832日目・・・何とか昨夕(12月18日・日曜日)は、TV画面に映像が出てきた。印象に残ったのはTBSの「22:30の番組・EXILE魂」だった・・・ボクの好きな歌ばかりを「短髪茶髪のメガネのボーカル」が歌っていた。歌はうまい。モチロン声もイイ。ハナシもうまい・・・「エグザエル」がどんなグループかも知らなかったし、「アツシ」である、彼を見たのも初めて・・・「 EXILE魂 ソロ・アツシが、さだまさし 井上陽水、徳永英明、玉置浩二、ビートルズ、レイ チャールズ、坂本九をカバー」をウタっていた。確かに「名曲
今日、19日、日曜日もお袋の所に行って帰ってきてからは先週の日曜日と同じくTVづけで、例の「白熱(センタク)教室」、「サッカー(バルセロナ×サントス)」、「坂の上の雲」、そして「EXILE魂」・・・でした。今日はTVの電源をまだ入れていないけれど・・・ブログのニュースでは「北の将軍様が死去」とあった。「将軍さま」や「中国指導者・中国領海侵犯の漁民」に「防人の歌」を聴いて貰いたかった、ナッ・・・それに、ブッシュやオバマ、日本、世界の政治指導者はモチロン、テロリスト達にも・・・「防人のウタ」を・・・みんなが聴いてくれたとしても「世の中のタマシイ」が変わらない・・・のはナゼ?・・・以下、「ウイッキペデア」よりの抜粋です・・・
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『万葉集』第16巻第3852番
↓
鯨魚取
海哉死為流
山哉死為流
死許曽
海者潮干而
山者枯為礼
↓
鯨魚(いさな)取り
海や死にする
山や死にする
死ぬれこそ
海は潮干て
山は枯れすれ
↑
大意
↑
海は死にますか
山は死にますか。
死にます。
死ぬからこそ潮は引き、
山は枯れるのです。
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↑
ここの「大意」には
「鯨魚取(いざなとり)」
の説明が無い。ナゼ?・・・「大意=タイイ=太意=おほのい=意富の意」だから?
以下は・・・「防人のコトバ」に応えるボクの「コトバ」です
○「おしえてください?」
↑
海も山も風も空も
「限りアルいのち」を
「ハグクムモノ」だから死なない
○「私は時折苦しみについて考えます」
「現在の自分と」
↑
生きながら時折考えるのは
苦しみと悲しみだけではない
○「答えてください」
「すべての生命に約束があるのなら」
「みんな逝くのですか?」
↑
春夏秋冬は「往く」けれど、
「生命あるもの」はみんな「逝く」
○「わずかな生命の
きらめきを信じていいですか?」
↑
信じてイイ
だが
「わずかな生命のキラメキ」
ではなく
その「生命」の在る時の
「わずかな瞬間のキラメキの時」である
○「おしえてください」
「愛は死にますか 心は死にますか?」
「私の大切な故郷もみんな」
逝ってしまいますか?」
↑
「愛」も「心」も「死なない」
「愛」も「心」も生きているヒトを動かす「コトバ」と「行為」である
「逝く」のは「故郷」ではなく、
「生きてきた自分の命」である
「故郷」は廃れて廃虚になるカモ・・
自分自身も含め、まわりは「コトバ」を替え、「シナ」をかえ、露骨に、あるいはオブラートに包んで
「だませ・ぬすめ・そこなえ」
がいっぱいです。ワタシにもアナタにも「社会的な日常の意識システムの中で生きている」らしいから・・・
だから、
「だまされない・ぬすまれない・そこなわれない」ではなく
「だまさない・ぬすまない・そこなわない」の
「生きているわずかな時間」を
大切にしましょう。
・・・「えぐざえるタマシイ」・・・「もじ霊」・・・