757日目・・・昨日、2・26事件か・・・「法治国家」に動員され死んでいった人々の「恨み」は大きいとは思うが「国家に対するあだ討ち」を何故、考えないんだろう、かな、と、不思議に思う。飼いならされた「家畜」には、その「意識」はない、か・・・野生の動物がそのテリトリーをヒトに荒らされて、そのヒトを襲うのは当然で、自然である・・・襲われたヒトが、その野生動物を襲うのも自然である・・・感情的には「恨み」である。理屈的には「利害関係」である。「武士の根性」とは「赤穂浪士の討ち入り」でアレ、何でアレ、「江戸時代の階

 明治に改元される直前の慶応4(1868)年、九州の「秋月藩」に起こった尊皇攘夷の渦中で両親が殺された事件が発端である・・・「九州の秋月藩」は「隠し砦の三悪人」の舞台でもあったかな・・・戦国時代末期は肥前筑前筑後豊前、豊後にはキリシタンと南蛮バテレンがウロウロしていたじだいである。慶応4(1868)年とは伊達藩で生まれたボクの御祖父さんの二、三年前の事件である・・・「怨み」、「恨み」、「憾み」など人間の恨みの執念は色々あるが・・・「怨念、恨みが恐ろしい」とは「生きている奴の心境」である。