150日目です・・・既に以前に「国家」とは何か、を言ったコトがあるが・・・「殺すな、盗むな、騙すな」を「原理理想」とする共同体の「疎外されたモノ」としての「現実的共同体組織=階級、階層的共同体組織」なのだ。「国家」、その本質は「他人の生産物の盗み」の支配システム(形態)である・・・すなわち、「国家」とは「盗む、騙す、殺す」の「法的機能=権利・権力→義務・服従」を有する「共同体組織内の相互諸関係のシステム」で、「共同体組織外に対峙する他組織、個人に、圧力・防衛・侵略・融和」する「共同体組織」である。

 「法的機能」とは「ルール・規範・約束・契約」の「観念・思想」による「強制実行力、行使力」である。しかも、共同体内の組織構成員は、それらの「観念・思想」を対内、対外に於いても共同体組織維持としての「共同、共通利害」として相互に納得、遵守する、と言うモノである。

  共同体→ 国家⇔国家、諸国家
   禁止→ 許諾
   ↓    ↓
 ①盗むな→盗め・・・目的(奪うモノ

 ②騙すな→騙せ・・・手段(奪う策略)

 ③殺すな→殺せ・・・手段(暴力行使)

 「国家」とは如何なる国家形態を採ろうとも「支配階級」の「特殊な利害」を「共通利害幻想」と言うオブラートで「被支配階級の利害」を包み隠したモノが「国家」である。巧妙に「法律」として・・・「自由・平等・博愛」・・・「人民の、人民による、人民のための」・・・「日本国憲法」・・・「国連憲章」・・・人々は「法の下で公平な生活」を満喫しているハズだが・・・旧約聖書の「カミの律法の下での平等」か?・・・確かに「①②③」の「禁止文言」は「カミ(?)の三律法」ではあった・・・「隣人の間で」の・・・「隣人」とはダレなんだろうか?・・・「隣人ではナイ人」とは・・・?
 奪う、奪われるモノとは相互に「納得した交換のモノ」ではなく、騙すか、あるいは暴力的手段によってのモノである・・・詐欺、強盗、殺人・・・この市民社会では日常茶番の「法外な事件」として頻繁に起こっていることだ。
 「法的」には詐欺、強盗、殺人はないだろうか?・・・アル・・・国家間の「戦争」である。戦場では詐欺は作戦、強盗は強制没収と収奪、殺人は銃撃、爆撃で・・・国内の法ではどうか?・・・「税金」とは?・・・企業の「儲け=利潤」とは?・・・「給料」とは?・・・年金保障とは?・・・株式証券市場での「儲け」とは?・・・競輪競馬競艇などの「儲け」とは?・・・宝くじの「儲け」とは?・・・「報酬」とは?・・・そして「死刑」とは?・・・これらの「法」を当然、アタリマエのモノとして「納得」している?・・・努力している人も、努力していない人も・・・?・・・妥協・・・してイイ生活してるらしい。

 「北朝鮮」の「国家」としての「目的」はナンだろう?・・・「将軍さまの特殊利害」とは・・・
 「日本国」の「国家」としての「目的」はナンだろう?・・・「官僚さまの特殊利害」とは・・・
 「アメリカ合衆国」の「連邦国家」としての「目的」はナンだろう?・・・「自由」・・・ダレの?
 「国連加盟諸国」の「国家」としての「目的」はナンだろう?・・・
 ・・・人々は「カネ」がなくちゃぁ・・・生活できないけれども・・・「金」を食うわけにはイカナイ・・・「カネ」を回さなくちゃぁ・・・モノも動かない・・・食うモノもネッ。
 一番に「カネ」を動かせる奴って、ダレ・・・バングラデシュの銀行家は「ノーベル平和賞」を貰ったらしいけれど・・・TVで報道されていたあの巨大な銀行建造物は貧乏人に貸した「無利子」では建てたものじゃぁないだろうな。