877日目・・・阿蘇市乙姫(オトヒメ)は「大豪雨」、「大洪水」・・・被害地でご苦労をなさっている皆様、お見舞い申し上げます。ご家族ともども、何よりもご自愛ください・・・毎年のコトだけれど・・・自然災害は「天に祈る」より他に方法がない。「原発事故」はダレにイノレばイイのか・・・「阿蘇乙姫」の「地名」をインターネットで検索すると

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 阿蘇 乙姫
江戸期〜明治22年(1889):肥後國・阿蘇郡・乙姫村
明治22年(1889) 4月  1日 町村制度施行  :阿蘇郡黒川村乙姫
昭和29年(1954) 4月  1日 町制施行    :阿蘇郡阿蘇町乙姫
平成17年(2005) 2月11日 市制施行    :阿蘇市乙姫
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 と、ある。「江戸期〜」とあるが、それ以前は「乙姫村」の地名はあったのだろうか?
 そして、さらにこの記事を無断で抜粋させていただくと
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熊本県東北部、
 往生岳
 北麓から阿蘇谷にかけた阿蘇地域の中央に位置します。
 海抜約495m、年平均降水量3000?以上、平均気温1月13℃以下、8月28℃以下。
 夏短く冬が長い山地気候で四季美しいところ。
  大正5年(1916年)銅戈 (どうか:青銅製の戈(ほこ)のこと。
大陸より弥生時代に伝来、日本では祭器となる) が出土、
更には昭和58年(1983年)にも古代鏡・勾玉(まがたま)・
十数基の古代住居跡や石棺(せっかん)などが発掘されて歴史の古さを証明し、近隣には現当主20代目という方もおられます。
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 「銅鐸」の出土はドウなんだろう?・・・ホトンドの「銅鐸」には「水流紋」が描かれているのだけれど、九州出土の「銅鐸」は少ない・・・ボクは「アマ水」に対する「畏怖、畏敬の念」が込められていると考えているのだが・・・「夏短く冬が長い山地気候」・・・ボクは現在北海道に居住しているが、この気候の表現は「蝦夷地」に似ている・・・東北、北海道は「アマ雪の降雪」と「氷雪の融解」に対する「畏怖」であるが・・・「天からフルってクル水」の変化である・・・「畏怖、畏敬の念」が込められていると考える理由は「銅鐸が埋められた場所(発掘された場所)」と、「銅鐸が意図的に破壊されたモノが少なからずある」と言うコトであるのだが・・・「場所」は「丘陵の斜面」、「破壊」は「無用の長物(水害、土砂災害の効き目が無かったモノ)」としてか、「有用の長物(水害、土砂災害が無いように、効き目を付託したモノ)」として、である・・・
 邪視紋の銅鐸

 邪諮問・・・蛇の試問

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 乙姫様伝説
 阿蘇市乙姫一三〇〇番地鎮座
 祭神 若比竎神(わかひめのみこと)
    (六之宮
 創建 第五十五
    文徳天皇
    仁寿元年未
    (851年)926
 勧請
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 ・・・六=陸、創建=建(タケルをツクル)、五拾五=語を拾う後、文徳=文は徳(悳)川、仁寿=人(壬)を尋ねよ、851年=八百五拾壱年、九月=玖臥通=王宮の臣人を通じ、弐拾六日=爾(字・辞)を拾って肋(禄・録)を、比べる、勧請=カンジョウ=勘定・・・

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 由緒
 「祭神-若比竎(口+羊)は
  阿蘇-五之宮-惟人命の妃であられ
  天女の女、容姿端麗、才色の誉れ高く、
  主神を助けて、九州の開発に尽くされ、
  神功皇后
  三韓の役
  母神
  蒲池比竎(口+羊)命並びに
  惟人命ご出征の留守を
  預かりたまいてよくその使命を果され
  御顧の憂いなからしめ給いし功績は
  特に大書すべきものであった。
  この役の功により
  母神
  蒲池比竎(口+羊)命は
  宇土郡郡浦神社に、
  惟人命は
  上益城郡
  甲佐神社
  祭神として祭祀せられ、
  阿蘇四社(阿蘇・健軍・甲佐・郡浦)として
  阿蘇宮司直祭となる。
  乙姫神社は之に準じて大祭は、大宮司が執り行っていた。
 (かっては、
  天然痘(ほうそう)
  神様として名高く遠近より小児の成長を願って参詣がたえるっことは無かった。)以下省略」(御由緒より)
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 「由緒」とは「由来は緒=イトのモノ」である・・・一般的に「ヒメ」は「比売(比賣)」と記されているがココでは「ヒメ」が「比竎(口+羊)」と記されている。「比竎(口+羊)」の「竎(口+羊)=ビ」とは「羊の鳴声」である。
 「売(賣)買」の「賣(バイ・うる)」の文字は「読書」の旧字の「読(ドク・よむ)=讀=言+賣」の合字の「賣」にもなっている。「読=言+売」とは「コトバを売る」である。記録された文字なら「売文」である。巷で売文されたのが江戸時代では「瓦版(カワラバン)」で、明治には「ヨミウリ」・・・「売った・売られた」からには「買う人」がイタハズである・・・ナ、ッ・・・

 比売=「ヒメ」=比竎(口+羊)→「売←め→竎(口+羊)」

 である。これは如何いうコトか?とイウ(言・云・謂)と
 「羊(ヒツジ)の鳴声(メェ〜)」を「売った」か、
 「羊(ヒツジ)の鳴声(メェ〜)」は「売られた」と
 言うコトである。「比」はモチロン、「比較せよ・比べてみよ」である。
 「羊飼い」とは「キリスト教の象徴」である。「さまよえる子(小)羊を救う」のは「イエス・キリスト」であり、「子羊」とは「教徒・信者」である。「美人」とは「羊+一+人」の「人」で「聖母・生母・歳暮(12月暮れ)」の「マリア・マリー・メリー」のコトである・・・
 「羊(ヒツジ)」の「鳴声・音声(メェ〜=竎=口+羊)」は「売られた」のさ、ッ・・・「コジキ」の作者に・・・
 スナワチ、「セイショ=バイブル=ホン」は「乞食(コツジキ)」されて「コジキ」に売られたのである・・・
 聖書=セイショ=清書・青書・誓書・盛暑・性書・生書・姓書
         所為・製(版)・正書・・・
 古事記=コジキ=乞食=コツジキ→乞時季→乞字記
           =乞巧奠(キッコウデン)→七夕津女
             ↓
           刑楚歳時記
             ↓
         刑(幵+リ)は楚(木+木+疋)の歳時記
             ↓
         鳥居の利、記紀(訊き)を疋(ヒク)
         疋=ショ・ソ・ヒツ・ヒチ・ガ・ゲ
          =足のコト。匹と同じ。反物の二反   

 ・・・「阿蘇・健軍・甲佐・郡浦」→「阿蘇尾・人は建の軍・甲佐(コウサ・キのエのタスケ)→考査・交差・郡浦(グンホ・コオリのウラ→コウリのウラ=「小売・高利・功利・公理・行李・公吏」の裏・・・
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  毎年4月15日は大祭が執り行われます。
下谷・口の森の集落と賀田・中谷の集落が、一年毎 交互に謡(うたい)と獅子(舞い)を担当します。
  謡
 「ホウヘンヤ」は
 一音を
 数回となく繰り返すためゆったりとした謡です。また一年おきに担当するためなかなか歌いこなせません。
 ですが謡に合わせる
 神輿は一般にみられる祭りの神輿とは異なり
 それは優雅な動きを見せます。
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 「ホ・ウ・ヘ・ン・ヤ」・・・熟語にすれば、「褒貶也」か「方便也」だろう・・・そして「ホウ・ヘン・ヤ」は「法・変・夜」である・・・夜の変化する天文の法則性である、なッ・・・
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  参詣者は
 疱瘡の神様、
 乙姫様の御神輿を往復くぐって
 子供の無病息災と無事成長を祈願します。
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 疱瘡(ホウソウ)、天然痘(テンネントウ)の治療は「江戸時代の蘭学者」だった。モウは牛(うし・ぬし・ギュウ・ゴ)の鳴声、「吽(イン・オン・コウ・ク・ほえる)」である。モゥ〜、「竎(口+羊)」は解かっただろう、「メェ〜」・・・乙姫=オトヒメ=音秘・・・「基水」とは「湧き水」で、「出水・泉・泉水・和泉・伊豆見・イズミ」・・・