231日目・・・「月」、「THE MOON」、「お月さま」、「憑きモノ」・・・タロットカードの番号は「ⅩⅧ・十八・壱拾八・拾捌」・・・である。絵柄は天空中央に「月」、「15の月光の雫」、左右に「一穴の窓のある塔、あるいは幽閉塔」の間に「山」、山の中腹から「沼か湖」に流れ注いでいる「川の水」。その河口両脇に「月に吠えるオオカミ、あるいはイヌ」と、河口を塞ぐような「ザリガニ、あるいは蟹」・・・「蟹」の漢字分解は「解く中のム(ヨコシマ・邪)」で、モウ少し読み込めば「角を刀で牛(ウシ・丑)から取る中のヨコシマ」

naie2007-02-22


 「オツキサマ」は「精神不安」、「感情不安」の象徴である。

新月(●・一日・朔日・ついたち)→満月(○・十五夜・望月・もちづき)→新月(●・三十日・晦日みそか)→満月(○)」

 と、形を変化させていくからであろう。「朔晦(サクカイ)」とはいずれも「ある月歴の三十日の新月」と「次の月歴の一日の新月」が「●」であるからだ。「満月」が不気味に見える時は天頂に位置する時ではなく、上昇、下降しつつある時の赤みがかった、でかく見える月である。
 月世界のあるモノは漢字では「圭(ケイ・ケ)」が付く「月桂樹」で、幕末明治の元勲「桂小五郎木戸孝允」は別称「月形半平太」であった。そしてガラスの原材料「硅砂(シリカサンド)」で、「SILICON VALLEY」の「シリコン」である。蛙(かえる・蝦蟇)、鮭(さけ・鱒)も月に存在したんだろうな。「竹取物語かぐや姫」は「月人」だったし、「Diana妃」も月の住人だったのに違いない・・・花王石鹸の顔に似てるし。「ウサギ(兎・兔・宇佐戯)」にはナゼ「圭+兎」とならんのかの謎は「宇佐戯(宇佐神宮の欺)」だからだろう、「和気清麻呂(訳の汚麻呂)」・・・「阿倍女帝」は怒るぞ、な、もし・・・「弓削道鏡(ゆげのどうきょう)」も「梓弓(あずさゆみ)」を鳴らしながら「弓張り月(上弦月・下弦月)」に怒ったのに違いない。
 とにかく、「圭=土+土(十+一+十+一)=壱+拾+壱+壱+拾+壱」で、「11+11=22(弐拾弐・弐弐)」であり、「似、拾う、字、邇、披露、蒔」・・・「卦」は占いの「八卦」である。
 「圭」の付く漢字、
  絓(しけ糸・ふし糸・ヒッかかる)
  詿(誤解・欺く)の類字は「註(解き明かす・解釈)」
  閨(閨閥・閨中・閨房・男女の情事)
  畦(田圃のあぜ・境・仕切り)
  罣(小魚の捕獲する網)
  珪(たま)
  恚(怒り・怨む)
  烓(?)
  袿(うちかけ・打ち掛け・婦人用の長い下着)
  奎(奎宿=文章の星・アンドロメダ
  挂(挂冠=退職・架ける)
  刲(刺す・殺す)

 「圭」とは「角のある玉」と説明されている。「上が尖り、下が四角な玉」とは球形のタマをイメージするなら「矛盾している説明」ではあるが、この「タマ」とは「円盤状・環状円盤」のモノである「玉璧」。王様の「印鑑」であるらしいのは「玉璽」・・・「八坂瓊(やさかに)の勾玉」は「三種の神器の一」であった。
 漢和辞典には「朔」は「陰暦」で、「天子が年末に諸侯に分け与えた翌年十二ヶ月の暦」のコトとある。そして「北を意味する」とある。方位は「12支の子」である。「朔(サク)」は「ついたち・はじめ・きた」と訓む。
 現アベちゃん内閣も月の満ち欠けによって喜怒哀楽の精神不安も国会議員連中の「朔望=サクボウ=策謀」、「陰謀」に・・・よるらしいとは思うけれど、ナッ。
 ・・・「二匹(ジビキ=字引)のオオカミ(大神・大上)」は「月に吼えて怒る」ダロウさッ・・・「月+X」って「朔」の「月の字の中の二線が右から離れているツキ偏」じゃなく、「肌・肢・腿・股」の「月の二線が右にくっ付いているニク(肉)づき」なんだ・・・新字体になった時にスベテが「月の字」に統一となったらしい。
 ならば、「新字体」以前は「肌」の「月=ク+二=タ+ヽ(然の左上の字)=肉=ジク・にく」で、「ジク」の同音異字は「字句・磁区・軸・竺」であるなっ。「クニ」であるならば、「句似」「舟」も偏になる時は「月」とされたらしい。一体、全体、ダレが「シンジタイ」にしたんだか。
 「月(つき)」の漢字の意味を「字形」から「信じたい」以前に「月」、「肉」、「舟」は区別して考えナクチャァ・・・ネッ。
 ・・・しかも、「簡略化」された「字形使用」はそう、歴史的に「古いモノ」じゃぁないから、「区=區」の「匚」の中の「メ=品(ヒン・ホン・しな)=メ」の意味を考える時には「古事記」や「日本書紀」の解釈の立場も「時代は新しいモノの記録の意味」としなくちゃぁ・・・「品=ヒン=牝・匕=メ」だし・・・「品」の変換が「メ」だとすると、

 品目・・・メ目
 品評・・・メ評
 品位・・・メ位
 品種・・・メ種

 になってしまう・・・?・・・

 参考:
 文部省は明治以来、漢字の字体を簡略化、楷書の形、漢字数の制限をしようとしてきた。大正12年の「常用漢字表」、昭和6年の「修正常用漢字表」、昭和17年の「標準漢字表」と、漢字数の制限、字形の簡略化する表を作成したが失敗。

 昭和20年に日本は米軍に占領。昭和21年3月、米国は日本に漢字やかなを全廃させ、ローマ字化を試みる。これを背景に文部省が漢字字数制限と簡略化。昭和21年11月の「当用漢字表」と、昭和24年4月の「当用漢字字体表」を作成発表し、「内閣告示」とした。