888日目・・・「ゼロ地帯」と云う映画を観たのは中学校の二年か、三年の時だった。物語の始まりの映像とともに流れ出したのは「チェンバロの音」だった・・・初めて聴く音だった・・・学校で音楽の女性教師に形は「ピアノ」と同じなのに「音」が異なっていたその楽器の名前を訊ねたけれど、ボクの説明が拙かったのか、楽器の名前の答えは不明だった・・・あとで、「ハープシコード」とか「チェンバロ」であると教えてもらった。

 「楽器の名前」が二つで呼ばれている。世界中には異言語が多数あるのだから当然である。だが日本ではナゼかこの二つの名前が一般的であるらしい・・・記憶としては「ハープシコード」の名前をスグ思い出すが、「チェンバロ」の名前がスグに出てこない。このボクの現象は最近では「マーガレットの花の名前」を思い出すのに「サッチャー」→「バター」→「マーガリン」→と連想して、やっと「マーガレット」がでてくる・・・記憶の回路が迂回して目的を果たす面倒くささである・・・で、この「楽器」を調べてみると、
 「チェンバロ(独: Cembalo, 伊: clavicembalo)は、鍵盤を用いて弦をプレクトラムで弾いて発音させる楽器で、撥弦楽器(はつげんがっき)、または鍵盤楽器の一種に分類される。英語ではハープシコード(harpsichord)、フランス語ではクラヴサン (clavecin) という 」
 と説明されていた...「プレクトラム」って?・・・さらに調べると、
 「16世紀から18世紀にかけて西洋で重用された。時代や地域により、楽器としての...外見はグランドピアノに似るが、音の出し方は全く異なる。
 鍵を押すと、鍵の向こう端に垂直に立つジャック(木製の打弦槌)が飛び上がり、その側面に突き出た爪(鳥の羽軸または革製で、プレクトラムと呼ばれる)が下から弦を引っかく。この点が、ハンマーで弦を打って音を出すピアノとは大きく異なり、全く別種のタッチを必要とする。」とあった。
 ・・・「プレ・ク・トラ・ム」とは、「鳥の羽軸または革製で下から弦を引っかく」モノであるらしい・・・「振れ句、虎のヨコシマ」・・・「鳥の羽軸」、「革製」、「弦」、「引っ掻く」である、カナ・・・
 ・・・「ゼロ地帯(kope)」は以前にも書いた記憶があるけれど・・・「他人の生死」は「日常性」であっても「自分の生死」がその「他人の生死の狭間の日常」にあるコトをあまり「自覚」していないらしい・・・「ゼロ地帯」は「人間の自然的寿命」としての「生死環境」ではなく、「生殺与奪環境」に置かれた「人間」である・・・「人間」が生きるのを「イヤ」になったら、どうするのか?・・・そもそも「イヤ」になる「根拠」は「人間としての自己存在を否定」されたと「認識」する「自覚根拠の能力」を有するからである・・・だが、「人間として・・・」は初めからあったモノではない・・・社会的「人間=人の間(の関係性として)」が「公平の理性」として歴史的に「克ちとってきたモノ」である・・・自分にとっても、相手にとっても「イヤな事件」も「イイ事件」もソコから始まる・・・人間の自己存在する「生死期間」の根源的環境・・・「衣食住の社会的生活環境」は未だ「無自覚」な「意識」としての「生殺与奪環境」にある・・・「自閉症」とは・・・

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 ・・・オジさんが「リュート」と言っている「チェンバロ」は基本的には「音の出し方」が「リュート(琵琶)」に類似する「弦楽器(撥弦鍵盤楽器)」であるらしい。「撥=扌+發」は「バチ・ハツ・はねる・掻き鳴らす・あばく・カナでる」で、「鍵=金+建」は「ケン・かぎ・カナエ(鼎)の耳・楔(くさび)」である、なッ・・・「龍のト(渡・図・斗・頭・徒・都・徒・賭)」・・・「ビワ=美和=三輪・枇杷・琵琶」・・・三輪山・・・琵琶湖・・・枇杷島・・・「リュート」の名称は「チェンバロの部品」で「弦のナット近くに革やフェルトを接触させて振動を抑えることで音色を変化させる部品」で「リュート・ストップ、ハープ・ストップなどとも呼ばれる。バフ・ストップのことをフランスでは jeu de luth、ドイツではLautenzug、イタリアではliutoと呼ぶので、後述のナザール(リュート・ストップ)との間で名称にしばしば混乱が生じる。中央で分割され、高音と低音で音色を対比させることができるものもある」と説明されていた。「リュート・ストップ」とならば「龍の渡・止める」で、「水の流の途・止める」・・・「河川のクマ(曲)の洪水(振動・振幅を抑える)を止める堤防・土砂崩れを防ぐ石垣」・・・琵琶(掻き鳴らす楽器)と銅鐸(鼎=カナエに類似した青銅器)・・・?