134日目・・・タイ国の「クーデター」・・・昭和11年2月26日・・・「2・26事件」の「クーデター」は今回の事件とナニが異なっているのだろう・・・「アベ自民党総裁」が選出されたらしいけれど、日本政府の首相ともなる人物・・・「アベ」で思い出したのが「アベベ」と言うマラソン選手だが・・・彼の出場した本来の精神は「名誉・栄誉」を追求するオリンピック世界大会だったハズだが、今現在のスポーツはあらゆるモノがプロも、「AMATEUR(アマチュア)」も「カネ」にからんで、「選手」も「選手を育てるヒト・団体」も「肉体

 【バンコク藤田悟】
 タイ陸軍のソンティ司令官が率いたクーデターは、タクシン政権側による抵抗もほとんどない形で奏功し、暫定政権樹立に向けた動きが本格化した。突然のクーデターが一夜にして成功した背景には、国民の崇敬を集める国王の威光の大きさとともに、半年以上に及ぶ政治混迷に嫌気が差したタイ国民の世論の存在が大きな要素としてあった。
 国軍筋の情報によると、ここ数日、政府や経済界の要人が相次いでソンティ司令官に面会し、現在の政治状況を打開するために軍が行動を起こすよう働きかけたという。
 19日夕にも政府高官10人がソンティ司令官に行動を要請した。これを受けて司令官は最終的に蜂起を決意し、政権側にタクシン首相の辞任を要求。首相が辞任を拒否したため、司令官はクーデター決行に踏み切った。
 国連総会出席のためニューヨークに滞在していた首相はテレビ放送を通じて非常事態宣言を発表したが、首相に従う動きは国内には広がらず、クーデター計画は着々と進んでいった。
 成功の最大の要因は、ソンティ司令官が王室関係者の支援を得ているという印象が強かったことだ。司令官はプミポン国王の顧問機関である枢密院のトップ、プレム議長と親密な間柄にある。クーデターを決行した直後の19日深夜、司令官は海空軍の司令官らと国王に面会し、「王室の了承を得た」と印象付けた。
 また、1月の首相一族による巨額株売却事件以来の政治混乱は8カ月近くになり、やり直し総選挙の日程も決まらない中で、国民の政争疲れはピークに達していた。軍のクーデターは多くの国民に「最も有効な事態打開策」と受け止められた。
 一方、迅速な国軍の動きに対して求心力を低下させていた政権側は、首相が国内にいないこともあり、対抗の動きが広がるきっかけさえなかった。19日夜の時点で首相の家族がシンガポールに出国したことが明らかになり、20日朝には「首相は英国に亡命する」という情報が流れたことが、世論が首相を見捨てる流れに一気に弾みをつけた。
毎日新聞) - 9月20日18時46分更新