凄いねッ・・・おとなりの日記の「GilCrows」に記されている「サッカーに纏わる事件」・・・「エェッ」って驚いたり、「まさっかぁ」って笑ったり、クビを傾げたり、「フゥ〜ッ」と溜息が出たり・・・

 とにかく、興味ある人は覗いてみて・・・以下のページ

 http://d.hatena.ne.jp/GilCrows/20060615

 まぁッ、「サッカー」に関連しての事件・・・サッカーの世界大会は「各国チーム」の「戦いの場」であるが、「GilCrows」さんが調べた「歴史的な事実」が事実であるとするならば、これらの事件の根幹には「民族」とか、「人種」とか、「国家」などの「コトバ」が「感情的」に絡んでトラブッテいるようなのだが、「コレラのコトバの定義」をよくよく「吟味」して考えなければならないのじゃぁナイカな、と思うのだが・・・

 民族・・・?・・・言語(コトバの同一的理解)
 人種・・・?・・・五色(肉体的な同一的肌色)
 国家・・・?・・・領土(分割境界線内の同一的場所)

 ①「We・・我々・私達・僕達・俺等・自分達・わし等」
 ②「You・・君達・お前達・なんじら、あんた達・おのれ等」
 ③「They・彼等達・あいつ等・こいつ等」

 複数としての「人間(一人称)」の「区別(二人称)」、「差別(三人称)」、「分別」される「意味のコトバ」として、「我々の民族=文化的概念」、「我々の人種=生物的概念」、「我々の国家=政治的概念」に関連させられている。
 当然、「あなた方の民族=文化的概念」、「あなた方の人種=生物的概念」、「あなた方の国家=政治的概念」に、「彼等の民族=文化的概念」、「彼等の人種=生物的概念」、「彼等の国家=政治的概念」に「対立」する「コトバ」である。
 そして、「敵愾心」を煽られて「事件」が、「殺人」が、「戦争」が起こってしまった・・・のである。

 「We=Ⅰ+Ⅰ+Ⅰ+Ⅰ+Ⅰ+Ⅰ・・・・∞」で、「私の複数」では無いんだけれども、「Ⅰ(アイ)」と「同じモノを有している二人以上の人々」である。
 「You」は「You≠We」で、「We=Ⅰ+Ⅰ・・・」とは「異なるモノを有している二人以上の人々」である。
 「They」は「We」でも「You」でもない「異なっているモノを有している二人以上の人々」である。
 で、「モノ」って何?・・・であるのか・・・「共同の利害観念(幻想)」って言うヤツらしい・・・のだ・・・「Ⅰ(アイ=愛)」じゃないモノ・・・ねッ。

 「国家」って言う漢字、

 「国=囗+玉(たま・ギョク)
 「國=囗+或(ある・コク・ワク)」
  +
 「家」 
 
 「ギョク=漁区・魚句・禦句」
 「コク=酷・剋・語句」
 「ワク=枠・湧く・惑・和句・話句」

 「民族」って言う漢字、漢和辞典には

 「民=ヽ+女+ヽ」
 「民=ヽ+母+ヽ」

 で、「子を産み育てて人を増やす意味」であるらしい、が、「民」の意味には「たみ・ひと・国家君主に統治される者・身分のないヒト・暗い・愚か」などとある。
 で、「民族」とは「同じ言語・風俗・習慣・宗教を持つ同じ人種の集まり」である、と記されている。この漢和辞典の「民族」の説明は明らかに「誤り」であるのは「同じ人種」とされているところだ。「同一人種=同一血統の人々」ならばこの説明は閉鎖的な「人口の小さな部落共同体」にあてはまる「部族」と言うコトバには当てはまるかもしれない。「民族」の説明としては「同じ」ようなのは「風俗・習慣」であり、「宗教」は「同じ言語、同じ人種」や「同一国家内」での「宗教戦争」と言うモノをみれば一神教であれ、多神教であれ、「異端宗教」としての対立があるから「同一」ではない。
 逆に「同じ言語・風俗・習慣・宗教を持つ人々」を調べてみれば「同じ人種」ではないのは明らかである。
 「民族」と「国家」は違うのである。そして「民族概念」は非常にアイマイな「言語」なのだ。そのアイマイさは「日本・民族」と言うコトバを創り出したのが「明治政府の御用学者」であった、と言うことに尽きる。彼等は「民族=同一の領土に居住する同一言語、同一血統の人々」として「新語」を「政治的思想=幻想」として規定し、利用したからである。もともと「民族」とは「中国漢字」には無かったのである。もちろん、明治以前の「日本語」としても。現在、中国人(大陸)が使用している「民族(ミーンズ)」も「日本語のコトバ」を借用している、と言うわけである。

 「族(ゾク)」は「やから・みうち・ともがら・なかま・血統・同類」とあるが、「刑罰のコトバ」で「一人の罪をその父母、妻子などに及ぼす一族皆殺しの刑で、族滅」・・・他の意味は「矢じり・群がる・集まる・けしかける」である。「軍旗の下に沢山の矢じりを集める意味」であるそうだ・・・
 古代ローマ帝国の最大イベントはコロッセアムで開催された「奴隷剣闘士」の戦いであった。「奴隷」の供給は「帝国の侵略戦争」からであった。

 サッカーの世界大会が「各国の代理戦争」にならんことを祈るばかりである。そして本物の「戦争への憎悪と敵愾心の温床」に利用されないことを・・・