380日目・・・ボクの小説「イースト・サイド物語」って「墨東奇譚」じゃないんだけれど・・・ミュージカル映画「ウェストサイド物語」はボクが高校生くらいの映画であったと思うが・・・「ウエスト・サイド物語(West Side Story)・1961年制作」だったんだ・・・60年安保闘争の一年後・・・過去ボクの人生で繰り返し何回も観た映画であった。先日も何かのキッカケで思い出してしまった。最初、観賞した時のあのダンスの動きに「凄いッ」と感激し、後に映画「フラッシュダンス」を観てそのダンスの動きは「ウェストサイド

 「何か起こりそう(Something’s Coming) 」
 「マリア(Maria)」
 「アメリカ(America)」
 「サムウェア(Somewhere)」
 「トゥナイト(Tonight)」
 「クラプキ巡査への悪口(Gee, Officer Krupke)」
 「ひとつの心(One Hand, One Heart)」
 「クール(Cool)」
 「あんな男に〜私は愛している
        (A Boy Like That/I Have Love)」
 「恋は永遠に(Somewhere –Finale–)」

 「West Side Story」は「戦争の勃発とプロセス、そして結果」・・・「ジェット団とシェーク団」のチンピラグループの街の野外運動場の縄張りを巡っての争いの物語であったが・・・まさにあの時代の「アメリカの繁栄と中南米諸国の貧困、移民と人種対立」、そして、その背景にある「東西冷戦」への批判、すなわち、「反戦」映画であった・・・一見、「愛には悪も無く、善(正義)も無い」と言う「コトバ」とシェクスピアの「ロミオとジュリエット」をベースにした「ラブロマンの悲喜劇」のように思ってしまうが、まさに「戦争・紛争」の「原因・発端」であるクダラナさと、そのプロセスでチョッとしキッカケで「自分自身の意図」とはマッタク逆の状況に巻き込まれてしまう人々の恐ろしさ・・・である。

 冒頭の「イーストサイド物語」とは日本と大陸中国、東南アジア諸国からの「研修生」なる「日本の現状」である・・・昨夜のNHKの「クローズアップ現代(12月5日)」の報道・・・

 「外国人研修生」制度をめぐっての「不当な低賃金労働をさせられていた」と「公的機関」に訴える「外国人研修生・実習生」が続出しているらしい。訴えているのは「自分自身の権利」を知識として有しているからだ。「自己主張が強い中国人」とはそれなりの「教養レベル(読み書き勘定)」で判断出来る存在だからである。ムカシのクーリーとか農奴なんかじゃない・・・現実的に今現代も人種差別の激しい「アメリカ」からもその日本的状況を「強制労働(奴隷労働)の状況下」にあると批判されているらしい・・・日本の中小企業では大陸中国、東南アジア諸国から「出稼ぎ」を名目「研修生」として「違法低賃金」でこき使い、送り出す中国、東南アジア本国の「派遣業者」は膨大な「担保(200万円・300万円)」を前払い契約で搾取し、しかもその「契約書」は「日本の生命会社」が被契約者に渡す「契約書」のように細かく読解不能、理解不能のような文面で、相手の確認する暇も与えず契約サインをさせてしまう・・・「人買いと身売り」・・・
 中国人の派遣業者の言い分・・・「お前達は中国人の出稼ぎのくせに、日本で日本人と同じ待遇を望んでいるのか」・・・であった。ここには「愛国主義」も「中華民族主義」も無い。あるのは「資本」と「労働市場」の論理である。そして「人権を自覚しつつある貧農、貧困中国人」である。

 「West Side Story」の歌詞、「アメリカ・アメリ」は現在の「ジャパン・ジャパン」の現状でもある。

 「日本」の「低賃金労働者不足(補外国人)=失業者(日本人臨時雇用者・ニート・フリーター・ホームレス)」・・・混沌とした不安定な社会情勢で・・・ヒトラーは「失業者」に公平(?)な「仕事=労働=生活」を与えたのだが・・・「排外主義の思想・汎ゲルマン主義の思想」も与えた。その「思想洗脳のテコ」は「スポーツ」と大衆を動員する「映画・演劇・芸術・イベント・卍の旗」、規律ある軍事パレードでのプロパカンダであった・・・かっての「ソ連」、現在的にはロシアのプーチンが似たようなコトをやっている・・・どの国家の支配者も「国民」を「洗脳」せずしては国家運営はできない・・・日本支配階級に組するイデオログー達は「洗脳するコト」を、不安な状況の日本国民達は「洗脳されるコト」を望んでいるらしい・・・