889日目・・・オリンピックの競技、特に「サッカー」は「観ているモノ」の心臓に悪いし、「心情」を「ナショナリスト」にしてしまう・・・自分自身のコトだけれど・・・兎に角、「男女とも日本チーム」が勝って、今夜は眠れそうだ・・・「日の丸」が美しい・・・
その後のTVで「雑学」の番組をみたけれど・・・〆の手打ち、三(シャン、シャン、シャン)、三、三、の「イヨぉ〜ッ」って云う「掛声」の説明が「藤真奈美」さんからあったけれど・・・「イヨぉ〜ッ」は「江戸時代」の「仲直りのコトバ」が語源とか・・・
・・・ボク的には「イヨぉ〜ッ」は「壱与(與)」さんの名前だと思う。そう、「邪馬台国の卑弥呼の宗女、十三歳の壱与(與)」のコトです。「與(ヨ・あたえる)」は「鶏」が載る「神輿・お御輿」の「輿(ヨ)」に類字するが、「輿」は「地図」のコトである。「九」に「ゝ=ヽ=チョン」が付いて「丸」になるのは「九州の古代王朝の和平同盟」で、「乱がオサ(治・収)マル」である。「乱が収拾」したのは「卑弥呼」の登場と「壱與」の登場のトキである・・・「江戸時代」の「古代史学者(蘭学者)の考察」が、その「語源」・・・九州の「水俣(みなまた)」の「俣(また)」は「国字」である。この「俣」は「二俣城」にも使用されている「国字」である・・・「酷似」であるのは記録された「歴史文書」である。そして「コトバ」を「告示・告知」したのは「江戸時代」の「歌舞伎」の「戯作者」で、「脚本家」でアッタはずダ、ッ・・・「イヨぉ〜ッ、チョン、チョン、チョン(拍子木の音)」・・・
イヤァ〜ッ、「仲直り=同盟」・・・ツイデに興味のある人は「二俣城」と、「鳥居強右衛門」や「鳥居 耀蔵」を「ウイキペデア百科事典」などで調べてみるがイイ・・・
「二俣城」を「ウイキペデア百科事典」でサワリを調べてみれば、
「二俣城(ふたまたじょう)」は、「遠江国豊田郡二俣(現在の静岡県浜松市天竜区二俣町二俣)」にあった山城。「天竜川」と「二俣川」に挟まれた天嶮の中世の城郭。「武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた」
と、ある。「戦国時代の走れメロス(マラソンランナー)」・・・これも、どこかのTV番組で二、三日前やっていたのだが、「二俣城」で有名な「歴史的登場人物」は「足軽」の
「鳥居 強右衛門(とりい すねえもん、天文9年(1540年) - 天正3年(1575年)5月16日(もしくは17日)」
である。「強右衛門(スネえもん」の「強(つよい・キョウ)=弓+ム+虫」をナゼ「スネ・すね」と訓せているのか・・・「すね」は同音異字漢字で、
「すね=脛(ケイ)・臑(ジュ)・腱(ケン)・髄(ズイ)・髓(ズイ)」
であり、
「あし=脚(キャク)・肢(シ)・蘆(ロ)・葦(ロ)・芦(ロ)・足(ソク)」
であり、
「また=股(コ)・亦(エキ・ヤク)・又(サ・ぬ)・叉(シャ)・跨(コ)・骻(コ)・胯(コ)・髄(ズイ)・髓(ズイ)・復(フク)・岐(キ・ギ)・俣(また)・也(ヤ)・有(ユウ)・却(キャク)・還(カン)」
である。「現存・古事記」には「神武天皇=磐余彦」の記事に「長すね毘古」が登場する。ブログの抜粋記事には、
「ながすねひこ【長髄彦】」とは。意味や解説。
日本神話上の人物。
神武天皇の東征のとき、反抗した「大和国鳥見(とみ)」の土豪
↓
登美・能・那賀須泥・毘古
(とみ・の・ながすね・びこ)
と、アル・・・
「家名の鳥居姓が同名」なのは、
「鳥居 耀蔵(とりい ようぞう)」で、
生誕 寛政8年11月24日(1796年12月22日)
死没 明治6年(1873年)10月3日
別名 忠耀(諱)、胖庵(号)
蝮の耀蔵、妖怪(渾名)
戒名 青竜院殿法雲大輪居士
墓所 東京都文京区吉祥寺
官位 従五位下甲斐守
幕府 江戸幕府中奥番、徒頭、西丸目付
目付・勝手掛、南町奉行、勘定奉行勝手方
主君 徳川家斉→家慶
氏族 林家(大給松平氏)→鳥居氏
父母 父:林述斎、母:前原氏
養父:鳥居成純
であった。
・・・「現存・古事記」の謎を解明する「糸口」である・・・
「江戸時代の幕臣、旗本。耀蔵は通称、諱は忠耀(ただてる) 」
・・・マラソン(マラトン)、飛脚、兎に角「心臓破りの丘」は「長距離走者」には「キツイ」・・・
・・・「古事記」のモノガタリを「日本児童文学全集」で読んだのは小学校6年生の「夏休み」の時で、北海道は駅の裏の青い海が一望できる小樽富岡町の父親の実家で、雑貨屋を営むオバぁちゃん(名前はカジさん)の家の拾畳間の客室、応接間だった・・・その本棚に収まっていたのが「日本児童文学全集」だった・・・興味は「凸凹=男女」の「ナリなりて余るところ、ナリなりて足りぬところ」だったけれど・・・