403日目・・・「成人式」は「平穏無事」に終わったみたいだけれど・・・「成人・性人・正人・星人・生人・背人・所為人・誓人」等にオメデトウッ!・・・今日も「世界の書物」をくくって抜粋していこうカナ・・・

naie2008-01-14


 醜悪なるかな人間・「ガリヴァー旅行記」(スゥィフト)・・・大樽二杯の排泄・・・小人国に上陸したガリヴァーが大いに閉口したのは、自然の欲求の処理であった・・・巨人国・・・浮かぶ飛行島・・・ある教授からは、「反政府陰謀検挙心得」という書類を見せられる。「妖しいと思える人間があれば、まずその食事を調査せよ。次には食事の時間、また彼等がどちら側を下にして寝るか、どちらの手で尻を吹くか、それから排泄物を厳重に検査する、そしてその色合い、匂、味、農度、消化の良否といったものから、彼等の思想計画を判断せよ、なんとなれば人間というものは、上厠(ジョウシ)せる時ほど真剣に、いちずに物を考える時はないからだ」・・・「馬の国」・・・ヤフー・・・
 ・・・このようなことを書くスゥィフト(1667年〜1745年)の態度には、兼悪寒よりも一種サディスティックな快感が含まれているようだ。これを彼の厭人主義と結びつけて考えることもできなくはないが、どんな人間でも、おのれが単なる一個の生物にすぎないという滑稽感や悲哀の念を、一度も抱いたたことがないとすれば、かえって異常ではなかろうか。
 風刺というのは、常識をひっくり返すこと、つまり視座を変えて物事を見るということである。
 ・・・「その社会では、理性よりも暴力が支配している、性格が貪欲のためで、食物は何でも口に入れるが、わざわざ遠方から強奪してきて、そのほうがうまいななどといっている・・・」
 ・・・閣議室から子ども室まで・・・「人生の幸福の九割は金だ」と喝破した著者を、大いに満足させたのである。
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 ボクのコトバ・・・小人国とは「江戸時代の日本」であったらしいが、彼の生存期間が1667から1745年でこの「ガリヴァー旅行記」の執筆期間が「1714〜1739」の25年間・・・「小人国」の物語の舞台が「日本」であるならば「1600年」に豊後、大分に漂着した「ウィリアム・アダムス」・・・だが彼は「三浦按針」となって「日本人の義に生きた」た。
 「人生の幸福の九割」が「金」だ、と「喝破」したかどうかは知らないが、前提として「幸福」とは何かをハッキリさせるべきである。「幸福」にも具体的には人によってさまざまある。「生活の安定」である「衣食住」が安定していることだが、確かに「衣食住」は「金」で確保できるのだが、その「金」はどのように確保するのか・・・多分、仕事での給料、報酬で・・・確保できればイイんだけれど・・・
 で、「十割の枠内の九割の幸福=金=財産=生活財(衣食住の確保)」であるとは思っていないであろう。では「一割の幸福」とはナニだったのか?・・・ソレとも「一割」が「不幸」であることを言っているのか?・・・「不幸の源泉」が「搾取した金の集中=権力→個的私的所有の金の集中=個的私有財産の増大→権力」と喝破したならば、まさにそのとうりである。
 そして、「共同体の衣食住の生活=命」を保証しない「私的権力」も、贈収賄にまみれた「公的権力」も「幸福」を保証するものではない。
 「金=幸福=裕福な生活=財産の増大」と思い込んだのは戦争の勝敗によって「階級格差」が生じ、「交換貨幣」となった「キン(財貨)」が特権階級に集中した古代ギリシャ・ローマあたりからからである。
 「人生の不幸の九割」が「金」である・・・なッ・・・「一割」はナンなんだろう?・・・ヤッパ「不幸」、あるいは「幸福」・・・とにかく、この「一割」は「生きているコト」が前提だな・・・「死ぬコト」が「幸福」と思っている人間も多いみたいだけれど・・・