七拾七日目です・・・世の中色々な「事件」が起きているけれど、「人間」が存在するかぎり「人間に認識される事件」は無限だろうな・・・「モノゴトの区別性」と「関連性」を「コトバ」にし、生きていくための武器にしてきたのが「論理的」な人々だったとはおもうのだが・・・

 ボクのこの空間に書き込んできた「文字」や「文章」も、その「文章の論点範疇」を混合、混乱させ、滅茶苦茶な「言語範疇」を混在させてきているのだが・・・「アソビ」や「Gag」、「諧謔」、「洒落」、「比喩」や「Joke」はかなりの「言語教養」の「高等レベル」でないと理解して貰えない「ゲンゴ・コード」なんだろう。自分自身の「アソビ」だからして、勝手に「ダイタイはわかってくれたカナ?」なんて期待しないほうがイイんだろうな・・・

 それで、「人間が存在」するかぎり色々な「事件」が「人間に認識」されていくだろうが、人間は「物事の区別性と関連性」を「コトバ」で区別し、それを前提にその思考内容も「コトバ」の「区別性と関連性」で「合理的論理」としてきた。
 「論点・論理の区別性と関連性」だが、「区別」したところ「①モノ(主語)」がいつの間にやら「すり替えられて」しまって、その「説明内容」があたかも「①のモノ」であるかのようなモノにされてしまっているコトがママある。修辞学者、詩人、文学者はモチロンだけれど、私利私欲に走る「政治屋」や「政治権力者周辺」に群がる人間の「コトバの芸術性」は最高であるナッ?・・・とにかく、村上ファンド・・・日銀総裁のぼろ儲け、民主党議員の秘書給料の肩代わり・・・日銀「相殺」か、「葬祭」だよな、バレた「儲け」は・・・庶民が怒るのは「法律論」じゃなく、「現実感情論」でアタリマエだ。

 ヤッパシ、論理構造は「①誰②何③何処④何時⑤何故」の「5W」をハッキリさせて、「⑥どのように」の「1H」で展開されるベキだと思う。とにかく、コトバは「5Wの①ダレ、②ナニ」の「範疇」をハッキリさせるべきだと・・・そして問題は「How」であるところである。

 イワユル「自然科学・社会科学」とは「専門分野の対象事物をコトバで「合理的」に説明するコト」である。「諸学問=諸論理」とは「コトバによって対象事物、事物の諸変化を体系的に意味説明する」と言うモノである・・・日本地域に生まれ居住してきた人々は「日本のコトバ」でその「諸科学の意味内容」を「区別し、その関連性を知る」というコトである。

 「社会科学」であるらしい「法律論」とは「二人以上の複数の人間諸関係の約束のコトバの体系(学問)」である。「社会科学」って、「合理的理論」だと考えているヒトは考え直して欲しいナッ。「社会科学」とは「社会の非合理、非業理・人間諸関係の矛盾」を「合理的」に究明する「学問」であることを・・・「社会科学」は「合理科学では無いコト」を・・・これらの「対象」が追求するモノで無くなったら・・・?・・・「学問」としても「無価値」・・・になるよなッ。

 「法律遵守、約束遵守の適用、不適用」は「現実の人間諸関係」になされるか、どうかの問題である。
 「法律(約束)の現実論」とはその約束が人間諸関係で「遵守・厳守」されているのか、いないのか、の「度合い」である。その社会的状況の「度合い」を認識するモノが「状況分析」である。
 どうやら、人間諸関係=社会に対する「人間の認識」は、

 ① 約束原則論・原理論・理想論・ベキ論
 ② 約束現実論・矛盾論・非業論
 ③④⑤ 約束現状論・現状分析論

 ⑥ 違約解決論・違約回復実践論・原則適用論・・・約束改正、改悪論

 であるだろう。「①ベキ論」の根本は「「殺すな・盗むな・嘘つくな」」の「禁忌」からなっている。「殺すベキではナイ・盗むベキではナイ・嘘をつくべきではナイ」である。そして「殺すベキ・盗むベキ・嘘をつくベキ」も「法律の特殊的な根幹」である。
 諸個人が相互に「コトバとしての約束の履行、実践」を「マモリ、維持」スルか、どうか、は「コトバとしての法律」は保障せず、「マモらせる範疇」には無い・・・「法律=約束」が有効性を持つのは「違反の後の罰則」としてである。
 実体的に「理不尽に殺されたら」ばオワリである。「法律」は「命を蘇生・再生・復活」の保障はしない。残るのは「殺したヒト」に対する「法律違反としての罰則」だけである。
 これは、「刑事事件の軽重」といわず、「民事」でもオナジである。そして「民事」とは「おカネのヤリトリの約束=就労・失業=賃金=生活基盤=家計簿=経済学」に関連してくる。

 「約束=法律」とは「相互の信頼関係」と言う非常にもろい「コトバの土台」の上に置かれて「体系化」されている・・・

 「自然科学」としての「医学論」とは「人間の諸健康、罹病、病気のコトバの体系」である。上に述べた「①②③④⑤」は同じように人間には認識されるハズだ。だが、人間相互の意識的、意図的な「法律=約束論」とは違う。「人間、諸生物の生態、機能、栄養健康老化、発生寿命の学問体系」である。

 「自然科学」としての「物理学」とは「物質に関する存在と、そのあり方のコトバの体系」である。これも「①②③④⑤」と同じように人間には認識されるハズだ。本来、「宇宙体系に存在するあらゆるコトバの根幹」となるハズだが、この領域の「日本語のコトバ」は滅茶苦茶に混乱している。「専門自体のコトバ」が滅茶苦茶である。

 とにかく、「論議」する、「論理展開」する、と言うことには「論点範疇」と「コトバの範疇」をきっちり・・・ネッ・・・「感情論」も「損得勘定論」も区別して、その関連性で・・・理解させる努力をしましょう・・・
 
 で、この「空間のコトバ」はタイトルにあるごとく、テーマは「文字霊」としてありますので、「コトバのコード」は「比喩、諧謔、洒落、Joke、Gag」などが同音異字でマンパイ・・・アシカラズ。