406日目・・・今日も「世界の書物」からの抜粋・・・見えない手・「国富論」(アダム・スミス)・・・オクスフォードに失望・・・
・・・スミスは大学の先生を経済人という概念で見ている。
・・・とりわけ鋭いのは、大学の規則が学生達の便益のために案出されていす、教師達の利害と安楽のタメに案出されているという指摘である。
・・・2000ポンド余の印税・・・「一般的に職業のどの部門、すなわち分業のどの部門でもそれが公共にとって有益なものならば、競争が自由で一般的になるほど、それfはますます有益になるだろう」・・・「公共」の意味は厳密にとると問題が多いが、ここでは実体的に資本制的生産様式をもつ近代市民社会の価値観と考えてよいだろう。だが、このような社会における競争が常に有益であるか否かは論理的には確認されない。そのコトをスミスは意識していて、例の、”見えない手”という文学的形容句を用いた。
・・・もっとも、1776年アメリカ十三州独立宣言とともに生まれたこの書物・・・
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ボクのコトバ・・・「国富」を乗り越えて、「国富論」が「国際富論」、「地球富論」になってくれないかな・・・無理だろうナッ「フロン」はどっちにしても「オゾン層」に大きな穴を開け、温暖化で「地球環境の変化」をきたしているのだから。「地球環境の変化」であって、「地球環境の悪化」ではない。「悪化」は「人間側」から観たコトバだから。
「富」を求めてばかりいちゃぁ、「地球の環境変化」はヤッパ「生態系の変化」だョな。一番困っているのが「人間」になるハズなんだよなッ。でもこの人間種にもイロイロあってね。自己中心でヨクバリな人間を「大富豪」と言うんだ。貧乏人でも「気持と意識」が自己中心のヨクバリになっている人間を「野心と志望を持つ人間」って言われるんだ。
「金貸し」の気持は「金貸し」になってみなければ解からんけれど、「金」を数えだしたらその気持、ワカランでもない。「蒐集家」とたいしたその気分は変わらんのじゃなかろうか。昔、「ガメツイやつ」って演劇や映画があった。ガメツイヤツは結構面白かった。それにマンガの「銭ゲバ」の「がまごうり風太郎」はコレ、また凄かった・・・コイツラの「理屈・論理」は自分にも他人もハッキリしているから。問題なのはアイマイな顔をして自分自身が私腹を肥やそうとしている「人間」であることを自覚していない奴等だョ・・・いや、本人は「イイ人間」になろうとして、自分自身の築いた「財産の根拠」を追求しきれないで揺らいでいる人間かも、生活がかかっているにしても「桁違いな報酬」はどっから手に入れているのかネッ・・・確かに「才能」は認めてやるさね、「資本主義的私有財産」としての「才能」を・・・「タケシ」、「フルダテ」、「ツクシ」、「オオタ総理」・・・それに、「吉本なんとか」って言う小市民主義者を代表するらしいモノカキ・・・むしろ周囲からは「期待されている人間」らしいんだが・・・「幻想」を商品化している人間には期待しないほうがイイ、かも・・・。