自分自身の「性格」とは一体何?・・・

 「性格」はアナタの「認識・感情・思考・判断・行動」の全てにわたって主体的にして、かつ、その諸状況のかかわりの中で影響されながら「運命実現」の基礎となっている。この「性格」はアナタが認識するすべての外的環境の変化に微妙に反応し、揺れ動き、そうならざるを得ない方向、「宿命の実現=運命的な諸段階的形成発現」としてされていきます。
 生まれたばかりの赤ん坊の「性格」は初めからあるわけではない、と現代的な精神科学・心理分析学は考えている。にもかかわらず、「性格形成」の基盤となる本人の「気質」的なモノは彼等も「遺伝的要素」として認めざるを得ないのが現状で、「遺伝学」の延長にはその影響による「生理的・病理的傾向」があり、遺伝子プログラムによって決定されていることが明らかになりつつある。「生理学的な影響」はもちろんヒトの「気質」に影響与えていることは自明であるでしょう。
 そして人間の「幼児期」は人間となるべき重要な「脳形成の時期」です。「四柱推命」では「立運」と言う期間にあたります。心理学で言う「スリコミ期間」です。この時期に人間の「生活環境」で育てられなければ決して「人間」になることはできません。それは「狼」や、他の動物に誘拐されて育てられた子供は、後に人間に養育されても決して「人間言語を駆使して人間思考を有する者」としては成長しない。逆に人間に育てられた「猫」や「犬」はかなり「人間的な感性、感情、思考」をしているようにみえる。幼少時から人間との付き合いで「ゴリラ」や「チンパンジー」は「手話」で「2000語余り」をもの「人間コトバ」を理解し、「思考操作」をしている例もある。
 「四柱推命学」では持って生まれた「宿命気質」は必然的に、アル人格的な「性格・性質」形成として「運命的」な外的環境の中で形成されていくと考えるのです。コレは「宿命気質=遺伝子」、「性格形成=運命=外的環境との関係」と同意です。そしてこの両者は「脳の神経細胞を形成」されていく「人間幼少時」にはとっても大切であることなのです。
 「人間言語=観念」の基盤をこの時期に獲得できるか、どうかが、その後の「人間関係として言語観念で思考し、判断できるか、どうかの出発点」だからです。
 「基本的性格傾向」が「十色の波長パターン」に分類されるならば、その十色のうちの一つ、単色の強調、使い分け、あるいはそのうちの何色かの重なり具合で混合色となり、その色合いは複雑微妙にもなってくるでしょう。
 「四柱推命学」での十色とは「比肩・劫財・食神・傷官・偏財・正財・偏官・正官・偏印・印綬」等の「変通」です。コノいずれか一つが強調されるモノが、月支の分野蔵干に存在する「格式変通」と言われるものです。

比肩・建録格
劫財・羊刃格
食神格・傷官格
偏財格・正財格
偏官格・正官格
偏印格・印綬

特殊格式の命
曲直 格
炎上 格
穡稙 格
従革 格
潤下 格
強旺 格
従旺 格
化木 格
化火 格
化土 格
化金 格
化水 格
従児 格
従財 格
従官 格
従殺 格
両神相生格
両神相剋格
雑気格
暗冲格
暗合格

格式は原則的に月支の分野蔵干に存在する

 この「格式」に変化を与えているものが他の「変通」です。
 「四柱命式」に現されるモノは「八字」に限定され、偏っている場合がほとんどですが、生きて存在する人は前提的に、潜在的にこれら「十の変通=十の性格」をすべて有し、そのバランスを潜在的にとろうとしているのです。
 生まれ持った「資質」は実現されるだろう「宿命的性格」傾向の「種」であり、その外的環境に関わり、影響されることにより「発芽」し、「幹」となり、「枝」となり、「葉」を出し、「花」を開花し、更には「花」の一部は特殊個別的な「実」をつけるのです。「実」をつけた段階で、その内部に「種」を持ち、最初の「種」はそのプロセス的なあらゆる「段階的性質」を含み持って「完結」した、と言えるでしょう。「種」はすべての「性格を潜在」させ、その潜在性をプロセスで顕在させるのです。
 だが、人間に於いて外面的に「完結した性格」など、あろうはずがありません。それは自己に秘められた潜在的なモノであるはず。なぜならヒトの「性格基盤」である「感情」も「精神」も常に外的、内的に偏って動いているからです。外的にはアナタがその時々に対するヒトや環境、雰囲気、状況によって、「ヒト」として有する「基本的性格=格式変通」を軸にしながら「重なり合った複数の他の性格」を使い分けるのに違いありません。内的にも個人的な「基本的性格」と言われるものを軸にして「対人関係」や、「諸状況」に於いて「十のうちの他の性格」、あるいは「複合的な性格」としてめまぐるしく変化させるでしょう。
 結論は人間とは元々「多重人格=多重性格」であり、その使い分けを状況に応じてこなしているのです。そして常時、顕在化させ、十の中の一、その偏向しているモノが「格式変通=パターン化された性格=性格の傾向性」と言われているものなのです。ですから、この偏向したモノの長所を引き出し、短所を抑えるモノが「時間的・場所的」な人間関係の環境的、すなわち、「運行=天の時・地の利・人の和」となるわけです。
 もちろん、その逆も真です・・・「天の不時・地の不利・人の不和」。

 ある人の「伝記物」を読めば、その人物が状況に遭遇した時の様々な行為としての「発揮、発現」は単純ではないョなっ・・・コイツの「性格」はコウだ、とは「一元的」に断言できないのさッ。