1048日目・・・世の中は、本来「自然」であろうが、「我が身の痛み」を感じないときには何が起こっても「他人事」である。「我が身の痛さ」を知って、初めて「理不尽である、なッ」ってコトを「理解するコト」が多い。この「理解」も何かと「比較」してのコトである。人間に慈しみと恩恵を与えてくれる「自然界」。そして時には「残酷無比」と形容される「自然界」。そう思うのは「人間の勝手」である。「自然界の法則性」は「理屈」を究めていけば「体系的」で、人間が認識する「実態と論理」が整合するが、「人間社会の生活規範論理」と比べ

 「ナゼ」なんだろう・・・市民関係であろうが、国家間関係であろうが、地球規模で「人類、皆ぬすっと根性」が「対等規範」であるからだ・・・
 一昨年は名古屋で「3000円」を切る価格だったが・・・ここのスーパーで年末、10キロが「4000円」前後の米の値段が、いまでは「4500」円である・・・地域的なコトもあろうが、「原産地の米」なのに・・・それでも、ココでは「食えている秩序」がアル・・・ゴミ袋を食い散らかしているカラスも雪降る中、大変だろうけれども・・・
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 「何故(なぜ・なにゆえ)」って云う「漢字」を問いたい・・・大修館漢和辞典69頁に記されている「何」と「故」・・・「何(なに・いずれ・いずく・なに・なん・カ・ガ)」+「故(ゆえ・ゆえに・コ)」=「イ+可+古+攵」で、更に分解すれば「イ+口+丁+十+口+ノ一+乄」である。ここでは「ノ一」は「毎」の「毋・毌・母」を省いた字、「牛」の「十」を省いた「ノ一」=「髪挿(かみさし)・簪(かんざし)・櫛(くし)・篸(かんざし)・髪飾り」を意味する一つの「漢字部首」と考えてもらいたい。示唆は「神さし・紙サシ・加味さし・加美さし・守さし・上さし・咬みさし」で、「さし」は、その意味を採って「指し・挿し・刺し・差し・射し・注し・点し・鎖し・砂嘴」を添えてもらいたい。万葉仮名で記すならば「名是・名施」で、「名似喩得・名邇喩重」で、「名丹諭依・納荷由重」で、「ゆえ」は「結え・湯江・謂え・云え・言え」・・・まさに「邇邇芸」である・・・「何鹿」を「いかるが」と訓じているが、説明が無い。ハナハダ如何わしいが「如何」は「いかん・いかがわしい」である。「何」は「人が背中に荷物を担ぐ意味」で、「荷物」の「荷」が「何の源字」である。大修館漢和辞典742頁に記されている「荷」は「に・になう・かつぐ・はす・カ・ガ」で、「邪魔者・厄介者」ともある。「荷担」するは「加担・可鍛・下端」の同音熟語がある。「カダン」ならば「果断・下段・花壇・歌壇」である。「why(ホワイ)」は「補倭意」で、「補話異」、「保話意」で「捕Y(ア)意」である・・・「Y」は漢字の「ア」である。二股(二又・二俣)を意味し、枝分かれ、分岐、道ならば「三叉路」である。「y」は漢字の「人の逆字」である。
 「何故?」は、名の爾を問う疑問の漢字である・・・「爾来也」の「化身」は「古事記・上巻三・八俣遠呂智」の「高志=越・虎視・古詞」の「八俣遠呂智=大蛇」である。
 歌舞伎では「へび→かえる→なめくじ」の「三竦み=サンスクミ」である。
 「経備(尾)」→「変える(替える)」→「名目句字」
 「俣」は「国字」である。
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「大蛇=爾来也」
僕名・・・木名・目名

足上・・・足=十の上は「十一=壱拾壱」
名椎
妻名・・・差異名・再名・歳名

手上・・・手=五の上は「六=陸」
名椎
女名

櫛名田・・・句詞の妙典
比賣。・・・比べ売り→比べ読み?


汝哭
由者何、
答白言、
我之
女者、
自本在
八稚女。

高志

八俣遠呂智
(此三字以音)。
毎年來喫。今其可來時。故泣。




如何
答白、
彼目

赤加賀智而、・・・籍(関・跡)加賀知事

一有
八頭八尾

其身
生蘿

檜榲、

長度
谿
八谷峽
八尾而、
見其腹者、
悉常
血爛也。
此謂
赤加賀知者、

酸醤者也。・・・・サンショウ→参照・三章・山椒・三省

 ・・・「三省堂」とは「辞典、辞書の出版社」だが・・・?
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