408日目・・・今日、寒かったけれど観音様の近くにフラフラぁ〜と・・・また、古本屋で物色していたら「絵本と違い過ぎる・原典アンデルセン童話・杉山明俊・1999年8月10日・ぶんか社発行」と言う本を見つけて100円で買った・・・ブックカバーの「人魚姫」の絵が気にいったからなんだけれど・・・ボクが知っている「童話」とは違う、らしい・・・目次には「親指姫」、「人魚姫」、「しっかり者のすすめの兵隊」、「みにくいアヒルの子」、「赤い靴」、「マッチ売りの少女」、ボクの知っているストリーは、みんな「感動的なモノガタリ
「偉人伝」と言われる「伝記物」を子どもの頃に読んで、その人物のエピソードや生き方には感動したモンだけれど・・・歳をとっていくにしたがって、彼等に抱いた「幻想」が、お節介な暴露ジャーナリストによって壊されていく・・・壊される部分への最初のボクの反論は「そんな人物」じゃぁない、「そんな悪いコト」するハズがない、みんな「ウソ」で「デタラメ」。信じる根拠は何処にあるのッ、あんな立派な人が・・・ウソつきなヤツだな、この評論家はッ、てね。
一旦、思い込んだモノを矯正するのは難しい。「人間」を「善悪」で判断しないヒトって・・・?・・・「善悪の中間」で判断できる人間は・・・「日本人」には多いらしいけれど、これを「悟り」みたいに言っているヤツもいる。
でも、自分自身の「信じていたモノ」も揺らいで・・・そうカモ、って・・・人間はどんな人間でもたいした「お変わり」ないのかも、って・・・「善人」って、いないモンなのだ・・・「善人」・・・「悪人」はスグ見つけるコトが出来るし、「悪人」にはすぐなれそうだ・・・そんなコトを考え出すと、ソウ考えている自分自身が面白く無くなる、気分が悪くなるんだョなッ・・・
望んでいることは「水戸黄門ジジイの最後の場面」・・・だけれど、あんなことはモノガタリの中だけ・・・らしい。
小説も、モノガタリも、映画も・・・最後にはボクが期待している、こうなって欲しい、と言う「シアワセ」で終わって貰わなくちゃ・・・気分が悪くなる、のだ。既に読み始める前からの過度な思い込みが裏切られる・・・勝手だよね。
「探偵小説」、「推理小説」に「殺人事件」が絡まないモノを読んだコトがない。天才であろうが、凡人であろうが、その探偵が関る「事件」は「喜ぶべきコトの解明」ではなく、ほとんど、すべてが「忌むべきコトの結果の解明」である。
「リアルな悪の解明」なんだけれど・・・「リアルな善の解明」は無い・・・「美談」ってのはあるんだけれど・・・気恥かしいし・・・「結果」はたいがい空々しい・・・ソウいえば「善意の第三者だ」と言って金を毟り取るヤツもいるし、毟り取るのを「ヨシ」って言う法律もある。
・・・アフリカ難民の子供達の描いた絵・・・きっと、子ども達、ボクが知っている「アンデルセン童話の世界」は現実にも、ユメにもないカモ・・・デブッタ、強欲で私腹を肥やしている大人達、そのおこぼれや、自分も私腹を肥やせると思っている大人達が「子どものユメ」まで食いつぶす・・・
で、今夜は「世界の書物」からの抜粋は中断・・・でした。