821日目・・・「阿倍仲麻呂」ですか・・・天の原・ふりさけ・みれば・春日なる・・・三笠・の・山・に・いでし・月・かも・・・

 次は上の和歌に対する「旺文社・古語辞典」に記されている翻訳です・・・

 大空を遙かにふり仰ぎ見ると、
 月が差し昇って来るが
 (あの月は、昔、日本にいた頃の)
 故郷の春日にある三笠の山に登った月と
 同じなのだなあ

 この「翻訳、解釈」って、「抒情詩」でも「叙事詩」でもない和歌。「和歌本文」に無いモノ(心境?)まで推理、推測、憶測、妄想(?)しているんだから「日本の原文和歌」の「理解」って、本当なのッ?・・・マァ、「日本語」は状況現場で音声を発している「日本人」に直接に遭遇して、その「コトバ」を直接耳にしてイナイと理解は難しい・・・発せられる音声以外、「KY」でも理解せよだから・・・「文字」になったら尚更である。で、「解釈」は文字を読む人の「勝手」だからネッ・・・

 「振り放(さ)け見れば」

 「ふり」・・・降り・振り・不利・付利・不離・「フ+リ」
 「さけ」・・・避け・裂け・割け・咲け・鮭・酒・「サ+ケ」

 ちなみに「さけ・さく」は「離(はなす)・放(はなつ)」の古語の意味であるらしいから現代辞典語には無い。「視線を放つ」か、「視線を離す」か・・・「割く」は「分割」の意味であるからイメージは膨らむ・・・
 以下はボクのブログ、「753日目の訪問者」らしい「古天文」からの抜粋です・・・

 「天宝12年11月16日は、日本では天平勝宝5年11月16日、西暦では753年 12月15日(土)に相当します」

 ・・・以下も勝手に
 www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/ktjpnabe.htm
 から抜粋させてもらいました・・・後免・・・
ーーーーー
●時代
阿倍仲麻呂の生きていた時代は、観月や七夕の風習が宮中で行われるようになった唐の時代、玄宗皇帝や楊貴妃の時代でありました。

●帰国の途
仲麻呂奈良時代遣唐使で、吉備真備らとともに唐に留学します。玄宗皇帝に秘書監(正式な名称ではありません)として仕え、「李白」「王維」などと交際がありました。仲麻呂は何度か玄宗皇帝に帰国をしたいと願い出ましたがその度断られてしまいました。
ようやくその帰国の許可が出て揚州の黄泗浦(こうしほ)の港から出航しようとしたのが天保12年11月15日でした。しかし1羽の雉が第1船の前を飛んだことを理由に、翌16日に日本へ向けて出航しました。この時に折から海上に昇った月を見て

天の原ふりさけみれば春日なる
三笠の山にいでし月かも

の歌を詠んだのだそうです。
天宝12年11月16日は、
日本では天平勝宝5年11月16日、
西暦では753年 12月15日(土)に相当します。
この日は月齢15.4で 十六夜 であったのですね。
ーーーーー
 以下は「安陪仲麻呂」に言及したボクの「HP・プラトン古事記を語る」に掲載した「安陪仲麻呂」です。興味のある方はご訪問下さい・・・
http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/nakamaro1.htm