900日目・・・敗戦記念日・・・「弐千壱拾弐年」の「玖百日目」ですか・・・「国家間戦争」に負けたコトを認めたくないと意識する、意識化しようとする「ニホンジン」が未だに大勢いるらしい。当然であるナッ。「個々人の意識」はどの様に思おうが、考えようが、意識しようが、「自由」で、勝手である。だが、「負けた人間」はダレだったのか?、「勝った人間」はダレだったのか?・・・ダレのタメに、負けたくない、勝とうと「思考、意識、決意」してきたのか?・・・スポーツであれ、戦争であれ、「勝負ゴト」はナンであれ、負けたくないのが

 神奈川県(カナがわケン)の相模(サガミ)に似ている漢字は・・・相撲(すもう)・・・土俵の枠内の力士の戦いと勝敗、勝てば、ご祝儀。それを観ている有料入場の観客。力士、個々人の勝敗に拘る「御贔屓(ひいき)ファン」と、勝負そのものを楽しむ「相撲(角力)ファン」。その相撲興行を主宰して入場料を収益とする興行主。その収益の一部を税金として収奪する「国家」・・・「外国人」も居る「国技」って、「三K」のミンナのスモウ、ミンナのベースボール(base ball→基本 bowl)、ミンナのサッカー(soccer→蹴鞠)、ミンナのオリンピック(Olympic)、ミンナの戦争(WAR→わぁ→倭=人+委)・・・である「ワケ」がない・・・ミンナ、「人に委ねる」のバクチ・・・?・・・ダレかの、多分、キミタチの「国+家」である・・・ボクの「国家」じゃない・・・