263日目・・・昨日は「さそり座」に言及し、「オリオン座」にも言及した。「オリオン」のギリシャ神話って、「日本の神話」に重なっているようで、怪しく感じる。最近話題になった「三大ピラピッド」がオリオンの三星に重なっているとか、スフインクスが向いている方角がナイル河で、「獅子座」や「シリウス」の上昇を見据えている、とかが話題になったが・・・僕自身、「戌(イヌ・犬・狗)=シリウス」の漢字を「古代エジプトのシリウス暦」と関連させて、もっと言及したかったんだけれど、「赤い星」から「オリオン座」になってしまった。星

naie2007-04-17


 また手っ取り早い「ウィキペディアWikipedia)」を参考にさせてもらうか・・・

 「サクラメント秘跡)」、あるいは「秘蹟(ひせき:ギリシア語ミュステリオン、ラテン語Sacramentum)」とは、
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 キリスト教において神と人間とを仲介し、神の恵みを人間に与える儀式のこと。日本では教派によって語が異なる。「秘跡」というのはカトリック用語でラテン語の「サクラメントゥム」の訳語。他の教派では、「礼典・聖礼典」(れいてん、せいれいてん:プロテスタント)、「聖奠」(せいてん:聖公会)、「機密」(きみつ:東方正教会)などという。
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 と説明されている。そして、
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 初代教会以来、正統教会においては「七つの秘跡」が伝統的に守られていたが、古代における単性論教会の離脱、11世紀の東西教会の分裂や16世紀以降の宗教改革運動などでさまざまな宗派が生まれていく中で秘跡の概念も広がっていった。
 プロテスタント諸派の間では、「仲介する」という言葉は目に見えない神の恵みを目に見える形にするというだけのもの、単なる象徴(シンボル)という意味でとらえるものもあるが、カトリック教会、東方正教会東方教会アッシリア教会、聖公会復古カトリック教会ルター派教会などでは「単なる象徴というだけでなく、神の恵みを直接人間に伝えるもの」であるとしている。
 一口にキリスト教といっても、宗派によって秘跡の数や意味についての解釈は異なっている。しかし、ほとんどの宗派で秘跡イエス・キリストに直接由来するものとして考えている。通常、秘跡は司牧者・聖職者によって執り行われ、目にみえる儀式に「目に見えない恵みを伴うもの」と考えられる。秘跡では聖別された「水、油、ワイン」などによって神からの見えない恵みが人間に与えられるとされる。
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 サクラメントの語源

 秘跡という言葉はラテン語サクラメントゥム(Sacramentum)に由来している。サクラメントゥムというのは「聖別されたもの、行い」あるいは「聖なるもの」「聖別すること」といった意味である。さらにこのラテン語ギリシア語で「秘儀」を意味する「ミュステリオン」(μυστήριον)の翻訳であるため、東方教会ではそのままギリシア語の「ミュステリオン」を用いるものもある。

 カトリック教会が伝統的に認めてきた「七つの秘跡」は以下のとおりである。

 洗礼
 聖体
 婚姻
 叙階
 堅信
 ゆるしの秘跡あるいは「告解」

 ほかにも再洗礼派に由来するあるグループでは「洗足式」も秘跡とみなしている。
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 ・・・洗足の儀式・・・「オリオンの大股・大足」に関係するんだろうか・・・「足・肢・脚」は基本的には「歩行機能の人体器官」であるが、「歩行」、「走行」、「巡礼」の「旅人」には絶対的に「健康な足」は必要なモノである。そして「足の癒し」が「宿営地」、「宿場」である。「足」に障害を有すれば、足の代用となるモノは「乗り物」だが、ムカシは「馬・牛・駱駝・驢馬」等の背中であり、動物に曳かせた「車・戦車」、そして「舟(ふね)」である。古代エジプトでは「アシ舟(葦舟・蘆舟)」であった。
 ナゼか、「舟(ソウ・ふね)」は「肉(ジク・にく)」と同じく「扁」で合字となる時には「月(ゲツ)」になってしまうのが「新漢字」である。「ソウ・ふね」と「ジク・にく」としたのは「発音」にあり、これらの「同音異字漢字」への変換、置換せよ、との示唆である・・・?・・・「総有(ナ=左)+(月)・操胡=(古+月)」、「字句(爾句・辞句)・似句」・・・
 未知の世界への「旅(たび)」こそは、生きて、世界を知りたいとする人間の「願望」だった。日本語で、靴下を「足袋(たび)」と言い、河川を渡るときも、往復、行き来するときも「たび(度)」と言う。
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 西方教会において、秘跡の基本はカトリック教会が伝統的に認めてきた上記の七つであるが、宗教改革以降の諸派では秘跡の数、名称、理解などが宗派によって異なっている。
 プロテスタント教会の多くは「洗礼」と「聖餐(聖体)」のみを認めていることが多い。これは宗教改革において「キリスト教のすべてを聖書にもとづいて見直す」という動きが起きたときに、洗礼と聖餐のみは新約聖書に記述があり、イエス・キリストに真に由来するものであると考えられたからである。
 ほかの五つの秘跡は聖書に根拠がないとして廃止されていった。プロテスタントでも結婚式や聖職者の任命式を行っているが、それらは秘跡とはみなされていない。プロテスタントの動きを受けてカトリック教会でもトリエント公会議秘跡の意味と起源についての再確認がおこなわれたが、七つすべてが新約聖書に論拠があるものとされ、七つの秘跡の伝統が保持された。

 イングランド国教会の系統に属する種々の教会においては秘跡の数や概念はさまざまである。伝統的に洗礼と聖奠(聖体)は福音に論拠があり、救いにかかわるもっとも重要な秘跡として扱われる。カトリック教会同様、秘跡の数は七つであっても洗礼と聖奠(聖体)以外の五つをより重要度の低い秘跡とみなしている。
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 「オリオン座」の「オリオン」は元々が「海神」の子供だから旅は「船」である。しかも、「オリオン」の根拠地は海に囲まれた「島」であった。で、「オリオン」とは「海の領域、海原支配」を任され、嫌だ、イヤダと啼きワメいた「素戔乎=建速・須佐之男」であろう。啼いた理由が「僕は妣(はは)の國、根の堅州(かたす)國に罷(まか)らむと欲(おも)ふ。故、哭(な)くなり」であった。
 「スサノヲ」にとって「母の国」とは「堅州」の國である。「堅(ケン・かたい・かたし)」の漢字使用の故事に、

 堅白同異之弁・・・中国戦国時代の「公孫竜」が唱えた「詭弁」で、「石の白色は目で見て知りうるもの。堅さは手で触れて知りうるもの。だから白石と堅石は同一の石ではない」

 と、した・・・で、ボクも「カタシ・カタイ」、「かたす」を詭弁する、と、「カタシ」は「契丹キャセイ・Cathay」で、「中国大陸の北方奥地」である・・・ナッ。古代中国、中華思想からみて「契丹」の国名は卑しむ漢字を使用していない。「契(ケイ・ケツ・ケチ・ちぎる)=しるし・きざむ・割符・手形・契り・約束・契約」で、殷墟から発掘された「亀甲文字」そのもの意味で、「契文」である。「丹」は赤色の「硫化第二水銀」の「丹砂」、「辰砂」、「朱砂」で、不老不死の「薬物原料」である。
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 「契丹(きったん ピンイン: Qìdān)」は北アジアから中央アジアにかけて存在した遊牧民族。キタン、キタイとも。
 10世紀にはモンゴル高原から中国の北方にかけて複合的な大帝国を建国し、中華世界向けの国号を「遼」と号した。この大帝国が「金」に滅ぼされると契丹人集団の一部は金朝の構成種族として取り込まれ、また一部は中央アジアに逃れて帝国を再建、中華世界からは西遼(カラ=キタイ)と呼ばれた。
 なお、英語で、中国あるいは「キャセイ」・パシフィック航空を意味する「Cathay」は、契丹に由来する。また、ロシア語で中国を意味する「Китай」も、同様に「契丹」由来である。

 契丹の元の言葉「キタン(Qitan)」とは「銅鉄」の事である。契丹は民族の神話によると、白馬に乗ってきた神人と、青い牛の牛車に乗ってきた天女が結婚して八人の子供を設けた。
 これが後の「契丹八部の祖先」になったといわれる。この伝説は中国の歴史教科書にも紹介されている。
 4世紀ごろからシラ・ムレン河(西遼河上流)上流に現れ、唐・突厥高句麗に服属した。その後、ウイグル帝国・吐蕃帝国の崩壊、安史の乱による唐の弛緩などを機として独自の行動を取り始め、首長が可汗を名乗り始めた。
 10世紀に「耶律阿保機」が登場し、八部を纏め、916年に唐滅亡後の混乱に乗じて自らの国を建て、国号を「契丹」とし、皇帝となった。
 契丹は勢力を拡大し、東の「渤海」を滅ぼし、西の「烏古」を滅ぼした。
 二代目「耶律徳光」は中国の騒乱に介入して「燕雲十六州」の割譲を受け、西の「西夏」・ウイグルを服属させた。その後、しばらくの間は中国文化を取り入れようとする派と「契丹」の独自風習を守ろうとする派とに分かれて内部抗争が起き、南に介入する余裕が無くなった。
 その間に南では「北宋」が成立する。内部抗争は「六代目・聖宗」期に一段落し、再び宋と抗争するようになった。1004年、南下した「遼」と北宋は盟約(澶淵の盟)を結び、北宋から遼へ莫大な財貨が毎年送られるようになった。経済力を付けた遼は東アジアから中央アジアまで勢力を伸ばした強国となった。
 しかし宋からの財貨により働かなくても贅沢が出来るようになった「遼」の上層部は次第に堕落し、武力の低下を招いた。また内部抗争も激しさを増し、その間に東の満州で「女真」族が台頭し、1125年に宋の誘いを受けた「女真」族の「金」により遼は滅ぼされた。
 この時に皇族の「耶律大石」は部族の一部を引き連れて、中央アジアに逃れて西ウイグル王国・カラ・ハン朝を征服して「西遼」を建てた。現地では「カラ・キタイ」と呼ばれる。これは「黒い契丹」の意味である。
 「耶律大石」は更にセルジューク朝の軍を撃破して、中央アジアに基盤を固め、故地奪還を目指して東征の軍を送るが、途上で病死した。
 耶律大石死後の西遼は中央アジアで勢力を保持したが、「チンギス・ハーン」によってモンゴル高原から追われた匿った「クチュルク」によって簒奪され、「西遼」は滅びた。
 一方で「遼」が滅びた時に残った人々は金の中で「諸色人」に入れられて、厳しい収奪を受け、また対南宋戦争では兵士として狩り出され、これに反発した「契丹」族は度々反乱を起こした。特に金の「海陵王」の時の反乱は、「海陵王」が殺される大きな要因となった。
 「金」滅亡後は「チンギス・ハーン」の下で漢人に組み入れられた。この中にモンゴル(蒙古)帝国に仕えた「耶律楚材」がいる
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 で、「スサノヲ」の「ハハのクニ」とは、
 
 妣=女+比・・・オンナ(音名)を比べる
 の
 國=囗+或
 根=木+艮(丑寅の北東)
 の
 堅=臣(目)+又(手)+土(壱拾壱)
 州=川+ゝゝゝ
 國
 に
 罷=罒+ム+月+匕匕(七七)
 らむと欲ふ。
 故、
 哭=口口+
 くなり

 「大犬座」、「小犬座」の物語はあったけれど「山ネコ座」の物語はどう、なっているんだろう・・・八重サクラ・・・「契丹」の「契」が「主+刀+犬」ならば「戌=ト+戈」で、「丹」は「冂(ケイ・キョウ・けいがまえ・きょうがまえ・国境)+ゝ(ポチ・主)+一(イチ・)」・・・

 ニュース・・・原爆被災地の長崎の伊藤市長が「拳銃」で撃たれた、って・・・?・・・「犬戎」・・・「腱重」・・・