259日目・・・以前、古本屋で購入し、ザァ〜と目を通し、ツンドクしていた「漢字の発掘・加藤常賢著・角川選書53・昭和46年発行」を再度ガッチリ(?)、読んだけれども・・・著者の先生は明治27年生まれ、愛知県出身であるらしい・・・「漢字」も「甲骨文字」から研究するとなると、大変だったろうなぁ〜と思う。面白かったけれども、ボク的にはイマイチ説明がすっきりいかない箇所もあったけれども、フゥ〜ンって・・・「漢字」が現在の漢字文字になるまではかなりの「字形」も「発音」も「意味」も変わってきた歴史的プロセスがあった

naie2007-04-11


 で、「十干」と「十二支」なんだけれども、古代中国「殷・商」王朝では「十干」の「順序」は確立されていなかったんだろうか?・・・加藤常賢先生の漢字の初源の「形の意味」では・・・「亀甲文字」をここに示すのは困難だけれども、以下の不正確な字面構成から大体、イメージして欲しい・・・

   ボクが示した亀甲文字
    ↓
 甲・・田・十・㊉・・豆の外皮が割れた形
 乙・・〜・Z・燕・・鑿(木工のノミ)の形
 丙・・内・丙・・・・机(几)の形
 丁・・↑・□・●・・釘(くぎ)の形
 戊・・←+⊂+=・・・削刀・鉋(木工のカンナ)の形
 己・・コ+L・・・・糸の曲がった形
 庚・・E+ヨ+耒+○・・両手で杵を持ち臼で穀物脱穀
 辛・・▽+十・・・・・刺青の針の形
 壬・・工+〇・Ⅰ・王・・糸巻きの形
 癸・・↥+⇔・・・・・三鉾の武器の形

 であるらしいが、「形の意味」はわかったが、これらの「形」からは「数詞」としての「意味関連=順番の意味」が、イマイチ、不明である。だが、次の説明も先生は書いている・・・

 「殷代」では」、不思議なことに、生まれた日の干の名を人の名とした。だから太甲とか太乙とか父癸とかいう名がト辞に見えている」

 と。そして「殷王朝」は高級文化で、殷王朝を滅ぼした「周王朝」は西方の蛮族で、低級文化であった。周王朝は殷王朝の文化に影響されていたが、「十干」で名をつけるのが廃れてしまった、と。
 「殷王朝」は「数詞」としての「十干」を「王の生まれた日」として、その名前として付けた、とは、その「十干」は「甲(1)・乙(2)・丙(3)・丁(4)・戊(5)・己(6)・庚(7)・辛(8)・壬(9)・癸(10)」となっていたのだろうか?・・・加藤先生の文脈からは「十干」は日ごとの十サイクルの数詞として使用されているようだが、日ごと循環プロセスが、大工の木工、工作、あるいはそれに付け加えられた織工の手順の順番?・・・では無いんじゃぁなかろうか・・・日が巡る一日目、二日目・・・十日目の連続、関連性には、あるモノの「変化」が基礎になっているハズである。当然、「暦」を創り出した「一日〜十日ごとの循環」は「太陽と地球上のある定位置の変化観察」であろうとは思うが・・・古代に於いては「月(衛星)」の「朔望の形」で、後には「月の朔望日数」と「太陽の位置」の「調節」だった。「衛星(エイセイ)」の同音異字「衛生」とは「生き物を衛(まもる)」である・・・地球上の生き物を「永世・永逝」として「衛る」のが「お月さま」の役目であるらしい・・・
 で、目に見える生活の糧である「甲=㊉」が「豆の外皮の殻が割れた(穀物・作物・果実)の形」で、それが順列の「第一番目」としてなっていたならば、その「甲(1)」に続く「第二番目」の「乙=〜」が「木工の鑿(ノミ)」である、とするなら「第一番目」に連続するその「変化の意味」が「数詞」としては続かない、のではないのか。
 「植物の豆が殻を破って芽を出した」ならば、「乙(L)=〜・∫、Sの逆字を横に描いたモノ」は「芽が伸びていく生長の茎の形」ではないのか。
 当然、第三番目の「丙=一+内」が「几=机」ならば、更に連続の意味が無い。「丙」は地面の内部(冂)で根(人)をはって、外部に生長し「分かれた葉っぱ(一)」の形である、と思う。
 第四番目の「丁=↑・口・●」は確かに「釘(金+丁)の形」には見えるが、大地に根を張って更に生長した植物の「茎(」)と枝(一)」である。
 第五番目の「戊」は「カンナ・削刀」とされているが、植物が繁茂している「戊(茂・モ・しげる)」の「草冠(艸・++・廾)」の省略されたモノで、「戊(斧・鎌)」で刈り取られるべき「草(茎・枝)」である。時代的には「戊」が「茂」よりも古字であるらしい。で、「戊」は「厂(ガン・崖・断崖・切り立った磐の崖)」と「戈(ほこ・鉾)」の合字で、生長した植物の茎や幹が「硬く(固く)」なってガッチリと引き締まり、天空に向ってそびえ立った形であるだろう。
 第六番目の「己(コ・キ・糸口・紀の本字・始まる・私=ム)」は「糸の先のグルグル曲がっている形」らしいが、

 「已(イ・終わる・決まる・はなはだ)」
 と
 「巳(シ・ジ・へび・はらみ子・始まる)」

 の類字がある。「亀甲文字」も殆ど同じ形をしているらしいが、「己(糸=花蕊・雄蕊・雌蕊)」は、「已」と「巳」も兼ねて、稲や麦のタラチネの穂先、作物、果物植物の花の「つぼみ」と「開化」の状態を、その意味で示唆しているのではないか・・・植物の最終段階は未来的な自分自身の「種子」を遺すコトである。
 第七番目の「庚(コウ・キョウ・とし・よわい・年齢・道・変わる・償う)」の漢字を加藤先生は「糠(ぬか)」を例題に、「米+康」の「康」は「庚+米」であり、穀物脱穀するタメに「両手で持った杵」で、「臼」の中を突いている形と言っておられる。「康」は「やすらか・やわらぐ・たのしい・むなしい」で、「徳川家康」、「国家安庚」、「康煕字典」などに使用されている漢字である。なぜ、「むなしい」の意味もあるのかは「ヌカ喜び」と言う熟語もある。喜びが瞬時に怒りや悲しみになってしまうコトだ。「束かの間の喜び」って・・・「束」って、刈り取った稲か麦などの「束(たば)」だよな・・・精米する前の「衝かぬ間の喜び」だったカモ・・・
 ここで、大地から収穫された「穀物種」の「杵と臼」を使った「精米の加工」段階に入ったのだ。

 殻の外皮に包まれた種
 ↓
 割れる
 ↓
 出芽
 ↓
 茎
 ↓
 葉分かれ
 ↓
 生長
 ↓
 固い茎、幹
 ↓
 枝葉
 ↓
 蕾
 ↓
 花弁の開化
 ↓
 花蕊(はなしべ)の糸の先端の授精、授粉
 ↓
 種を包んだ果実形成
 ↓
 「庚」=人間の手による「脱穀
 ↓
 玄米の精米による黄粉である糠(穅)の発生
 ↓
 精米と糠

 脱穀の後の第八番目の「辛(シン・▽+十=刺青の針の形)」とは何であろうか?・・・精米された「米」と「糠」が、次のプロセスとして、肌に墨を入れ込んでいく「針」を意味する「辛(シン・からい)」とは?・・・精米された米を生産者から収奪、「税金の辛苦」ではないのか?・・・糠(ぬか)しか食べられない人々への「刺青の辛(針)」。あるいは穀物生産に携わり、秋の収穫、生産結果を手するまでのプロセスの「辛苦」の振り返り、カモ・・・「辛夷(シンイ)」とは「白い木蓮の花」らしく、中国の「木蓮」は初春に桃色を帯びた紫の花らしい。「刺青」され、変色した「肌とその周辺の色」ではないのか・・・「白色」は純白無垢の象徴で、五行の「金=庚辛=白」ではある。
 第九番目の「壬」が(糸巻き、布巻きの形)」ならば、植物、穀物生成の順番、序列の意味としては、まったく「連続」しない。だが、「壬」が「糸巻き・布巻き」ならば巻かれた糸や布が膨らんでいく。甲骨文字では「壬=ノ++一」の真ん中の「一」が「●」になっている。「壬」が「妊娠・孕む」の意味ならば、穀物倉庫に増えて行く「穀物の貯蔵」であろう。
 そして、第十番目の「癸」が「十の三先が尖った鉾先」ならば「兵の持つ兵器」である。漢和辞典には「癸」は「測る・はかる」とある。当然、何をハカルのかは支配者が収奪できる「穀物の収穫量」を「武器」を手にした「官吏・兵」にさせての意味であろう。
 「癸」の「癶」は「背く・叛く・ひらく・ゆく」の意味である。「天にソムかれる」のか、「天に叛く」のか、記録されるべき「漢字(文字)」は、「支配者側の道具」である。「十干」のすべての主語は「収奪支配者」の立場としての「観察説明」であり、その「コトバ(概念)」である、とは思うのだが・・・
 まあ、「イヌ」も墓場に埋葬されていた青森県の三内丸山古代遺跡(約5500年前〜4000年前の縄文時代の集落跡)周辺には「栗(クリ)」が栽培されて食用されていたみたいだから「癸」の「癶」は「背く・叛く・ひらく・ゆく」は「毬栗(いがぐり)」の「イガ・棘・針」カモ。鯨(クジラ)の骨も出てきているようだし・・・第一番目の「甲」が「㊉」で、「殻の割れた種」であるならば「栗」・・・?・・・加藤常賢先生は甲骨文字の「甲=㊉」を人間の首から上の「頭蓋」とも考えているようだし・・・タシカに「兜(かぶと)=冑=甲」と同じ意味で使用されている。
 「甲賀忍者メッ」、「イや、伊賀忍者かッ?」、「なに、甲府のラッパ、スッパ、ダトゥッ」、「甲斐のシノビだとはナッ・・・」、「タケダの軍師はヤマモトのカンスケ」・・・「カイ、蝦夷の人間・・・?」。
 ツカレタ・・・ネマス・・・