141日目です・・・「権利」の続編・・・「a [the] right」・・・

 「請求権 a claim」とは字のごとく「請求」する「権利」であるが、「請求」するものはゴ万とあるが、「・・・が欲しい」、「・・・をして欲しい」と言うことだ。呑み屋の請求書を考えればいいんじゃないのか。「代価」が未払いの時にはマダムとかホステスに請求されるさね。請求書を会社の経理課に回すやつもいるらしいけれど・・・殆どの公共料金、サラ金借金未払い、駐車違反やレッカー代金も事後に発生するモノである。
 「賃金の請求」って「労働者(働くヒト)と経営者(雇うヒト)との関係による労働契約(雇用契約)」で、「労働報酬としての賃金よこせ」だけれど、ここが問題だよな、「権利と義務」。

 雇用主→労働(賃金)契約←労働者
  ↓            ↓
 利益の収得        利益の分け前
 儲ける権利        働く義務
 賃金支払義務       賃金受領権利

 「労働市場」ではドッチの「権利」が「有利」だろうか。殆どが「賃金」は「後払い」だし・・・「請求権」・・・その場での現物取引、現金商売には発生しないだろうナッ。

 「主張する資格(a [the]) title」とは相手に対して「・・・の序列の位」、「・・・の順番の位」と言うことだ。「ワールドチャンピオン・タイトル・マッチ」って「世界王座を賭けた決定戦」であるな。
 「特権 a privilege.」とは「対等ではない特別な権利」があると言うことであるであるが「状況」や「条件」が絡んでくる「権利」である。代議士や高級官僚の「特権」って随分あるようだし、凄いのは「外務省高級官僚」や「大使・公使・領事」の特権で、ナンテいっても総理府官房だろう「機密費」は領収書無し、報告無しの使いたい放題だから・・・
 「・・・の権利を主張[行使]する assert [exercise] one's rights.」とは「保持、所有、占有できる何物か、あるいは行為、行動できる能力、実力」があることが前提である。
 「・・・の権利を放棄する renounce [give up] one's right.」の人生最重要のモノは「生きている命の放棄」であろう。
 「・・・権利がある have a right [be entitled] to〈do〉.」の人生最重要のモノは「生きる」ということだ。
 「権利と義務 rights and duties.」とは「相互関係としてのコトバ」である。「権利」を与えるから「義務」を行え。「義務」を果たすなら「権利」を与える。
 「権利落ち  【株】ex-rights; rights off.」とは「経済用語」であるらしい。
 「権利金  a premium; 《借家人が払う》〔英〕key money.」はその空間建物を使用する「権利」の「代金」である。大家のおバァちゃんに毎月「五万一千円」を払う以外に「敷金」を支払わなくちゃぁ・・・「礼金」ってのもね・・・貧乏、辛いなぁ〜。
 「権利(証)書  a certificate of title; a title (deed).」とは「権利条件の記録文書」である。

 「権力」は「権利」を基盤にしたモノであるらしい。では「権利の発生的根源」は何か・・・古くは「土地」であった。旧約聖書では「神が約束してくれた(他人が既存している)土地」である。要するに「生活地域・生活の場所」を「占有する権利」であった。「土地を占有」する前提として「侵略する権利」があった、と言うことだ。そこには既に住んでいる人々がいたのにね。「神が認めてくれた侵略権利、占有権利」であるからこれほど都合が「イイ権利」はナイのサッ。
 土地、及び土地に存在する山丘、草原、河川、湖沼、海岸、森林の「所有(占有・私有)」ができれば「生活が確保」できるからである。この「土地」とは「生活圏」のコトである。
 ある人間がかかわるその土地と、そこの自然環境が「生活物資」を「生産」する根源の「生産手段」だからである。
 この「土地の占有権利」とは「神から与えられたモノ」ではなく、また「代価を支払って得たモノ」ではなく、既にそこに住む「暴力的に侵略され、追い出された既存の住民」から「奪い取り、認めさせたモノ」であるだろう。アメリカインデアンって土地を侵略され奪われた人々だ。北海道ではアイヌと言われた人々だ。
 「権利」と言うコトバの根源は「略奪・盗む」と言うところから「発生」したのだ。盗む奴(A)と、盗まれる奴(B)が相対立した、その結果のコトバなのさ。「神の契約や庇護」があろうが無かろうが・・・人間同士のいがみ合いの結果だけれど・・・武器や兵器の優劣、ズルさに於いての結果としての「勝利者の権利」だな・・・
 で、「土地」は「生産物」を産みだし、生きて生活が出来るハズだが、「豊作」ともなれば生活に消費する以上の「余剰生産物」を産みだす。「倉庫」が必要である。「飢饉」がくれば、この「倉庫」に蓄えられた「余剰生産物」が消費されるだろう。問題は「倉庫の鍵を管理」して、その「余剰生産物」を「配分」する奴である、なッ。
 共同体の飢饉の緊急時、腹がヘッタ生産者には備蓄生産物の「公平に配分される権利」がある。倉庫管理者は「配分する義務」があるはずだが・・・スンナリと「公平な配分義務」を果たすであろうか・・・生産物備蓄の配分に於ける「公平対等な権利と義務」が「権力と服従」の下に関係に移行されていく変換期である。その後「権力と服従」は「土地支配の大小、増大」を基盤にして進行していく。
 「権利」とは「所有権」であり、「私有権」であるが、単純に言ってしまえば「生活生産物」を産みだす「土地=財産」の「所有」、「私有」の「権利」で、「土地支配の権利」であった。「国家」を基準にすれば「領有権」となる。
 「土地=財産」が「権力発生」の基盤であったが、商業が発達してくると市場では「通貨=金」が物資と物資の媒介的な「交換手段」となり、「消費、使用物資の蓄財」が「交換価値物=金の蓄財」となっていく。「生産物の備蓄倉庫」は「交換手段の金の金庫」となってしまう。

 「土地所有、私有の大(権力)→小(服従)」
  が、
 「金所有、私有の大(権力)→小(服従)」
  に移行される。
 「金→商業資本→産業資本→金融資本→国際金融資本」
 「カネ」自体が「市場の場」で「資本」として、「商品」として回り出す。

 「商品」として「市場で交換」されずに「膨大に蓄積されたカネ」はどうなるのか・・・単純には品物(商品)が有り余って「デフレ」っていうやつらしい。叩き売りされても買いたく無いのさ。「インフレ」は品物(商品)が少なく、高価になって「膨大に放出されたカネ」でも買えなくなるのさ。
 「人間の労働力」も「商品化」され、「労働市場での自由契約」によって「雇用者(賃金支払=買う)→関係←被雇用者(労働能力提供=売る)」として「売買」されている。平たく言えば、雇用関係とは経営者の「資本(カネ)」によって

 「就職」出来る・・・高低の格差はあれ賃金貰える
 「給料」が貰える・・生活できる

 経営者の「資本」が不安定、あるいは企業倒産したところでは

 「就職」出来ない・・賃金貰えない
 「給料」貰えない・・生活できない

 「カネのタメに苦労する」とは、「食うために苦労する」と言うことだ。「給料」が仕事の報酬として「権利・義務」の関係の結果だが・・・経営者の資本回転渋滞、偏重になった時には、仕事にありつけられず、生活が出来なくなる。景気動向で経営資本が不安定な状況では「雇用関係」も露骨な解雇、リストラ、左遷、降格の「権力・服従」の関係になってしまうのさ。

 カネは働いて得るものだが、詐欺師みたいな「岐阜県庁役人全員」は「給料以外の働かないで自由に使える金」を得ていた。税金の一部を預かって回していたわけじゃない。燃やすことも出来る金として隠匿していたのだ。19億円も!!・・・返済すればイイだって!・・・フザケルナ、「公文書偽造」による「裏金搾取使用詐欺」は「振り込め詐欺」、「横領」と同罪・・・刑事事件だョ。
 結局、この「商品市場(モノとカネの流れ)」の「調節」をしなければならないのが「国家権力」なんだけれどね・・・「権力」の基盤は「蓄積されたカネ」だから・・・この「国家権力」を握る人間が「国民の権利と義務」をどのように操るのか・・・ネッ。