1047日目・・・TVが全然「コード:202」・・・日曜日には「アサドの人殺し番組」をみたけれど・・・コレが世界の「現実」である・・・「国家」が「軍隊を持つ」と言うことは「国家秩序が維持」できなくなった時に「一般市民」を無差別に「殺傷する権利」を「行使」すると、言うことだ・・・「自由」と言う「コトバ」の代償は「大勢の人々の血」で購われてきた・・・そして「自由」と言うコトバだけが質量もなく飛び交っている・・・

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 昨夜は「安倍長三郎」が「アイヌ辞典」を作った最初人物であることを若干触れたが「ハ=8=八」に関して以前、書いたモノを次に添付しておく・・・
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 「かき・かきべ」で、漢字では「部曲・民部」の「部」であった。ならば「安部」は「安の部・阿の部」である。「阿部・阿倍」、「安部・安倍・安陪」とは誰の「私有民」であったのか・・・九州の「阿毎」一族か、中国唐の「阿武」一族である。英語の「A・B」は「海軍」である・・・
 音でヨメば「ベキョク・ブキョク」、「ミンベ・ミンブ」である。「私有民」の「部曲・民部」である。これを支配する豪族は「姓」と言うモノを称していた。
 「姓」も「屍」も「かばね・しかばね」とヨマせている理由は何であろうか?天武天皇以前の「姓(かばね)」は、古語辞典(旺文社・新版)の訓読みで、
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               私の註
               ↓
 1・臣(おみ)・・・・・・・本来は「目」で監視、観察。上代では「使主」とも記す。
 2・連(むらじ)・・・・・・連絡、連結
 3・君(きみ)・・・・・・・「隋書」には「阿輩鶏彌」とあり「鶏彌」が「きみ(?)」
              また王の妻も「鶏彌」と記されている
 4・首(おびと)・・・・・・「首」は「トップのカシラ」
 5・直(あたい)・・・・・直接、真っ直ぐ・・・中国北方種族「女真人」は「女直人」とも
 6・史(ふひと)・・・・・「史」は記録・「記録」・「歴史=暦史」、「司馬遷」の「史記」である。
 7・村主(すぐり)・・・・「おさ」ならば「長」で、「訳語(おさ)田(だ)」の「訳語」である。
 8・造(みやっこ)・・・・「造作」だが「造」は「告示の道」だから「情報員」だろう。
 9・県主(あがたぬし)・・・「県」は「懸かる」であるから「族長」・・・小地域の区長
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 等であり、「3・君」は第三位である。これらの「名称」は漢字の意味としても理解しやすい。これが天武13年(673〜684・685・686=数字は天武13年の古語辞典の西暦年数記載の混乱によるモノ)以後は「ヤクサ(八色)のカバネ(姓)」となった。漢字を理解するならば「1・臣」が「3・君」の上位とは、矛盾する「順位」である・・・
 これは、
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                      古語辞典の説明
                        ↓
 1・真人(まひと・まっと・まうと)・・・皇族に与えられた
            ・・・中国北方には「女・真人」が存在した
 2・朝臣(あそん・あそみ)
 3・宿禰(すくね)・・・・・・・・・・「大兄(おほえ)」の対語、小兄(すくなえ)」の転
 4・忌寸(いみき)・・・・・・・・・・「秦・漢・韓」の帰化人に与えられた
 5・導師(みちのし)・・・・・・・・・「天文官(私の説?)」
 6・臣(おみ)・・・・・・・・・・・・・・・「目付け」で役人監視の役人(ここは私の説)
 7・連(むらじ)・・・・・・・・・・・・地方官吏の長官
 8・稲置(いなき・いなぎ)・・・・・・・地方官吏の次官で、徴税官
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 と訓読みされているモノである。
 「天武天皇」がナゼ「八色の姓」を新たに変えたのかは色々説がある・・・だが、そう、難しく考える必要は無いだろう・・・
 ウイッキペデアの説明には「天武天皇」を、
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 「和風(国風)諡号
  天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)。
  瀛は道教における
  東方三神山の一つ瀛州(残る2つは蓬莱、方丈)のことである。
  真人(しんじん)は優れた道士をいい、
  瀛とともに道教的な言葉である」
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 と記されている。「真人(シンジン)」だが、訓読みなら「まひと」である。「優れた道士」か、どうかは別にして、この「真人」は「八色の姓」の再編、改正前は「下位」だったのだ・・・大修館漢和辞典の「168ページ(頁)」には「君」の説明がある。当時の「日本」が「唐」や「朝鮮半島」の「文官」より「漢字の教養」が無かった、とはいえ、「君臣」関係の文字を逆転させて用いていたとは考えにくい。当時の「中国、朝鮮」は日本「知識人」の憧れの「教養学問、漢字記帳の先進国」であったのだ。当時の「日本」が「後進国」であれ、「日本の文官」が、その情報「君臣」、その「姓・位階」の「漢字」の意味の理解、「君君臣臣」の「関係」を「臣臣君君」としていたなどとはないだろう。中国の時代を遡っても「君君臣臣」は「論語」のコトバである。
 「孔子(コウシ)」の生きた時代は
 「紀元前551(五百五十一)年九月二十八日〜
  紀元前479(四百七十九)年四月十一日で、
  春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖」
 である。コノ情報を「間違って理解」していた、とは思えない・・・だが、である・・・
 日本の「最古の記録文書」は
 「現存・古事記」なら「712年(和銅五年)」、「現存・日本書紀」は「720年(養老四年)」である。この書物以前、「大化の改新」以前にも「記録文」はあったらしい。そして、「日本(倭)」から中国王朝への「上奏文」が記録されている。「古事記編纂」の、この時代前後に「君主・君臣」の上下関係が「逆転」して「理解」されていたとは考えにくい。
 だが、「君」はナゼか「猨(猿)女君」が「猨(猿)田彦」との出合い後につけられた「」である。しかも、「猨(猿)田彦」は「溺死」して「つぶたつ=都夫多都=通譜他通」、「そこどく=底度久=テイトク=提督」となったのだ。
 「古事記上六巻・邇邇芸命」であるが、
 「故(ゆえ)」に「命(ズイメイ)」、以って「可天降(あまくだれべし)」で始まる文章の「文字」である・・・「随時」、「随分」、「随所」の「」ではなく、「書」の「」である・・・「天津橋」は「王宮の川に架けられていた橋」であった・・・
 以下、原文
    ↓
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故、命以可天降。

爾日子番能邇邇藝命、將天降之時、居天之八衢而、上光高天原、下光葦原中國之藭、於是有。故爾天照大御藭、高木藭之命以、詔天宇受賣藭、
汝者


手弱女人、

伊牟迦布藭
(自伊至布以音)。
面勝藭。
故、



將問者、
吾御子

天降之道、
誰如此而居。
故、
問賜之時、
答白、
僕者
國藭、

猨田毘古藭也。
所以
出居者、

天藭御子
天降
坐故、
仕奉
御前而、
參向之侍。・・・サンコウのジ→参考の字

天兒屋命、・・・テンジオク→転字措く名
布刀玉命、・・・フトウタマメイ→附等他真名
宇受賣命、
伊斯許理度賣命、・・・イシコリトメメイ→意志許理留名
玉命、

五伴・・・語伴(判)
虬矣・・・イトのモノ、ムのカミサシの一人・著埜
支加而・・・シクワエルジ→詞加える字
天降也。・・・テンコウナリ→転向名理
於是
副賜其・・・ソエタマワリキ→添え給わり記
遠岐斯(此三字以音)。・・・オキシ→措き詞
八尺勾璁、・・・ハシャクかぎ→葉借科技、
鏡・・・・カガミ→鑑・各務

草那藝劒、・・・クサナギツルギ→句作名義通留義

常世
思金藭、手力男藭、
天石門別藭

詔者、
此之鏡者、
專爲
我御魂而、
如拜吾前、
伊都岐奉。

思金藭者、
取持
前事

政。
此二柱藭者、
拜祭
佐久久斯侶、伊須受能
宮。
(自佐至能以音)。

登由宇氣藭、
此者

外宮之
度相藭者也。

天石戸別藭、
亦名

櫛石窻藭、
亦名

豐石窻藭。
此藭者、
御門之藭也。

手力男藭者、

佐那那縣也。
故、

天兒屋命者、
中臣連等之。布刀玉命者、忌部首等之。
天宇受賣命者、
猨女君等之。
伊斯許理度賣命者、
作鏡連等之。
玉命者、玉連等之。
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爾詔
宇受賣命、
此立
御前

仕奉、
猨田毘古大藭者、



申之汝、送奉。

其藭
御名者、
汝負仕奉。
是以
猨女君等、
負其
猨田毘古

男藭

而、


猨女君
之事
是也。
故、其
猨田毘古藭、


(此三字以音)。地名。
時、
爲漁而、

比良夫貝、
(自比至夫以音)。
其手
見咋合而、
沈溺
海鹽。
故、

沈居
底之時名、

底度久御魂、
(度久二字以音)。

海水

都夫多都時名、

都夫多都御魂、
(自都下四字以音)。

阿和佐久時名、

阿和佐久御魂。
(自阿至久以音)。

於是送
猨田毘古

還到、
乃悉
追聚
鰭廣

鰭狹


問言
汝者
天藭御子
仕奉
耶之時、


皆、
仕奉白之中、
海鼠
不白。

宇受賣命、

海鼠
云、
此口乎、
不答
之口而、


小刀
拆其口。
故、
於今
海鼠口
拆也。
是以
御世、
嶋之
速贄獻之時、

猨女君
等也。
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 さて、「孔子」であった・・・以下もウイッキペデアの説明である・・・
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 四書のひとつである『孟子』はその言行の主の名が書名であるが、『論語』の書名が(たとえば「孔子」でなく)
 『論語』であるその
 由来は明らかでない。
 (『漢書』巻三十芸文志に
 「門人相與輯而論纂 故謂之 論語」と
 門人たちが書き付けていた
 孔子の言葉や問答を、孔子死後に取り集めて論纂し、そこで
 『論語』と題したとある。)
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 別名、
 「倫語(りんご)」、
 「輪語」、
 「円珠経」とも言う。
 これは、六朝時代の学者、
 皇侃(おうがん)の著作
 『論語義疏』によると、漢代の
 鄭玄(じょうげん)という学者が論語を以て世務を経綸することが出来る書物だと言った所から、
 「倫語」という語が出現し、又その説く所は
 円転極まりないこと
 車輪の如しというので、
 「輪語」というと注釈し、
 「円珠経」については
 鏡を引用して、
 鏡はいくら大きくても一面しか照らし出さないが、
 珠(玉)は
 一寸四方の小さいものでも
 上下四方を照らすものであり、
 諸家の学説は
 鏡の如きもので
 一面しか照らさないが、
 論語は正に
 円通極まりないものである、という所から
 「円珠経」と言うと説かれている。
 「孔子
 氏名は孔、
 諱は丘、
 字は仲尼(ちゅうじ)。
 孔子とは尊称である(子は先生という意味)。
 ヨーロッパでは
 ラテン語化された
 "Confucius"(孔夫子の音訳、夫子は先生への尊称)の
 名で知られている。
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 「キャピタル」に胡坐をかいている「君主」も「大統領」も「首相」も、中国の「主席」も、北の「書記長」も「論語」はヨメナイ、ヨミタクナイのだろう・・・なんせ、
 「倫語(りんご)」は、「林檎」で、
 「輪語(リンゴ)」は、「高級乗用車」か「新幹線」で、
 「円珠経」は、
 「キャピタル」とは、相反する・・・
 「赤球」だからね・・・
 ・・・「自由」の「代償」は、「不自由」である・・・