816日目・・・ナニを今更・・・「光より速い物質は存在しない」=光=「絶対速度としての物質」とした「アインシュタインの特殊相対性理論(1905年)」は、「特殊=特別に絶対化」したで、「一般相対性理論」とは別物で、「絶対化したモノ」に「相対」と言うコトバを添えるから「論理矛盾」と言うものである。それとも物理学上の「日本語訳」が違っているのかも?

 「相対」とは「比較」する「相、対するモノ(物質)」が存在してコソのコトバである。しかも「諸物質の関係性のコトバ」である。諸物質が「関係」すると「変化する」のである。人間の「肉体存在」も、人間の「認識思惟」も、この「関係性」から逸脱するコトはない。常に「諸物質同士の諸関係」で「変化」している。「変化」は「諸変化」であるから「諸変化」は「永久」に連続していく、と言うことで、宇宙が存在する限り「永久に諸物質の諸関係性は続いていく」という事である。
 だが、諸物質の「形体」、「形態」、「構造」が、
 五感認知→脳ミソ→コトバでの思惟模索→論理整合→論理記憶→認識
 として人間に「認知されているモノ」は「変化の段階的プロセス」としての「始と終」の「区切り」に於いての「ある形」である。「始→終」とは「終→始」でもある。しかも「関係性の始終」であり、「関係性の終始」でもある。すなわち、「モノの変化」とは「モノとモノの連続的な関係性」と言う事だ。日本の「ある哲学者」がこの「区切り」を「非連続」と言いたいらしい・・・螺旋のネジ釘の溝は平面的に側面からみれば「一区切り」に見える。立体としてみれば、そのネジ釘に「区切り」がない。「平面」とは何らかのモノに「点と線」で「描かれた二次元」で、「立体」とは三次元である。現実的にはこの宇宙にはどんなに「ミクロのモノ」であろうが、「三次元(立体)のモノ」しか存在し得ないのである。人間が認識している「光」や「音」、「におい」も「味」も、「触感」も「立体物としてモノ同士」の結果の認知現象である。
 「物質の変化」とは「物質変化のプロセス」で「始まり(関係性の切っ掛け)→変化過程→終り(関係性のアル形)」である。
 そして「諸物質の存在=諸物質の諸関係」で「物質変化」しているコトで、これを「時間」とコトバで言っているのである。「時間」とは「物質の変化のコト」であるが、「時間の基準=変化の基準」になる「モノ」が必要だ。「基準」とは「あるモノとあるモノが比較された相対変化のヒトツ」のコトである。「基準」も「相対関係の結果」である。
 で、諸物質の諸関係は「ドコで関係」されているんだろう。当然にも「関係性」とは「物質」と「物質」の「空間のコト」である。「空間」とはモノとモノの「間隙(カンゲキ)=隙間(すきま)」であるが、「モノ同士の関係性」とは「密度=物質間隙の距離の遠近」のコトである。

 今日は「秋分=お彼岸」であるが、地球上の「昼夜」が「12時間+12時間=24時間」で相等しく半分という事である。すなわち、地球と太陽の「位置関係」である。
 今朝の某TV番組で「ボタ餅=牡丹餅」は春分に喰うモノで、「おはぎ=御萩」は秋分に喰うモノと紹介されていた。春に咲く「牡丹(ボタン)の花」と、秋に咲く「萩(ハギ)の花」にちなんだ名称、呼称で、同じモノとのコトだった。コレは「異音同意(同義)」のコトである。「イオン」も「ドウイ・ドウギ」も「同音異字漢字」が結構ある、なッ。日本人の言語能力の「理解度」にはオドロキ、モモノキ、サンショノキだけれどね・・・音声にしたら誤解もワンサカだから「沈黙(だまる)」もするんだョ、ネッ・・・
 宇宙には「絶対的なモノ」は存在しないのサッ。そして「時間」も「空間」もそれ自体では「存在」しなく、「物質の存在変化のプロセス」を「時間」、「物質の存在変化の遠近関係」を「空間」とコトバで言っているに過ぎない。
 それ自体が「存在」しない「時間」と「空間」は「歪まない(ゆがまない・ユガマナイ)」と言うことだ。
 「光の速さ」を「光の速さ」に「相対比較」し、それ自体で「速さの絶対基準」を創りだしても始まらない。現実的には「浦島現象」はありえないのである。そして宇宙は「三次元」でのみ存在する。「四次元」もそれ以上の「次元」も「三次元の枠内」での「物質の諸関係」での「相対的現象」と、人間の「相対的認識」である。
 「絶対」とは「認識論(仮定、妄想も含む)」の言語範疇である。
 「存在論」としての「相対・性」としての「存在」は「覆らない」のは当然である。
 「アインシュタイン」はサイコロを振らない「神(自然?)」を「確定認識論」として「絶対化」したヒトらしいけれど、時間、空間、それ自体が「存在」する「時空」として「光」を絶対化してしまった。それに対峙する某物理学者も「存在論」としてではなく、箱の中のネコの生死に例えて「確率認識論」として応えた。
 以下、抜粋記事デス・・・
ーーーーーーー
 
  物理:光より速いニュートリノ? 相対性理論覆す発見か

 ニュートリノを飛ばす実験 【ジュネーブ伊藤智永
 欧州合同原子核研究所(CERN、ジュネーブ)は23日、素粒子ニュートリノを光速より速く移動させる実験に成功したと発表した。事実なら、「光より速い物質は存在しない」としたアインシュタイン特殊相対性理論(1905年)を覆す物理学上の「大発見」となる可能性があるという。

 発表によると、日本の名古屋大、神戸大や欧州などの研究者約160人が参加する「国際研究実験OPERA」のチームが、CERNで人工的に作ったニュートリノ1万6000個を、約730キロ離れたイタリアのグランサッソ国立研究所に飛ばしたところ、2.43ミリ秒後に到着し、光速より60ナノ秒(1億分の6秒、ナノは10億分の1)速いことが計測された。

 1万5000回も同じ実験を繰り返し、誤差を計算に入れても同じ結果が得られたという。チームも「説明がつかない」と首をかしげており、実験データを公表して、世界中の研究者に意見と検証を求めたいとしている。

 ニュートリノは、物質の最小単位である素粒子の一種。1930年に存在が予言され、56年に確認された。あらゆる物質をすり抜けてしまうため観測が難しく、解明のための研究が進んでいる。

 CERNは世界最大の加速器を備え、宇宙誕生の瞬間を人工的に作り出すことを通じて、物質と出合うと消滅する「反物質」の観測、物質の重さや真空などの原理的解明を目指す国際的な研究機関。

毎日新聞 2011年9月23日 21時32分(最終更新 9月23日 23時31分)

〜〜〜〜〜〜〜〜
 現代物理学への挑戦…光より速いニュートリノ

 名古屋大など11か国の研究機関による国際研究グループが、「ニュートリノは光よりも速かった」ことを示す実験結果を発表した。

 事実であれば、「光速は超えられない」とするアインシュタイン特殊相対性理論を覆す可能性がある。現代物理学は、この理論を土台にして築き上げられており、その影響は計り知れない。実験結果がもたらした衝撃と、その影響を探った。

 「現代物理学の基本原理に対する挑戦だ」

 ミュー型ニュートリノの速度が光速を超えたとの発表に、東京大学宇宙線研究所の鈴木洋一郎教授は驚きをあらわにした。基本原理とは、アインシュタインが1905年に発表した、有名な特殊相対性理論。20世紀に物理学が急発展する土台となってきたこの理論は、「質量を持ったものは光速を超えることができない」と結論づけているのだ。

 相対性理論によると、光速に近づくと、その物体の質量がどんどん増えて無限大に迫り、加速できなくなってしまう。ミュー型ニュートリノも質量を持つ粒子なので、光速は超えられないことになる。

 光速に近い速さで動く物体には、ほかにも不思議なことが色々起きることが、相対性理論からは導き出される。たとえば時間の進みがゆっくりになったり、距離が縮んだりする。かつて絶対不変だと考えられていた時間の進みや空間の広がりが、実は変化するという事実は、物理学以外の分野にも大きな影響を与えた。現代哲学の大家、故アルフレッド・ホワイトヘッドは、相対性理論などをもとに、独自の宇宙観を打ち立てた。

 相対性理論と矛盾する今回の実験結果は、物理学を支えてきた基本原理だけでなく、時間や空間についての考え方まで革命的に変える可能性を秘める。

 「今後、複数の実験施設で同様の結果が出てくれば、特殊相対性理論を100年ぶりに修正する必要が出てくる。どのような修正が必要になるか見当もつかない」と、高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所の山内正則副所長は語る。

 (科学部 本間雅江、吉田典之)

(2011年9月24日09時48分 読売新聞)
ーーーーーーーー
 ・・・「物理学」には「ど素人」だけどねッ・・・「アインシュタイン」は考え方の根本から「純SFの範疇」なのさ、ッ・・・
 ・・・「質量を持ったものは光速を超えることができない」・・・では、「光の質量」とは何ぞや?

 「相対性理論によると、光速に近づくと、その物体の質量がどんどん増えて無限大に迫り、加速できなくなってしまう。ミュー型ニュートリノも質量を持つ粒子なので、光速は超えられないことになる」・・・

 「光速に近い速さで動く物体には、ほかにも不思議なことが色々起きることが、相対性理論からは導き出される。たとえば時間の進みがゆっくりになったり、距離が縮んだりする。かつて絶対不変だと考えられていた時間の進みや空間の広がりが、実は変化するという事実」
 ・・・時間の進みがゆっくりになったり、距離が縮んだりする。
 ・・・絶対不変だと考えられていた「時間の進み」や「空間の広がり」が、「変化するという」・・・「物質存在」を前提にしなければ時間も空間もそれ自体では存在し得ないコトバである。時間とは「諸物質間相互の位置変化」であり、「空間」とはそれを前提にした「諸物質間相互の遠近の関係性」による「形のあり方」であるな・・・「変化」するのは「時間・空間」ではなく「物質そのモノ」である。