472日目・・・「安藤昌益・安永寿延著・平凡社選書46・1976年7月9日発行」を読み終えた。久しぶりに本に何ヶ所も赤線をひいてしまった。「1976年」にはボクは、ドコに居て、ナニをやっていたんだろう?・・・2008−1976=32、32年前・・・ドコかの国の「異邦人」としてフラフラし始めていた時期・・・この本の著者である「安永寿延」先生は1929年生まれで、元気でいらっしゃれば、今年は79歳である、ナッ。先生は名古屋大学文学部哲学科の卒業で、当時は和光大学人文学部教授であったらしい。この安永先生の本を

naie2008-06-11

 要するに無意識に打ち込んだ検索漢字が、文章上、意味の異なる「同音異字漢字」が多かった、と言うことだった。
 「安藤昌益」の書いた「自然真営道」は一般的には難解であるらしく、当然、「安藤昌益」を研究紹介している安永先生の本も「難解」である。理解するには前提的に「中国古典」のかなりの原典を読んでそれなりに「理解」していなければ、チョッと専門学者や研究者以外にはその内容を把握できかねるシロモノである。しかも「安藤昌益」と同時代の蘭学者や、漢方、朱子学者の日本人の書いたモノを読んでいないと更に「理解困難」であろう、とは思う。
 ボクの興味深かったのは「安藤昌益」の思想はモチロンだったが、安永先生のこの本の260ページから始まる「一 法の世」の「私」と言うところで、

 「ム(し)は、自ら営むをムとなす。ムに背くを公となすと云えること。公は自ら営むことを為さず、道を盗む。故に失(あやま)りなり(稿・自・卷一・字書卷)」

 の「自然真営道」からの抜粋ヶ所である。「」は「私」の源字である。「ム=わたくし・わたし・よこしま」であり、片仮名の「ム(む)」である。
 「ム(ヨコシマ・邪・横)」に関しては随分とボク自身も研究して来た。「ムー大陸」にも雑誌「ムー」にも興味があったが「ヨコシマ(ム・邪)」に関してボク自身の専売だとは思っていたが、既に「安藤昌益」が言及していた。
 「公」は「ハ+ム」の合字である。「ハム=HAM・HUM」で、「食(はむ)」であり、

 ハ・ム=葉・務=頗・夢=把武=㋩・夢=歯無=羽務
     ↓
    言葉詞 邪 把握 名古屋 尚歯会 奥羽

 「波務」である・・・興味のある人は「横島・横嶋」の地名を九州、四国の緯度33度の地図の位置と、34度15分近辺の広島南と厳島の南東が交わる広島湾上、岩国南方と屋代島の南西付近の交点、そして福山の南西、尾道の南西、安芸津の真東の三点が交わる海上に発見したら、その各「横嶋・横島」を線で結んで観て欲しい・・・九州の横島を結ぶ線の図形は逆「台形」になっているハズだが・・・広島福山の南方豊後灘に面する海岸に「阿伏兎観音・阿伏兎の瀬戸」が存在する。「阿を伏せる兎」である。ちなみに福山藩は幕末ペリー来航時の老中「阿部(正弘)家」の領地であった。
 「線」とは「二点間」を結ぶものが「一線」である。「三点間」を結べば「三角形」である。「四点間」を結べば「四角形」であり、その各辺の長さと角度によって「菱形」、あるいは様々な「台形」の図形ができる。「台」=「ム+口」とは「ム国(ムくに・ムコク)」か「ム口(ムくち・ムコウ)」で、「ム」は「私の源字」であり、「シ」と読み、「よこしま=ヨコシマ」と訓む。
 「線」=「糸+泉」=セン=「腺(肉+泉)・選(辶+巽)・旋(方+ノ一+疋)・栓(木+全)・先(牛+儿)・戦(単+戈)・専(十田+寸)・潜(氵+替)・撰(扌+巽)・銭(金+戔)・詮(言+全)・宣(宀+亘)・筅(竹+先)・苫(丱+占)・薦(丱+廌)・舛(タ+ヰ)・箭(竹+前)・亘(一+旦)・穿(宀+八+牙)」である。「セン=千=壱千=壱〇〇〇」「壱+三丸(サンガン)・・・「纂元」・・・「魏志倭人伝」・・・「壱與=壱与」←「壱拾参(13)歳」←「卑弥呼」←「邪馬台国」・・・「邪=よこしま=横島」・・・「横縞=緯度」・・・「阿の伏の兎の観る音」・・・「亀と兎」・・・「ウサギとワニ」のモノガタリ・・・
 更に興味のある人は以下の「ページ」をクリックして「一大発見」を参考にして欲しい・・・

http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/kojiki/kojiki02.htm#chizu

 「台=ム(よこしま)+口(国・くち)」で、「邪馬台国」の「邪」と「台」と「国」で、「馬抜け」である。
 「横(よこしま)」が横線、横糸、「並列」で「横並び」は「公平」である。「縦(たてしま)」は縦線、縦糸、「縦列・直列」で「階級序列」である。
 「よこしま」を「国家支配者」が嫌うのは「横列」で「平等=公平」であるからだ。「両翼」は「鳥(とり)の羽」である。