620日目・・・「鬼龍院花子の生涯」は以前「夏目雅子」のモノをみたけれど、今回のTVドラマの「花子」は「観月ありさ」だった。前回の映画では、「なめたらあかんぜよッ」の科白(せりふ)を吐く場面が強烈な印象であったな・・・「霧生(気流)因羽拿弧(きりゅういんはなこ)の障害」・・・今回は「花」よりもダンゴの「高橋英樹」が演じる「鬼龍院政五郎(林田恒吉)」の「生き方」と「コトバ」が、ボクや、前首相の「鳩窮」に重なっているようで嘲ってしまった。エラソウなコトばかり言って、さッ。「エライ」って「シンドイ」なのか、偉

 立場の問題を他人に理解してもらうコトも、そしてコトバの理想と現実行動の乖離はハナハダシイ、ナって。
 「鳩窮」は「ユウアイ」が「信念・信条」で「命が大切」だったんだョな。「日米(軍事)同盟」を「友愛」では説明し切れなかったのか、ネッ?・・・「対等」じゃなかったんだ。「不平等同盟」。だったら「鹿鳴館」って言う手もあったんじゃないのか?マキャベリ君。
 「やれない事」を「コトバ」で説いたソクラテスプラトンも、そしてアリストテレスも「日常生活の他人」からは理解されがたい存在だったんだろう。
 ナゼ出来もしない「やれない事」を言わざるを得ないのか・・・そして「挫折」せざるを得なかったのか・・・「みんな」が彼らの「思想」に「同意」すれば「出来た」だけのハナシである。ヤッパ、「みんな」が悪い。
 「みんな」とは現実的にアクセク稼がねばならない、出世しなくちゃならない、と、思い込んでいる人々と、そう思い込ませている奴がいるからである。
 アレクサンダーはアリストテレスの思想を実践したのかどうなのか・・・黄熱病に罹ってはドウショウもない。
 ソクラテスプラトンも、そしてアリストテレスも「少数派」で「みんな」を自分自身の政治思想に「説得・組織化」できなかっただけのハナシだ。
 問題は「信念・信条」なのか、「現実妥協」としての「コトバの反転・翻意」なのか・・・裁判では告発者を愚痴りながらも「法は法である」と現実駆け引きの出来なかったソクラテスは毒杯を飲んだ。チョットしたコトバで謝れば「延命のチャンス」はあったのに・・・コトバで自分自身の思想を説明するのがもうイヤになったんだろうなッ、歳だったし。
 ・・・でも「みんな」は「ソクラテスの信念・信条」を理解していなかったワケでもないかも。多分、「あんたの言っていること理想だ。ワカルけれど、俺達には現実的な生活があるんだ。世の中はそんなに甘くはない、ソクラテスさん」って・・・ボクも若いころには聞いたことがアル言葉だが。じゃぁ、「みんな」は「現実的な日常生活」には納得していない、ってコトなのか・・・納得していない「みんなの現実生活」なのに、何故、ソクラテスの「信念・信条」に賛成できんのッ。「世の中、そんなに甘くはない」って「甘くない原因」はなんだろう?・・・カライか、ショッパイか、ニガイか、シブイか、兎に角、アマクはない原因・・・糖分のサトウが手に入らない原因ってナんだ・・・カネの問題だな・・・