144日目です・・・「義務」について・・・


 「権利  ⇔義務」
  ↓    ↓
 「権力行使→服従

 が「組織形態」の「ルール」の基本ならば、「組織の目的」は「組織化された構成員の個々人」の「生活の維持防衛」の「ルール」のハズである。例えて人間の「人体組織」を考えれば無数の「細胞」から形成され、各細胞の「新陳代謝」を繰り返しながら「人体全体の生命活動」をしている。「新陳代謝」とは不必要になった細胞物質の排除と、新しい細胞の再生、あるいは活性化である。脳に致命的な損傷を受けないかぎり、少々の「器官細胞」が破損し、機能し無くても生命活動には影響がないだろう。髪の毛や爪の生きた細胞は増殖成長するが、切ってもマッタク命には別状ないだろう。二、三日前には「腎臓」の売買で逮捕された人間がいたが、一つ腎臓を切り取って売った人間は生きている。東南アジアでは一個が10万〜30万で売買されているそうだが・・・だが人体の一部分がガンになって、まだ致命的に拡大していなければその部分を切り取って将来の時間的な延命をハカルであろう。最近は若い女性の「乳癌」が多いらしいが、その女性の象徴でもある組織器官が無くなったとしても「女性」として生き続けるに違いない。
 で、同じように「人間社会=組織」・・・既に前述したが、組織のトップとして民主的に選出された大統領であろうが、暴力的な独裁権力者であろうが、「指導者」は単なる「個々人」ではなく、その「組織構成員としての個々人」をまもらねばならない「義務」が発生する。この「義務」とは、まさに共同体維持の「義務」であるが、その「義務」には「欺瞞」がある・・・本来は「組織秩序」を維持するための「義務=目的」として「強制権力=手段」を承認されたり、委託されるのだが、「私的」な「権利・権力行使」として発動されてしまっている・・・「収賄」や「国家、地方の官僚達の裏金」・・・「税金」そのものの使い道・・・特殊法人や民間企業の天下り・・・
 「国家、地方官僚」の立場は個々人(組織の部分)の犠牲を強いるのが常套である・・・「みんな」の「諸権利」と「諸義務」の「ルール」が、実は「特殊幻想」の上に築かれているからだ。
 ・・・「私有財産の蓄積の権利」である。
 「オッペルと象」の「ゾウさん」は怒ったんだけれどなッ・・・だまされて、さッ。