力」である・・・
 ドウショウモなく、「日本」を「建てる」である・・・おそまつデシタ・・・

ーーーーー