286日目・・・当時、33歳の作家「石川達三」の「生きている兵隊」は昭和十三年三月号の「中央公論」に発表されたモノである・・・かっての「ヴェトナム戦争」でも、そして、きっと今現在のイラクにいる「アメリカ兵」もこの小説の中に出てくるような心情の人間にパターン化されるかも・・・戦後生まれのボク達もボク達の子供も「戦争の現実、現場」を知らない。記録に遺されたモノで知るだけである。そして戦後のボク達よりも戦前十五年前に生まれた人達も「日本敗戦時」には、まだ「一歳〜十五歳」の少年少女だった。今現在は七十五歳以上の

naie2007-05-22


 「日本外務省」が「世界マンガ大賞(?)」を設立するそうだが・・・審査員には、あの「ゴーマニスト」が名前を連ねるんるんじゃァ、ないだろうな・・・確かに動きを感じさせる「マンガ」も「絵+文学」、「絵+吹き出し文字」の「芸術」カモ知れないが・・・戦前の「モノカキ屋」、「絵かき屋」、「映画屋」には「国家」に利用された人間が多数いた。「芸術の基準」とは「美=醜」、「安定=不安定」、「善悪」などの表裏のバランスを兼ねた「創造表現能力」が「人工物」として「発揮」されたモノである・・・戦後、「軍国主義」に利用されたコトを悔やんで、ヒッソリと死んでいった人もいたが・・・「思想・立場を抜き」にして「イイモノ」は「イイ」のである。だが、「・・の技術」、「・・の技能」、「・・の知識」とは時代の「支配権力者」に利用されるのがほとんどである。「反権力者」や「芸術至上主義の者」もいるけれど・・・「カネ」には弱い。
 イラクでは「アメリカ軍」がバクダット市街を「テロで対立する宗派の居住区」を巨大な「コンクリートの壁」で仕切っているそうだ。その「巨大なカベ」にイラクの「絵画芸術家」達が「平和」を願って、「絶望の絵」ではなく、「希望・願望・切望・志望」の未来画を描いていた。
 TV画面の情報では、「アフガニスタン」では旱魃が続き、作物、麦畑になるべくトコロには旱魃に強い「芥子の花」が眼の醒めるようなパノラマの美しさで咲いていた・・・タシカに「栄養失調の肉体」であっても、「ポピイ(POPPY)」は「アヘン(阿片・鴉片)」の原料で、その頭脳には「希望・志望」を喪失させる素晴らしい「ユメ」を見させてくれるモノなのだろう・・・かっての「素晴らしい芸術作品」である朽ち果てた「石仏」はダレのモノだったのか・・・「石仏」は「希望の象徴」だったのだろうか、「絶望の象徴」だったのだろうか・・・「志望の象徴」だったとしたら、その「志望」とはナンだったのだろう。
 「石仏造作」そのモノが、その領域で生活していた人々の「自己目的化」された「切望」だった、とは思えない。「外敵」に侵略=滅亡、と言う当時の状況を取り巻く「支配者の願望」は「被支配者」と共に生きる「運命共同体の一員」であったコトはタシカであろう・・・が・・・「石仏建立」が「平和と安定」を保障したわけではナイ。「石仏建立」は「一致団結=戦う共同体の意識的形成の象徴」、「幻想」になるハズであった。だが、「領土(国家)防衛」するには「ホトケの思想」は「アマリにもスベテに優しかった」のだ。「石仏の残骸」は、アマリにも、「敵」にも「優しかった美しさの結末」である・・・「滅びの思想」だったカモ。
 「日本的仏教」は「仏教」からカナリ遊離した「異端仏教=俗物仏教」である。にも拘らず、「ホトケの思想」は「国家鎮護」として支配者に利用され、人々には「極楽浄土」として根付いた・・・
 だが、「大乗=慈悲」としての「優しいホトケサマの哲学」は「日本国憲法」と同じで、「国家思想」としては馴染まない・・・のだろう。ヤッパ、「国家思想」には、「領土防衛」の「天照大神」と接点が無理であるが、大和に「侵略」して来た「神武天皇」である。
 で、「国家支配者」には「天照大神」も不都合で、「みんなの伊勢神宮=太陽」よりも、新たな「靖国神社神武天皇の黄泉」が必要なのだろう・・・「国家鎮護」とは「絶対命令支配階級の体制護持」だから。

 ・・・「手塚治虫」も「ブッダ(仏)」と言うマンガを描いているが・・・そして「鳥人伝」と言う「キリスト」を重ねたマンガも描いている・・・
 「マンガの悲劇」は「子どもマンガ」から別離した「劇画」になってしまったからだ・・・「寺田ヒロオ」さんの「マンガ」はイマや、どこにも見当たらない・・・「スポーツマン・金太郎」、「スポーツマン・猿飛サスケ」・・・「マンガ」のジャンルは「芸術」になってしまった・・・そして、国家幻想の「プロパガンダ」に利用されようとしているのかも・・・