414日目・・・今夜は「世界の書物」の「144ページ」からの抜粋、「戦争論」・・・「平成20年1月24日」に、「414日目」で、「144ページ」・・・ゲマトリアの「9・九・IX」・・・なんか、Synchronizeする時ってあるんだよね・・・この本は、学生時代に上下二冊2千円で買ったけれど、当時は眼の玉が飛びでるような高価な本だった。アルバイトした金をたかられるのがイヤで、買った。質屋に持っていっては度々その定価の値段で金を借りていた。そして必ず、また自分の手に戻し、カバンの中に・・・そして真剣に読んだ

naie2008-01-25


 危険な博戯・「戦争論」(クラウゼヴィッツ
 ・・・森鴎外が初訳・・・
 「・・・戦争は術や学の領域に属するのではなくて、社会生活の領域に属するものである・・・」
 ・・・目的と手段・・・
 「戦争は一種の強力行為であり、その旨とするところは相手に我が方の意志を強要することにある」
 「戦争には政治に於けるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない」
  ↑
 ボクのコトバ・・・やっぱ、この本を読んだらしい「紀田」氏は「戦争」は「現実」的であると思っているらしい・・・2008年、現在の立場は知らんけれど・・・視点も「一兵卒の立場」からではない、1970年代の彼自身(?)、「平和な状況」に埋没し、かつ、彼の「納得性」も読書と、売文三昧に埋没していた「客観主義者」的な「支配階級に属する立場」からで、あるだろう、な。
 このヒト、「西部戦線異常ナシ」って映画も、「私は貝になりたい」って映画も観ていないんだろうな。観たとしても観ていた「視点」がボクとは違うんだろう。
 「モノを書く人」と、「書かれたモノ」とは区別しなくちゃねっ・・・でも、「立場」って、ポロッと出るんだョなッ。書かれたモノには・・・ボクも随分と「ダマサレテ」きたけれど、本当は「ダマサレテ」いる自分の問題なんだけれど、サッ、「役者」と「演技する役」は違う・・・でも「悪役」の上手い俳優は、日常生活でも「悪人」って思ってしまう・・・あんまり、「善人役」の俳優は「善人」とも思わないんだけれど・・・「著者」=「著書」じゃないのは、わかっているんだけれども・・・結構、アタリマエのコトが、判断基準になっていないんだ・・・この彼の「世界の書物」に網羅されている各本の最後のあたりの評価は、今現在(時代は70年代)、その古本である「古書の値段」が幾らであるとかの画商や、骨董屋の競売評価である・・・さしずめ、今なら「何でも鑑定団」の「カネ」にしたらナンボの「視線、目利き」だから・・・今現在、紙切れの紙幣や株券、証券は「カミ」だからね。ヤッパ、現物の「金銀、鉱物、石油」で、結局は「米麦豆」の穀物・・・が「本物の有用、使用価値」の「価値」あるもんだからなッ・・・
 戦後の闇屋まがいで生きてキタ(紀田)?、人間は現実的でエライヒトだったのかも・・・
 確かに、「戦争」は「社会生活の領域に属するもの」では、あった、なっ。日本国はとにかく、「六十年間」、「国家間戦争をしてこなかった国家」だ。継続してきたんだから「継続」出来ない事もないだろう。
 鉄砲もピストルもミサイルも持ったら一度は使いたくなるもんだけれど・・・「武術」もね・・・みんなブルース・リーにもならなくってイイけど、映画見た後は強くなった気分になってサッ。
 
  ・・・ボクの持っている「戦争論(カール・フォン・クラゼヴィッツ)」を後で調べたら1966年3月31日・翻訳「清水多吉」・現代思潮社発行で、一冊が定価1600円だから二冊で、3200円・・・古本屋で買った時の値段が一冊1400円と鉛筆で書いてあった。
 当時、500円あれば一週間は喰えた時代だったから、ボクにとってはスゲェッ、高価な本だった。
 「戦争」を起こさないことを祈りたい・・・