1025日目・・・「大江山いく野の道の遠ければ、まだふみも見ず天の橋立」・・・「大兄」をヨメ(訓読)ば・・・「おおえ・おほえ・おいね」で、ヨメ(音読)ば「ダイケイ・タイケイ」である・・・「おおえ」の同音は「大江・蔽え・被え・覆え・蓋え」だが、戦前前後までは平仮名で文字をルビ振れば「おほえ」である。また濁音である「ボ・ぼ」は右肩の「”=点々・てんてん=“」が端折られて「ホ・ほ」と記される場合があり、発音の「ホ」か「ボ」かは前後の「文脈」で判断していた・・・・・では「おほえ」は「おぼえ」と発音できる可能性が

 昔も今も、食糧事情によっては「太っている人間」と「痩(瘠)せている人間」がいたし、いる。また「病」によっても「デブ(太身)」と「ヤセ(痩身)」になる。それに「体質」そのものが「体型の痩太(ソウタイ)、太痩(タイソウ)」に影響している。

ーーーーー
 大江山(おおえやま)の異字別称
 大枝山・・・多重拿纂
 与謝大山・・亜多重蛙埜磨留拿異纂
 千丈ヶ嶽・・撰上(帖・条)臥語句
 雲海(云改)で有名・・・句摸で蔽う耶麻(埜磨)
 鍋塚(なべづか・763m)・・・m=米→メー採る
    名部通掛・七百六拾参米→執比訳重纂目得図留
 鳩ヶ峰(はとがみね・746m)
    葉渡臥見音・七百四拾六米→執比訳史重呂句目得賭留
 千丈ヶ嶽(せんじょうがたけ・832.5m)
    撰上臥他家(多懸)・八百参拾弐点五米→葉比訳纂重似典語混
 赤石ヶ岳(あかいしがたけ・736.2m)
      阿(亜蛙)異史臥多懸・七百参拾六点弐→史知纂重呂句典似
 などの
 連峰から成る
 千丈ヶ嶽は
 八百参拾弐.五メートルの→捌(葉知)比訳纂重似、目得図留
 丹後地方最高峰→単語知法
 千丈ヶ嶽には→撰上ヶ(掛・化)語句
 二等三角点「千丈ケ岳」→さんかく=参画・山郭→纂郭(務悰)
 鍋塚には→なべづか→名部図化
 三等三角点「大江山」→纂等参画典
 赤石ヶ岳には→昔籍掛語句
 三等三角点「赤石岳
 が設置
ーー
 大江山には
 三つの
 鬼退治伝説が残されている
 一つは、
 『古事記』に記された、
 崇神天皇
 弟の
 日子坐王
 (彦坐王)が→彦座・比語挫・言挫→「王」名の初出
 土蜘蛛
 陸耳御笠(くぐみみのみかさ)を→陸(六・理句)字音留
 退治したという話。→対峙・太地・胎児
 二つめは
 聖徳太子の弟の
 麻呂子親王当麻皇子)が→当=あてる=當=トウ=問・答
 英胡、
 軽足、
 土熊を
 討ったという話。
 三つめが
 源頼光
 頼光四天王
 活躍したことで知られる、
 有名な
 酒呑童子伝説→主典同字(同誌)同詞
 酒呑童子は→サケ(作化)ノム(埜ム・之無)
 日本
 三大悪妖怪
 これは
 能の
 演目
 『大江山
 (五番目物の鬼退治物)になっている
 大江山山麓にあった
 廃鉱となった
 銅鉱山跡に
 1993年(平成5年)大江町福知山市の一部)によって
 日本の鬼の交流博物館が作られた。

 酒呑童子
 本拠とした「大江山」は、
 丹後の大江山であったという説のほかに、
 京都市西京区にある
 山城国
 丹波国の境、
 山陰道に面した
 大枝山(おおえやま)という説もある。

 大江山
 位置する
 丹後地方は古くから
 大陸と交流
 帰化人は
 高度な
 金属精錬技術により
 大江山
 金工に従事、
 多くの富を蓄積
 これに目を付けた都の勢力は兵を派遣、富を収奪し支配下に置いた。
 このような出来事が元になり
 自分達を
 正当化、美化しようとの思いから
 土蜘蛛退治や
 鬼退治伝説が生まれたのではないかとする説もあり、
 帰化人が
 山賊化し非道な行いをしたので
 鬼と呼ばれたという説もある。

 短歌
 小倉百人一首
 「大江山
  いく野の道の
  遠ければ、
  まだふみも見ず
  天の橋立」(小式部内侍)という歌がある。