385日目・・・「日本に来た最初のイギリス人・ウィリアム・アダムス=三浦按針(PC・ロジャーズ著・幸田礼雅翻訳)・新評論1993年9月30日発行」・・・「ウィリアム・アダムス」は1600年4月に日本の豊後大分に「リーフデ号」で漂着した人物で、日本に帰化した「三浦按針」のことである。「リーフデ」はこの本では「慈悲(ジヒ)=哀れみ」と訳されていた・・・「自費」とか「字比・時比・事比」ではないよナッ・・・「あわれみ=泡例見・泡霊見・安房令見・亜我見」でもないよ、ナッ。でも、「文字の比較」で「蛙吾見(カエル・ゴ
「三浦按針」を描いたイギリスの「針を見守る男」と言う小説が「リチャード・ブレイカー」なる人物によって書かれているらしい。このコトは「日本に来た最初のイギリス人・ウィリアム・アダムス=三浦按針」の序文を書いている「エドマンド・ブランデン(1896〜1974生存・英国の詩人・批評家)」が記している。
ボクは江戸時代の「蘭学者の原点」が「三浦按針」だと思っているのだが・・・「サツマイモ=甘藷」を琉球から日本に持ち込んだのも彼であったとこの本の著者は言っている・・・その意味からも江戸の「魚問屋」に生まれて、凶作に備えてサツマイモの栽培を小石川薬園で行い、その普及を奨励した「青木昆陽・敦書・文蔵(1698〜1769)」に重なっている。「青木昆陽」は何しろ江戸幕府の「官庫書籍」の閲覧を許され、「書物方」に採用されて日本各地の「古文書図書」の蒐集に専念した人物である。モチロン、蘭学者となり、「藩藷考」を著作した。
青木昆陽、後には「書物奉行」となり、オランダ語研究の「和蘭文字略考」なども著作した人物である。
ウィリアム・アダムス(1564〜1620年)
1600年漂着
1620年平戸で死亡
⇕
支倉 ・ 常長(1571〜1622年)
1613年遣欧使節
1620年帰国
この二人の背後の支配者は、
アダムス(イギリス・オランダ)←徳川家康
関東
↓
↓↑・・・・・関が原、大坂の陣以降の確執
↑
東北
支倉常長・ルイス・ソテロ
(スペイン・バチカン)←伊達政宗
であった。