445日目・・・「398日目」は2008年の1月9日で、「世界の書物・紀田潤一郎・新潮社・昭和52(1977)年発行」を古本屋で買って目を通し、その「世界の著作作品の紹介とその批評」を読んでみて「各作品本」に対する読みかたの「立場」、「姿勢」が面白いと思って抜粋して、ボクの考え方も展開し、中途半端になってしまった・・・が、今回、またもや、「日本の書物・紀田潤一郎・新潮社・昭和50(1975)年発行」を古本屋で見つけてしまった。「世界の書物・紀田潤一郎・新潮社・昭和52(1977)年発行」よりも二年前の発

naie2008-04-22

批評の「論点・視点」がチガウみたいである。「日本の著作の紹介とその批評」だが、読んでみて「日本の書物」に対する読みかたの「立場」、「姿勢」が違う・・・?・・・「日本物」に対するソレは読みが深く、遥かに「人間(日本人?)」と言うものヨク観察している、と思ったんだけれど・・・二年間のズレ・・・?。

 「日本の書物」・・・1974/1/3〜75/7/24
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 「世界の書物」・・・1975/8/7〜75/12/25

 「紀田潤一郎」氏の「あとがき」には、いずれも「週刊新潮」に連載されたモノとして記されていた。

 「日本の書物」にある「若い時の評論」には共感もしたし、感動もした。「日本の本」だからではない・・・「人間」を観察する「紀田潤一郎」氏の「立場」に・・・何故、時間が「世界の書物」→「日本の書物」とナっていないんだろう・・・進化論・・・退化論・・・?