今夜のNHK・教育番組・・・「すくすく子育て「もっと!ずっと!使おう、母子手帳」をみて・・・「大日本帝国」は戦争に負けて本当によかったネッ・・・マッカーサー、「アメリカ占領政策・GHQ」の遺産「母子手帳」には感謝すべきだョなって・・・敗戦後に今現在生きているボクも含めての「日本人」・・・この「母子手帳」の思想は日本だけではなく、今や全世界に広がっているらしい。

 「母子手帳」・・・コドモを持った両親はその「母子手帳」を時折みるべきだし、子供達にも毎年の誕生日には見せてあげるべきだよ・・・子供達は自分が生まれてきた存在、と言うよりも、お母さんと一緒に「喜怒哀楽=愛憎」で育ってきたそのプロセスを知るべきだ。モチロン、両親、特に母親はその分身であるコドモの妊娠、出産、養育が精神的にも肉体的にも「」も、決して「」ではない「」も含めて、どんなに大切なモノだったのかを、今現在の成長しつつあるコドモをみて、その「命と命の連鎖」の愛憎の絆の素晴らしいコトをかみ締めるべきだ・・・。
 肉体的な出産の痛みを伴わない「オトコ」には、決して「母」になるべき、あるいは、ナッた「オンナ」の偉大さは理解できないかも・・・でも「母子手帳」は見れるし、その小さな余白には描き込めるカモ・・・

 「国を愛す前」に、「家族を愛す」・・・そして「国を愛す前」に、「人を愛す」・・・いじめられたら、とっても「ヒトを愛す」なんてこと無理だけれども、「ヒトを愛す前」に「ヒトである自分自身を愛す」、自分を大切にしないヒトには「ヒトの愛」もワカランだろう。デモ、「我が身をつねって他人の痛さ」を知る人間は、そういないだろうけれど。いずれ何時かは「生きている自分自身の痛さ」を経験する・・・
 デモネッ、ヤラレタ方は決してその「怨み」を忘れやァしない。ヤッタ奴はケロッと忘れるから・・・ボクに小さい頃イジメラレ、高校時代になって、その同級生、親友だと思っていたら、「オマエにあの時にイジメラレタのを忘れはしない」って言われて・・・ムカシのハナシじゃん・・・って、思ったけれども・・・小さい頃、ボクはコトバでも暴力でもイジメタ奴は沢山いたから・・・でも、ボクも、イジメたらしい子供達の親達から突然、頭をこずかれたり、ツネられたり・・・ボク自身、その理由がさっぱりワカランかった・・・我が子に対するボクへの仕返しだったらしい・・・けれど・・・高学年になって、母親や先生、友人の親達のハナシの会話からやっと「アッ、そうなんだ」って自覚。子供の喧嘩には親も加担しろッ・・・我が子が第一なんだから。ただし、理由も言って欲しいけれどね・・・
 「自分自身の愛に余裕」が出来たら、それから自分自身以外の「ヒトも愛す」・・・「」だけじゃなく、「」じゃない、「愛憎」としてアイす。「憎い」って、「可愛い」と同義語で使われているコトもある理由・・・「憎さアマって可愛さ百倍」になれれば、「憎い奴」は最高ッ・・・憎い奴からは学ぶコトがたくさんあるから・・・?
 レレレレレッ・・・「可愛さアマって憎さが百倍」・・・カナ・・・でも「可愛い」がヤッパシ「憎さ」の前提だよ・・・
 ボクの小学校時代、ある女の子を特にいじめている男の子がいた・・・あとでわかったんだけれど、イジメていた女の子が好きだったらしい・・・ボクはスキキライ無しに、クラスのみんなを公平にいじめていたガキ大将だったから・・・その「特殊なスキ」が不思議だった。「ストーカー」っているらしいけれど、「スキ」な相手と直接対峙できない「人間のアル時期」って、複雑・・・TV番組で報道されていた電車の中の「常習の痴漢」は「愛」も「憎」もない最低な「人間」として、自覚はしているらしい・・・女子高生に現行犯逮捕され、逃げ出しもセズ、泣きながら、土下座しながら謝っていた・・・そして、またやるんだろうなっ・・・「痴漢中毒」・・・
 「愛国心」なんてコトバの意味、「過去の歴史的なコトバ」であることをわすれるなよな。「国家」なんかを「愛す」なんて、「ダレの国家」なんだかサッ・・・「愛人心(対等な立場の配偶者を愛する心)」が「人間の男女の絆の原点、始点」だからネッ。
 「痴漢(チカン)」を漢和辞典で調べて見てくれないかな、興味あるなら・・・「チカン(置換)」は「オンナ(音名)」に「イタズラ(悪戯)」する中毒者でもあるらしいから・・・オッソロシイ・・・「イタズラ(意多事等・異他通等)」・・・?・・・