621日目・・・日本人が出会った最初の「黒人」って・・・イタリア人宣教師、「アレッサンドロ・ヴァリニャーノ Alessandro Valignano(1539-1606)」の「使用人(奴隷?・従者?・従僕?)」で、後に「信長の家臣」になったらしい「ヤスケ・彌介(やすけ)」であるらしい・・・なんで「ヤスケ」と言う名前が付けられたんだろうな・・・以下「ヤスケ」を連れてきた宣教師に関する他からのブログ記事の勝手な抜粋・・・なんだけれど・・・申し訳ない・・・

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 「アレッサンドロ・ヴァリニャーノ」は、日本を生涯に3度訪れた人物らしい。
 1579年、最初の来日。天正遣欧少年使節の企画を発案し、1582年使節と共にインドのゴアまで付き添った。
 1590年、帰国する遣欧使節とともに2度目の来日。
 1591年、聚楽第豊臣秀吉に謁見。活版印刷機。
 1603年、日本を去って1606年にマカオで死亡。
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 更に詳しいのは、「アフリカ発見著者:藤田みどり、出版社:岩波書店」であるらしい。これも「福岡県弁護士会の読書・投稿者 霧山昴氏」のブログに紹介されていたので孫引き抜粋引用してみる、と、
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 きりしたん国より黒坊主(くろぼうず)参り候。年の齢(ころ)26、7と見えたり。
 全身の黒きこと、牛の如し。この男、健やかに、器量なり。
 しかも、強力なこと、十人並以上(少し原文を変えてあります)。

 イタリア人巡察師ヴァリニャーノは従者として1人の黒人を連れていた。
 信長は噂を聞いて自分自身の目で確かめようと、本能寺に呼びつけた。
 黒人の肌の色が自然であって人工でないことが信じられなかった信長は、黒人に着物を脱がせ、その場で洗わせた。しかし、黒人の皮膚は白くなるどころか一層黒くなった。
 ヴァリニャーノにとって予想外だったのは、信長があまりにも黒人を気に入ったため、献上物に加えて、その黒人を手放さなければならなかったこと。
 この黒人は、モザンビーク生まれのアフリカ黒人であった。
 もとは喜望峰周辺の住人である。少しではあるが日本語を話し、多少の芸もできた。
 身長6尺2分。名前を彌助といった。彌助は本能寺で戦い、信長の死後に、信忠のいる二条城へ駆けつけ、最後まで果敢に戦った。
 光秀は殺さないでよいとした。しかし、その後の消息は不明である。
 豊臣秀吉も、肥前名護屋城ポルトガル人の連れてきたアフリカ黒人に会っている。あちらこちらに飛びはねる踊りで、爆笑の渦につつまれたという。
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 安土桃山時代にある程度の人数の黒坊が日本にいたことは、南蛮屏風のなかに数多くの黒人が描かれていることで分かる。
 ところで、このころポルトガル国内に多数の日本人奴隷がいたといいます。
 ええーっと驚きました。ザビエルが鹿児島に到着した頃(1949年)、多くの日本人が奴隷として海外に売り渡されていたのです。ちっとも知りませんでした。ポルトガル人が、日本人を男は労働者として、女は売春婦として輸出していたのです。
 龍造寺隆信有馬晴信との戦さでも1人のアフリカ黒人が有馬陣営の大砲の砲手として活躍して有馬側に勝利をもたらしたというのです。これまた大変おどろきました。
 世の中って、本当に知らないことって多いんですね。
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 「ポルトガル国内に多数の日本人奴隷」
 「ザビエルが鹿児島に到着した頃(1949年)、多くの日本人が奴隷として海外に売り渡されていた」だって・・・戦前の大蔵大臣になって暗殺された「高橋是清」も「奴隷」になったことがあるらしい・・・「2・26事件」・・・
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 以下は「Wikipedia@pedia」からの抜粋・・・
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 元々は宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノに仕える奴隷であったと言われている。天正9年(1581年)、ヴァリニャーノが信長に謁見した際に連れられていたのが信長の目にとまった。
 信長は最初、肌の黒さが信じられず、彼が身体に何か塗っているのかと思い、2月の寒空の下でたらいに入れて家来に体を念入りに洗わせた。しかし、肌が黒いままなので、肌の色の黒い人種がいることを理解した。信長は興味を持ちヴァリニャーノへ要望して献上させ、そのまま直臣になったと伝えられている。
 年齢は26・7歳、身長は6尺2分(約182.4cm)であったという。
 一説によれば、ヤスケは宣教師の奴隷のときには人間扱いされていなかったが、信長は彼を「ヤスケ」と名づけ、武士の身分を与えて家臣とし衣食住不自由がないように取り計らわれた。
 ヤスケはこの信長の対応に大いに感謝し、忠実に仕えたと言われる。

 本能寺の変では、明智光秀の兵と戦い多くの敵を倒したとしている。最終的に陥落直前に信長から脱出するよう命じられたと言われる。また、織田信忠二条御所で奮戦した際、ヤスケも戦ったという。
 その後、明智の手勢に捕まったが、光秀はヤスケを「人間ではない」として殺さず、「インドのバテレンのもとに送れ」と命じ、そのまま放逐したという。その後の消息は不明である。
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 ”光秀はヤスケを「人間ではない」として殺さず、「インドのバテレンのもとに送れ」と命じ、そのまま放逐したという。”
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 「光秀」の「方便」だったのかな?・・・「法華経」・・・それとも「光秀」は「隠れキリシタンのはしり」だったのかも・・・「極楽(ホトケ)」も「天国(キリスト)」も「頭の中」では同じなのに・・・「イスラエル(モーゼ)」や「アラブ(マホメット)」の「神」には「天国」の保障は無く、あるのは現実と未来的な「人間社会の生活仕切りの差別空間・領域」なんだろうか・・・パレスチナ・・・「民族間」でも、「諸国民間」でも、「異種族間」でも、「異教徒間・異端者間」でもない「地球人」となっても「敵対関係」を探し出すんだろうな「宇宙戦争」・・・宇宙規模で「階級社会」は存在していくのに違いない・・・?
 ・・・過度に宗教、幻想、妄想、思想に取り憑かれた「優しいヒト」は結果的に「逆説」として「666」になるんだろう。そして、過度に科学主義、現実主義に取り憑かれた「合理的なヒト」も結果的に「逆説」として「666」になるんだろう・・・ナッ。「6+6+6=18」、「6X6X6=216」・・・この数字を加算すると「1+8=9」、「2+1+6=9」・・・どちらも「9・九・キュウ・ク・ナイン」・・・「216−18=198」で、「1+9+8=18」で、これも「1+8=9」だな。「216+18=234」で、これも「9」だ・・・
 「キュウ」、「ク」、「ナイン」の同音異字漢字がこの「コードの解」を暗示しているのかな?