410日目・・・「130」ページ・・・「世界の書物」に記されているコトは、マルサスの「人口論」である。この本の著者、「紀田順一郎」氏は「あとがき」で「世界の書物」の文章は「週刊新潮(1975年8月7日号〜12月25日号)」に連載したものであるコトを記述している。そして、ボクが手にしている古本には著者の「1977年6月」の署名がある。現在から、2008年−1977年=31年前の本である・・・去年(2007年)は、随分と「少子化論」が「年金問題(保険料支払い期間・保険料受給時期)」と絡んで主張されたもんだが

naie2008-01-21


 ・・・「少子化論(納税人口減少)」は「人口論(納税人口)」の「部分論理」である。一方「生活保護生活保護)」と言う一般会計からまかなう法律がある。金額的には「生活保護」を受け取っている人々の方が「年金受給者」より有利な場合も多い・・・だったら「年金」なんかで「生活保障」するのではなく、「年金制度廃止」、「生活困窮者である老人」を、一律、税金(一般会計)での「生活保護費」でまかなうようにすればイイ。もちろん、金に困っていない「老人」は対象外である。
 これも、「日本国政府(自の民)」の「未来予測・未来ビジョン」が「国家組織の官僚機構、天下り団体」を維持する「収税」をいかに増税とするか、からの搾取観点ばかり・・・
 かってのマンガチックな「公の明」の厚生大臣が言っていた「100年安心国民年金」は何処へ吹っ飛んじゃったのか・・・社会保険庁、役人の横領・・・金額的には小さい・・・年金で造った「ハコ物」とそれの天下り管理団体・・・土建屋からの政治屋への「献金(リベート)」・・・

 ・・・夢想家への警告・「人口論」(マルサス)・・・憎まれ者の役割・・・アメリカ独立戦争フランス革命といった二つの大きな事件を経験した18世紀後半には、その熱気の中で人類の無限の進歩と可能性を信ずるユートピア論者が続出した。その代表が、周知のようにサン=シモン・コンドルセ、ゴドウィンらである。
 ・・・その偉大なオポティミズムの究極は、人口増殖の直接的原因である両性間の情念が将来にわたって減退ないし消滅するとしたことである。・・・今日、あまりにも現実主義者と化した私達は、革命に、夢や狂気や信仰を託すことはできない。それだけ利巧になったが、同時に卑小にもなったのである。・・・このような社会によう要求されるのは、経験主義に根ざした現実論者の視点であることもまた論ずるまでもない・・・トマス・ロバート・マルサス、32歳・・・
 ・・・「両性の間」の情念の消滅の方向むかって、なんの進歩もコレまでは見られなかった。それは、2千年、ありは4千年前と同じつよさで、今も存在しているように思われる(マルサス)」・・・「人口は制限されなければ、等比数列的に増大する。生活資料は、等差数列的にしか増大しない。数字をほんの少しでも知れば、第一(食料)の力が第二(生殖)の力に比べて(困難を克服するのに?)巨大なコトがわかるであろう(マルサス)」・・・
 ・・・「人口」の「1)予防的抑制」→「結婚を控える」
 ・・・「人口」の「2)積極的抑制」→「不健康な住居・つらい労働・はなはだしい困窮・疾病・戦争・飢饉」・・・「貧困」
 ・・・「貨幣によって、貧しい人をひきあげ、以前よりも生活の改善を可能にするには、同じ階級の他の人々をそれに応じただけ押し下げるコトなしには、不可能である」
 ・・・「家族を扶養することができなくて結婚する労働者は、ある点では、かれらのすべての仲間にとっての敵と考えられてよいであろう」
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 ボクのコトバ・・・「コトバ」に騙されやすいのは「人間」であるわけだが、「少子化論」・・・30年前、この著者も含めて「利巧」になったんだろうけれど、「卑小になった」んだろうな。今現在はもっと凄い、「利巧」はまさに「科学的な卑小、極小」分野の科学的発見発明だが、人間は肉体も精神も、肥満と卑小現象が進行中・・・ココでの「情念」とは「セックス(性交・生殖行為)に所為を出す」、心情と、そのエネルギーらしい・・・が、「セックスless」・・・
 生殖行為で無い「ホモ・レス」も結構、多い。
 子どもが大勢産まれたとしても「自然災害」、「疫病」にはどうすることもできないだろう・・・戦争以前に交通事故、自動車事故死・・・
 日本での「人口減少」の要因は、ヤッパ「経済格差」によるモノが大であろう。
 金持ちは「情念」を満喫するも、「出産の苦労」を避けたいし、その余裕の金もあるだろう。
 貧乏人は「情念」を有するも、「エンゲル係数が大」で、「生殖行為の時間も環境」もない・・・カモ。
 こんな時代に、日本国の田圃の「減反」をマルサスはどのように考えるだろう・・・どっちにしても未来は「食糧危機」になる・・・
 今現在、生きて「喰えているコト」に感謝・・・