142日目です・・・「権利の続編の続編」・・・「a [the] right」・・・

 「権利」ってイロンな「権利」があるようだけれど、「A」と「B」との生活利害関係の調停、融和、あるいは暴力的な戦いによって、「相互の獲得権利の優劣」なるモノが発生するが、「A」、あるいは「B」に獲得されたように見える「生活諸権利」を基盤にした「権力」もイロンな「諸権力」に分岐する。二人以上の社会的生活では「A」も「B」も「ルール」を相互にまもる「組織」として生活せざるを得ないからである。そして、生活上での「諸分担」とその「義務責任」を組織構成員は引き受けなければならない。
 「A」、あるいは「B」が社会共同体の、「A’」、あるいは「B’」に属していることが前提であるならば、「A」は「A’」の社会共同体、組織としての「組織構成員」である。「B」も、「B’」の「組織構成員」である。殆どの人間社会の生活は「組織」を必要としてきた。「独りぼっち」などと呟いても、現実にはありえないのさッ。その原点は「家族」である。家族(男女関係→親子関係)は地域の「部族(親戚)」となり、「種族(親類)」となり、「民族(共通言語族)」となり、「領民」、「国民」として組織化されてきた。そして人間社会の組織は単なる「群れ」ではなく、「階級階層」の「序列」をなし、その頂点に「指導者」を仰ぐ「組織」として形成されてきた。
 段階的に必ず「一家族の親子の分離独立」が「二家族」、「三家族」と細胞分裂のように増大され、その各家族同士の関係が拡大され、組織化されたものが「部族」、「種族」、「民族」の概念である。
 「組織形成の目的」は「組織化された構成員の個々人」の「生活の維持防衛」である。民主的に選出された大統領であろうが、暴力的な独裁権力者であろうが、「指導者」は単なる「個々人」ではなく、その「組織構成員としての個々人」をまもらねばならない「義務」が発生する。そして「組織秩序」を維持するための「義務=目的」として「強制権力=手段」を承認されたり、委託されるのさ。「指導者」の立場は個々人(組織の部分)の犠牲があったとしても「組織全体」をまもるのが鉄則である・・・弱いものはタマラン、ナッ。
 特に「別の組織」と敵対する状況が起これば、指導者はこの「組織秩序維持=目的」を遂げるために「強制手段=権力」を発揮し、「組織構成員」はこの「権力=手段」に「服従=手段」し、犠牲を覚悟でチームワークとして「敵対組織に勝利(目的)」せねばならない・・・現代戦争ではミサイルが飛んできた時にはその余裕もないだろうが・・・。
 対敵行動に於ける「組織内の秩序の権力発動→服従行動」は「組織の生活維持と防衛」が「目的」である。逆に言えば「服従者」は「組織(生活)維持」のタメに「権力発動」を要求する、と言うことだ。
 敵対するモノが存在せねばイイのだが、自然界の枠内、そしてこの対自然界としての人間界も、この人間界の枠内でも「相対=対立」関係での時間経過を有さざるを得ない存在である。
 「相対=対立」関係の結果が、相互の「協力・協調・融和」となればイイのだが・・・たいがいは「相互の利害関係」は、その「生命活動」として「公平・平等」とはならない存在としてある。厳しい「弱肉強食=活殺=自然法則」としての結果である。
 「人間社会」は、「狭い身内の範囲(血族、一族郎党)」として、これから「解放」されるべき存在として無意識的、意識的に何万年も生き続けてきたのである。そして、近世、近代に於いては「広い人間の範囲(人類、地球人)」としても自覚的に人間存在の関係のあり方を追求してきたのだ・・・これは、そうあるべきだ、と言う「思想」である。
 「権利・義務」、「権力・服従」は組織競技としての「プロのスポーツ」をみれば理解しやすいだろう。殆どのスポーツ営利団体の目的は親会社の「企業宣伝・商品宣伝」と、「観客の動員」による結果としての「収益・利益」である。その前提枠内で「契約スポーツメンバー」の目的は競技結果の「勝利」である。その「チームメンバー」の「配置人事権」と「作戦権」は「監督」にある。競技に入れば、司令塔である「キャプテン」の「指示命令権」である。各選手は「服従義務」としてその指示に従いチームワークとしてそのポジションをまもりながら対戦相手に対して「行動」するだろう。「組織のルール」、「競技のルール」、「観客のルール」などの殆どは「権利・義務」、「権力・服従」の「対関係」になっている。アタリマエダよね。
 とにかく、この「プロチーム」は当然にも「営業資本」が裏打ちされてなければその「組織」として起動しないであろう。
 「国民主権」を基盤とされているらしい「三権分立(立法・行政・司法)」の「国家」の「形態」は、複雑な諸組織から成っているが、単純に言えば「権利・義務」、「権力・服従」の諸関係である。モウ少し言えば「国民の税金収奪」を基盤とした各省庁の「税金分配」の「権利・義務」、「権力・服従」の諸関係である・・・日本国では「官僚主権」の「権利・権力」と「納税者」の「義務・服従」の諸関係であるらしいのだが・・・最近は岐阜、福島、北海道、大坂、愛媛の地方県庁、もちろん、東京都などの「地方官僚主権」の「権利・権力」と「納税者」の「義務・服従」の諸関係である。いずれも「法」を無視した諸関係ではある。
 それ以前に「国民福祉」の根幹である「年金・医療」は税金とは「別口の金銭徴集」で成り立ってきているのだが、あの「立法府」で成立させられた「法律」は滅茶苦茶である。

 「軍事産業の利益」と結びついている「国家」の「軍隊組織(自衛隊)内」の「権利・義務」、「権力・服従」の諸関係はどうか?・・・クーデターとは「軍事独裁権力=軍律」であるが・・・「民主的軍事権力」って、あるのかね?・・・「パリコンミューン」は幻想だったし・・・戦前の日本では「クーデター」は失敗したが、「天皇親政」に重なる「天皇共産主義」ってコトバは聞いた事があるのだが・・・とにかく、国外の敵が存在しないことには「軍隊内の権利と義務、権力と服従」は成り立たない。だが、「国内の敵」も必要らしい。「軍隊」も生活がかかっているからお仕事を捜さなくちゃね・・・・「軍事組織」の「軍律=権利義務・権力服従」が「納税者」に拡大されたら・・・TV番組で国外や反対勢力のニュースを見るのは無理だろうな・・・意外と「国家社会主義的」に「福祉」は優先されたりなんかして。
 ・・・北海道の呑み屋じゃぁ「イラク景気」があるらしい。当然、金銭的な貸借関係、呑み屋と客の「権利義務」関係が発生し、「権力服従」関係も発生したらしい。