407日目・・・「今現在、この時間に生きているコト」を問題にセズ、過去をグダグダ愚痴る人や、未来に対する不安と杞憂を取り越し苦労として怯えている人が多い。問題は「目の前の出来事」であり、この解決にはどう対処し、それを行動とするかである。予期せぬ出来事、予期できる出来事に準備万端は大切であるが、妄想なんていう時間はない。いつも問われるのは次の敏速、瞬時の行動である・・・あらゆるコトの「対処基準」が「今」でしかない。眠るも、食べるも、トイレに行くのも、喧嘩するのも、仲良くするのも・・・恋愛するのも、別れるの

naie2008-01-18


 「世界の書物」からの抜粋・・・今日は、
 ・・・情念の世界・「告白」(ルソー)・・・意識化下の欲望・・・自伝を書く時に最も難しいのは、当人が社会的にどんな功績を成し遂げたとかと言うような”公的”な経歴ではなく、情念の記録、とりわけそれが集約的に現れる異性関係であろう。この部分において、執筆者の資質は厳しく問われることになる。
 ルソーは「エミール」(1762年)の中で「」男が女性の伴侶を必要とするようになると、彼はすでに孤立した存在ではなくなる。その精神はもはや孤独ではない。人類に対するあらゆる関係や、あらゆる情愛が生まれてくる。そして、やがては他の情念をも沸き立たせる」と言っている。
 ・・・ヴァランス夫人・・・庇護者であると同時に愛人であるという奇妙な立場・・・(るそーは、彼女との)この「傷害で最も幸福な」十三年間に著述活動の土台がつくられた。夫人との静かな日々の間に、デカルトジョン・ロックらの哲学書や、ユークリッドニュートンなどの数学、科学書、さらには歴史、天文、音楽などの広範囲なジャンルの書物が血肉となって吸収された。教育らしい教育を受けたコトの無いルソーにとって、これは一大転換であった。一人の天才が、間違いなく一人の女性のすぐれた女性の感化のもとにうまれたと言う例がここにある。
 ・・・五人の捨て子・・・
 ・・・教育論「エミール」を執筆したおり、大いに反省し、「こどものことでわたしのとった方針は、どれほど理性的なものにわたしに見えようとも、必ずしもわたしの心を安らかにしたわけではなかった。教育論の構想中、どんな理由からだろうとけっして許されない義務をなおざりにしたことを、痛感せざるをえなかった」と述べている。
 ・・・「人間不平等起源論」、「社会契約論」、「エミール」、そして「告白」・・・大正元年にこのタイトルは「懺悔録」の名で出た。
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 ボクのコトバ・・・ボクには「男女の関係」の「情念」とはワッカリマセンッ。・・・「情念」って、何?・・・きっと「勘定」としての理屈で無い、「感情の流れ、起伏」としての個々人の「心の状態」なんだろうから、「理屈」出説明できないのは当然ではあるな。では「感情」とはナンだろう?・・・五感、感性が感じる「快」と「深い」・・・「喜怒哀楽」とは言い得ている。が、「情念」って、何かネチッコイ・・・「パッション(Passion)」は「情熱」って言う漢字におきかえられるが、「激情・癇癪・激怒」とも、「渇望」とも。と言うことは「執着心」とか「シツコイ」とか・・・今風に言うならば一方的ではあるがストーカー」の「心情」かも・・・「偏執狂」・・・か。キット、「ストーカー」はキミを愛しているのに違いない・・・少しは毛嫌い、嫌悪するんじゃなくて、理解してやったら、どうか?・・・無理・・・
 割りきれるのは「勘定」で、「余り」もでるが、「分数」では形がおさまる。「感情」はどこまでも割り切れない「円周率」のようなモノなんだろう、なっ。