260日目・・・昨日の「つづき」・・・で、今日は「十二支の漢字」の初源・・・やっぱし、「加藤常賢」先生の「漢字の発掘」の「形の意味」を参考にして・・・とにかく、ボクは「出鱈目」で、「アソビ」の「漢字オッタッキー」だし・・・「中国古代人」に直接逢うのも憚れるから・・・で、よくもぬけぬけと逢うョな、「アベ&オンカホウ」・・・「蛙部」と「音掛方」か・・・

naie2007-04-12


  ボクがイメージして、組み併せた「漢字の発掘」に記されている(不正確)な甲骨文字の形。意味は「加藤常賢」先生の説。
    ↓
 子・・♀・∃+㊉+人+∈+∩=尸の形
 丑・・∋+)・Э+)=手の形
 寅・・∈+↥+∋=両手で矢を真っ直ぐにする形
 卯・・ο+)(+ο・q+p・d+b=馬の轡カガミ
 辰・・|+7+ヽヽ+|=蜃(おおはまぐり・大蛤)
 巳・・〇+し・P・止+它=蛇、蝮の形
 午・・8・↑・↥=杵の形
 未・・耒・Ψ+八=木の枝が繁茂する形
 申・・ξ・S・∈+|+∋=稲光・背骨と肋骨の形
 酉・・立+∀・耳+∀=酒壺
 戌・・∇+|・厂+戈=鉞(まさかり)
 亥・・〃+∫・∋+∫・亠+ノ+カ=豚・猪

 加藤先生は「十二支」の動物に当てられた漢字は「巳」と「亥」だけである、と言っている。
 まあ、タシカに「十二支」は「動物の星座」の「循環」ではないだろう。ヤッパシ「支」と言うから「植物=樹木」の生長過程ではないのか・・・西洋、中東でも「木星=歳星」が「十二座宮=十二獣帯」の「一座宮」に回座して居座る時期をその一年間の「一星座宮」とした。中国でも同じように「一支の歳」とし、それを「十二動物」に当てたのは、中東、西洋の影響だろう。
 「十二支」は古代でも「円周天体の十二ヶ月・十二時間」の「区分」だった、とは思うが、古代中国「殷」の発明だったのだろうか、「十二区分」、天体「十二星座・十二座球」。一般的には「円周360度、十二区分」は「メソポタミア」、「古代中東」が発生の地と言われている・・・中国に伝播されたのは「殷・商」王朝後のコトではないのか、「殷王朝」を滅ぼした「周王朝」は西の蛮族、「西夷」だったらしいから。だが、「亀甲ト辞」には「十干+十二支」の「六十干支(納音六十)」が刻まれているらしい・・・「易(八卦)」とは、「殷易」ではなく、「周易」であるらしいから、「殷王朝」と「周王朝」の「占い」は別モノだろうが、「占い」は前王朝の影響で重なって体系化されている部分もあるんだろう。かなり時代が下った奈良平安時代の日本にも「亀甲」や「鹿骨」を焼いてその割れ目で「吉凶占」をしていたらしいから、滅びてもその「殷王朝の影響度」は大きかったのに違いない。
 「漢字」、あるいはその他の「初源の文字」は「生活行動の指針」としての「占いの記録」からはじまったのに違いない、とは思う。「天」の、「自然界」のあらゆる「モノの変化」にその「吉凶」の「兆」を訊ねた。そして火と道具(亀甲・牛豚鹿の骨)を使用するコトで「意図的」に自ら訊ねる体系を作りだした。訊ねる相手は「神々=自然界の精霊」であり、既に他界した「祖霊」にである。
 「トリ」が「十二支」で「酉(ユウ)」の漢字を当てられているのは「酒壺」の中身の人間の精神、感覚状態に影響する「酒(シュ)」であるからだろう・・・「ユウ」の同音漢字と、「シュ」の同音漢字は「酒」が及ぼす人体変化と人間関係(「アイ & ユウ」と「ユウ & ミィ」の同音)にあるだろう。まさに「鶏の足跡」のような「楔形文字」を発明、使用した古代「シィメール」、それに、古代エジプトの書記である「トト神」は、鳥の「トキ(朱鷺・鴇)の頭」を有する存在として「絵画」に描かれている。そして、古代中国の「文字の発明者」は「鶏の足跡」から文字を発想、発明した「蒼頡」である、とされている。この「蒼頡」は「蛇身人首」の「伏羲=包犠」氏よりも後の時代の「黄帝」の史官だった、と言われている。「女媧」はギリシャ神話では「エキドナ(Έχιδνα)」で、上半身は美女で下半身は蛇だった。で、「黄帝」も「人身牛首」だった。まるで、ギリシャ神話に出てくる「ミノタウルス=人身牛頭」との重なりである。「蒼頡」の漢字分解は「蒼=艸+倉=青い」、「頡=吉+頁=真っ直ぐな首筋・飛び上がる・伝説上の獣名・除く・掠めとる・盗む」である。「頡頏(ケッコウ)」とは「鳥が飛びあがり、飛び降りる様子」であるらしい。古代文明の文字の発生共通項は「トリの足跡」であるらしい。
 古代「エジプト」の「星座宮」には「八区分」されているモノも見かけたコトがある。中国では一般的には「十二方位」と言うよりも「ハ方位」と呼ばれる。中国の「唐王朝」時代に「弘法大師空海」がもたらした「宿曜経」は「十二座宮の区分」となっている。

 「十二支」が「植物の発生形態変化」の「区分」であるとするならば、「子」は亀甲の「尸」ではなく、「0+∫・δ・ρ=おたまじゃくし」で、「種」そのもの。「オタマジャクシ」とは「柄杓の形=北斗七星」でもある。「子(シ・ス)」の漢字そのものは「了+一」で、終りと始まり、始まりと終りである。円周循環の出発点であると同時に終着点である。似ている漢字には「孑(ケツ・ケチ・あまる・のこる・小さい)」があり、沼、湖、水溜りの面で活動する「蚊の幼虫」の「ボウフラ(孑)」の意である。「孑」は、「孔舎衛(くさか)」、「孤立・孤独」、そして「諸葛亮孔明(181〜234年甲寅8月23日死亡)」、儒家の「孔子」の合字で「ボウフラ」のアソビ・・・である。「孔=孑+乙=♀+∫=コウ・あな」は、燕(つばめ)に女性が子供を授かるコトを請い願うコト、らしい・・・「乙」に類字する英語の「Z」はアルファベット「26番目の文字」で、「数学での第三の未知数」、ギリシャ神話の主神「Zeus(ゼウス)」である。「Z字形」とは「電光・稲妻」である。「Zadkiel(サドキエル暦)」とは「占星暦」である。「zodiac(ゾデャク)」とは「十二宮星座・獣帯」で、「Zero(ゼロ)」とは「零=雨+令」である。

 「丑」は「手」だとするならば、「葉っぱ」の形である。まさに、「杻(チュウ・もち・もちの木)」で、樹脂から「鳥餅」をつくる木であるらしい。そして別意では「手枷(てかせ)」で、木製の手錠のことであるとされている。
 ボク的には「丑」は、漢字の分解では「丑」は「彐+|」か「
7+7+二(一+一)」にも見えるが、手(∋+〉)であるなら「熊手」のように見える。「熊手=熊の手」は「酉の日」に売っているモノで、穀物や落ち葉をかき集める道具である。「酉」は秋真っ盛り季節である。秋の収穫物をかき集める「手」である。

 「寅(イン)」は亀甲文字からも、空に向っての木の真っ直ぐな生長である。寅の合字には「演(引き伸ばす・述べる・染み込む・潤す)・螾(蝉のつくつくぼうし=寒蝉・ミミズ)・縯(長い・引く)」がある。そして「夤=タ+寅」は「大きい・延びる」がある。「寅(イン)」がナゼ「虎(コ・とら)」と重なったのか・・・「寅」の漢字は見つめれば不思議に動物の「虎の顔」に見えてくるのだが、漢字分解すれば、

  寅(イン・エン・とら
  ‖
  宀(宇宙の天蓋・ヽ+∩・ベン・メン・う・ウ)
  +
  T(釘・丁・↑・ ̄+|・T形定規・チョウ・て・テ)
  +
  田(㊉・□+十・国の四方・デン・た・タ)
  +
  ハ(両足の歩行・人・ハチ・は)

 「寅」とはボク的には「宇宙の天蓋から釘を挿された国の十のハ(コトバ)」である・・・のだが・・・春雷のカミナリ(稲妻とゴウ音)である・・・?・・・「寅」の亀甲文字が「∈↑∋ハ」の組み合わせなら「手を併せて、天を拝んでいる人」である。
 「寅」がどうして「とら(虎)」になったのか?・・・「虎=」の合字には、「虝・鷉・彪・號」で、「虎=虍」であるならば「虖・虐・膚・慮・虚・虗・虜・虔・遽・虞・處・虙・廬・嘘・瘧・虒・遞・箎」、「虎の皮の文様」と「虎の唸り声」にあるらしい。そして「虍=ト(占・☳)+皮(革)+七(牝・7・匙・小刀)」である。「虎の皮の文様が占いの☳を示し、七は匙(柄杓)」・・・そして日本語の「トラ」は「斗等・図螺」か「図は裸」かも。ユダヤイスラエル)人の「旧約聖書」の「律法(律法の写し)」は「デウテロノミウム=(第二の律法)トーラー」と呼ばれている・・・この円盤十二支区分の「寅支」と相対して向かい合っているのが「申支」である。「寅⇔申」の関係を「冲・中・衝」と言っている。正面衝突であるから、その「衝突した結果」は「己己(キキ・ココ・おのれ、おのれ・おと、おと・な、な)」なのだ。

 寅(己=土・丙=火・甲=木)
       ⇓
   衝突して己己が残る
       ⇑
 申(己=土・壬=水・庚=金)

 「卯」が「馬の轡(くつわ)」とは思われないし、「卯=劉=殺す」とも思えない。「卯」は「柳」の右部分にも、「迎・貿」の部分にも、「昴(すばる)」の部分にもなっている。似ている漢字は「卵」であるが、「卯」には「ゝ(核・黄卵)」がない。多分、亀甲文字の形は「木の幹や枝に吹き出した芽」である。「卯」が兎(ウサギ)になったのは「兎(兔)の耳の形」であるからだろう。

 「辰」は「蜃(おおはまぐり)=二枚貝」であるらしいが、亀甲文字は「丙」にも見える。「柄」と言うかんじもある。「一+匚(C)+=し+ハ」ではイメージが湧かないだろうが、「渦巻いている形」にも見える。「貝」なら螺旋状の「巻貝」で、「二対」になっているモノにはみえない。形は北極星を中心に回転する北斗七星の「形」である。辰は漢字の「農・振・脤・娠・縟・脣・震・振・辱」、あるいは「唇(くちびる)」に合体されて「うごめき・振るえる動作」を意味しているし、季節の土用を含む「辰支の時期4月後半」は大地が不安定である。また「辰」はうごめく「水銀」と「硫化硫黄」の化合物である「辰砂」の熟語になっていおり、「丹砂・朱砂」とも言われているからツボメタ唇の「赤色・朱色」を示唆している。「辰巳=巽」は南東で、「巳支」の「朱鳥(鶉)の尾」と接し重なる「辰支」は、「蒼龍(青龍・大樹)の頭」であり、対をなす「赤い目のマブタ」であり、樹木であるならば「固くて赤い蕾(つぼみ)」である、と思う。

 「巳」は「巴」と同じで、トグロを巻いたヘビである。「蕾」が膨らんで開き、「花弁の渦状の重なり」を見せだした形である。
 「午」は亀甲文字では「杵」であるらしいが、「ヽ+8」は「一糸に二個の玉が通してある様」に見え、あるいは尖がった「蔕の付いた柿の実」、碇の様な「⇡・↑+0」のように見える。「ゝ+8」なら「果実」のぶら下がった形ではないのか・・・漢和辞典には「午=∧+十」とあり、「逆らう・交わる」とある。なった「果実」は上には向かわず、地上へと垂れ下がるのだ。「正午」は「中天」と言われる太陽の位置で、降り注ぐ太陽光線が一番強烈な時間帯である。「午」は「上から下への動作」の意味であろう。

 「未」は「耒」でもあるらしいから「落葉した裸の木と枝」であろう。「Ψ+↑」にみえるのも同じであろう。「未」が「羊」に重なったのは「耒」の亀甲文字の上部が「羊の角(∪)」に見えたからだろう。

 「申」は亀甲文字では「☈・S・ζ・ξ」に見えるが、「Ε+|+∃」もあり、これは「加藤」先生によれば「背骨と肋骨」らしい。だが、「神=示+申」の「申」は「雷電」で、「落雷の稲光、稲妻」を示す、であるから「申=田を貫く光線(☇)」で、日本語である「稲妻=いなづま=稲夫=電光」によって、「穀物」が実るのは当然で、ギリシャ神話の「ゼウス・ユピトル・ジュピター」は「雷神」であり、「殷王朝」の漢字「殷」は「カミナリの轟く音」である。「旧約聖書」の漢字の翻訳には「申命記」のタイトルがある。「モーゼ」が「イスラエルの全ての人々に告げた神の命令のコトバ」が記されているヶ所である。
 「申」は「実が弾け落ちる」ではないのか・・・
 「申」は既に述べた「寅」との関係「中・冲・衝」も再読して貰いたい。

 「酉」は「酒壺」だから収穫した穀物の「果汁・酒液」としての貯蔵である。

 「戌」は「厂(一+ノ)」と、「ゝ(刀)」、「戈」で「鉞・斧」あるから樹木の伐採か、手入れであろう。「収穫物=酒」の武器による収奪かも・・・

 「亥(ガイ)」は「豚(肉+豕)」や「猪(豕+者)」であったが、「亥豕之譌(ガイシのカ)」は文字校正の誤りであるらしい。「己亥(キガイ)」を「三豕(サンシ)」と読んだ故事。「晋師(三豕=己亥)渉河」・・・で、漢和辞典の「亥(きざす)」の亀甲文字は「二(陰気)+♀(男)+子を抱いている♀(女)」である、と説明されている・・・果汁、果実酒でも飲んで、寒い冬を夫婦が子供と春の緑を待っているのかも・・・「亥」の合字には「刻(コク・きざむ)」がある。「一刻」は「2時間」である。
 「猪=豕+者」の「者(シャ・は・とは・ば・れば)」で、人物やモノの「主語」を示す「は」で、亀甲文字では「窯の中の焚き木」が燃えて、その窯の上から炎が出ている形になっている。「者」の古い字は「日」に「ゝ」が付いている。
 「豚=肉+豕」、「猪=豕+者」の「豕」が「イヌ(犬・狗)」である、との見解もあるのだが、一般的には「ケモノ(獣)扁」と言われているから「獣(ジュウ)」とは「犬(ケン)」であろう。そして、見かけが「犬(四肢で歩く)」に似ている動物のことだ。異なるのは「毛の状態=畄」と「口の形=口+一」であろう。「大」が「一+人」なら「犬」は「一+人+ゝ(チュ・てん・ぽち)」であり、「ゝ」は「油皿の中の灯火(ともしび)」である。「犬」が人間に付きまとう友達で、「友の始の備」で「チュ(治癒・智喩)」の「テン(天・槇・典・点・転・顛・填・添・店=广占)=Ten(十)」の「ポチ(仏)」・・・「犬座」って・・・ドコにあるのか知っている?カナ・・・そしてギリシャ神話の「犬座」のおハナシを・・・「ポチとタマ」は「ワンコ」と「ニャンコ」だョ・・・