902日目・・・8月17日・・・「レオンの命日」・・・「ブリューメル」・・・「レオン」とは「ライオン」で、「百獣の王」といわれる「獅子(シシ)」である。日本語では「シシ」とは「猪(イノシシ)」か「虎(とら)」である。一般的には東洋では眉間に「王の文様」を有する「虎(とら・コ)」で、中国での異名は「於兎(オト)」である。人間ならば激動期に生きた「志士」で、日本では「天武天皇」が「翼の生えた虎」と「日本書紀」には記されているが、江戸時代の蘭学者には、「ナポレオン(拿勃列翁)一世」も「虎」として知られていた。
1879年己卯 正財(甲乙)
|支合丁傷官
11月甲戌 比肩(辛丙戊)正官食神編財
|三合丙食神
7日甲午 (丙丁)
空亡辰
立運4ヶ月甲戊逆旋
死亡61歳
大運接木 戊辰 偏財(乙癸戊)生年支害
|自刑
1940年庚辰 偏官 生年支害 生月沖
8月甲申 比肩
21日丙申 食神
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1789年→壱千七百八拾九・壱仟(選)漆珀捌足玖
7月14日の→漆着き、位置を拾う肆の比
バスティーユ襲撃・・・場の諏を定(帝)めて意を諭(悟)
フランス「革命」
フランス革命が起きて
王政は倒れ、
1793年に
ルイ16世と→涙・累・塁・誄・類→留意・留異
マリー・→萬理意・真理異→毬・鞠→磨理・馬里
アン→編(按・餡・安・案・行)
トワ→富和・登和・十和・鳥羽・賭場・永久
ネット→net=網→編→熱度・値通度
が
処刑
仏蘭西(旧字体:佛蘭西)「革命」→仏=人+ム
法蘭西(中国語表記由来)「革命」→法=氵+十+一+ム
「封建領主(領土所有)体制」の打倒の始まり
「ブルジョア(私有財産)体制」の切っ掛け
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「ブリュメール
の
クーデター」→句、有、出、多、亜(蛙・阿)
1799(壱千七百九拾九)年
11(壱拾壱)月9(玖)日
フランス革命暦
ブリュメール(霧月)18日
ナポレオンが→拿勃列翁
総裁政府を倒した
ブリュメール18日のクーデター
軍事クーデター
フランス「革命」は
ここで終わったとされる
・・・のだが・・・
・・・「革命」とは何か?
「Révolution」
「Revolution」=リボ「リュゥ」ショ・ン(ム)
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「テルミドール→氐(弖・出)留見怒緒(尾・御)留
の
クーデター」
1794年7月27日
フランス革命暦II年
テルミドール(熱月)9日
山岳→産学・産額・散楽・山郭・参画
(ジャコバン)派→蛇子盤・邪拠萬(判)・蝦蛄蛮
「独裁」の→獨差異→犭(獣)+蜀+裁(判)
反対派によるクーデター
ロベスピエール、
サン=ジュスト、
クートン、ル・バ
など失脚、処刑、自殺
・・・「独裁=専制」とは何か?
「despotism」=「デ・ス・ポ・ティ・ズ・ム」
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「ブルジョワ(私有財産体制)革命」が
ナポレオンによって
「終焉」・・・ではなく、「始まり」
総裁政府の実権を握った
シェイエスは
強力な政府を求め憲法の改正を考えていた。
憲法改正を支持する元老会議
憲法擁護派の五百人会議
エジプト遠征から帰還
ナポレオン
第一執政となってシェイエスらを抑え
ナポレオンは5年後の
1804年
皇帝即位→帝政
「帝政」とは何か?
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ナポレオン戦争
ナポレオン・ボナパルト
Napoléon Bonaparte
1769年8月15日〜1821年5月5日
革命期フランスの軍人・政治家
ナポレオン1世
Napoléon Ier
在位
1804年〜1814年、1815年
フランス第一帝政皇帝
フランス革命後
軍事独裁政権を樹立
ポレオン戦争
最終的に敗北失脚
1815年
ナポレオンは
エルバ島脱出
パリに戻って復位
自由主義的な新憲法を発布
イギリス
プロイセンの
連合軍に
ワーテルローの戦い→倭阿照賂胡(有・得)
→ロウ→もてあそぶ=弄(玩)ぶ→愚弄・玩具
敗北
百日天下→95日間
小冊子
『ボーケールの晩餐』を著
フランス政府(革命政府)の
ロベスピエールの
弟
オーギュスタンの知遇
ロベスピエールと
ジャコバン派の
独裁を支持するものとして
ナポレオン逮捕の口実となった
1798年7月
ナポレオン軍は
エジプトに上陸し、
ピラミッドの戦いで勝利
カイロに入城
アブキール湾の海戦で
ネルソンのイギリス艦隊にフランス艦隊が大敗
ナポレオン軍はエジプトに孤立
ナポレオンは、自軍をエジプトに残して
身フランス本土へ帰還
11月、
ナポレオンは
ブルジョワジーの意向をうけた
エマニュエル=ジョゼフ・シエイエスらと
ブリュメールのクーデター
統領政府を樹立
第一統領(第一執政)となり、独裁権を握る
ナポレオンの諸改革
全国的な税制度
行政制度
工業生産力の回復
産業全般の振興
1800年
フランス銀行を設立
通貨と経済の安定
1802年
レジオンドヌール勲章を創設
1804年には
「フランス民法典」=「ナポレオン法典」公布
「万人の法の前の平等」
「国家の世俗性」
「信教の自由」
「経済活動の自由」
「公共教育法」
制定
1821年に死去
ロゼッタ・ストーン
1799年7月15日
ナポレオンがエジプト遠征
エジプト遠征中のフランス軍兵士
ピエール=フランソワ・ブシャール大尉が
エジプトの港湾都市
ロゼッタで発見
石柱に古代の二つの言語が刻字されていると判明
石版による模写、および金属版に象り直されて
研究された
1799年
柱には三つの文字で同一の文章が刻まれていると判明
1802年
デモティックは
異国人の名前のつづりを
発音どおりに書き取るために用いられている事が判明
ヒエログリフも同様で、
1814年
デモティックと全く
異なる言語ではない事が判明
トマス・ヤングが判明した
1822年〜1824年
シャンポリオンによって
表音文字も
当のエジプト人たちの
言葉を綴るのにも使用されていることが判明
・・・コルシカ島(当時ラテン語圏)出身のナポレオンは「言語」に訛りがあったらしい・・・
ナポレオンの時代は・・・各地の恐竜(ドラゴン=dragon→トラゴン→虎の言)の「化石」がパリに集積され、研究された・・・